選択的夫婦別姓について考えてみる ―多様な選択を認め合う社会へ:第1部なぜ「別姓」を求めるのか?
はじめに
先日、事実婚の実態と課題について記事を書きました。その中で、事実婚を選択する理由として最も多く挙げられていたのが「夫婦同姓を強いられることへの抵抗感」でした。
この問題は、単なる名前の問題ではなく、個人のアイデンティティ、キャリア、家族観など、さまざまな価値観が交差する複雑なテーマです。
だからこそ、単純な是非論で終わらせず、事実を押さえ、別姓を望む当事者の切実な思いや家族の絆を重視する価値観、そして社会全体の制度的な課題を丁寧に見つめた議論が必要です。
今回は、長年にわたり国民的議論となっている「選択的夫婦別姓」について、賛成・反対双方の立場を丁寧に見つめながら、考察していきたいと思います。
1. 現行法における「姓」の扱いと法的根拠
まず、現在の法律婚において「姓」がどのように扱われているのか、基本的な事項を確認しておきましょう。
民法上の規定
民法第750条には、次のように定められています。
「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」
この条文により、日本では婚姻届を提出する際に、夫婦のいずれか一方の姓を選択し、同じ姓を名乗ることが義務づけられています。
この規定は、戦後の民法改正(昭和22年)で男女平等の理念に基づき、夫・妻どちらの姓を名乗るかを選択できるようになりましたが、実際には約96%のケースで妻が夫の姓に変更しているというのが現状です(厚生労働省「人口動態統計」より)。
戸籍法との関連
戸籍法では、夫婦と未婚の子どもが一つの戸籍に記載されることになっており、同一戸籍内では同じ姓を名乗ることが前提とされています。この戸籍制度と民法第750条が相まって、現在の「夫婦同姓制度」が形作られているのです。
最高裁判決
2015年12月、最高裁判所は夫婦同姓を定める民法第750条について、「憲法に違反しない」との判断を示しました。ただし、この判決では「夫婦同姓制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄」との補足意見も付されており、法改正については立法府の判断に委ねられています。
さらに2021年6月の最高裁判決でも同様の判断が維持されましたが、この時には15人の裁判官のうち4人が「違憲」との反対意見を述べており、社会の変化に伴って司法の見解にも変化の兆しが見られます。
2. 選択的夫婦別姓を求める人たちの動機
では、選択的夫婦別姓の導入を求める人たちは、どのような理由や背景を持っているのでしょうか。一つひとつ丁寧に見ていきましょう。
アイデンティティの維持
生まれてから長年使ってきた姓は、その人自身のアイデンティティの一部です。愛着を持っている人もいるでしょう。その姓を変えることで「自分が自分でなくなるような感覚」を覚える方もいらっしゃいます。
特に、自分の姓に誇りを持っている場合や、先祖代々受け継いできた姓を大切にしたいと願う方にとって、改姓は精神的な負担となることがあります。
職業上の不利益・キャリアの継続性
特に専門職や研究者、クリエイター、経営者などにとって、姓の変更は職業上の大きな問題となります。
具体的な影響として…
論文や著作の著者名が変わることで、過去の業績との連続性が断たれる
取引先や顧客に姓の変更を周知する手間とコスト
資格証明書、名刺、ウェブサイトなどの変更に伴う時間的・金銭的負担
検索エンジンでの過去の実績が見つけにくくなる
ブランドとして確立した名前を失うことによる信用やネットワークの喪失
などが予想されます。
また、日本学術会議の2017年の報告によれば、研究者の中には改姓によって論文の引用数が減少し、キャリアに影響が出たケースも報告されています。
「通称使用」では解決しない問題
「旧姓を通称として使えばよいのでは」という意見もありますが、通称使用には以下のような限界があります。
アイデンティティの根本問題
「名前=アイデンティティ」と捉える人々にとって、通称使用は「仮の名前」を使っている感覚であり、法律上の氏として旧姓を保持できる選択的夫婦別姓こそが、自己の尊厳に関わる問題だと認識されています。
法的効力の欠如
通称には法的効力がないため、契約書や公的文書では戸籍上の姓を使用しなければなりません。これにより、ビジネスシーンで二つの名前を使い分ける煩雑さが生じます。
社会的認知の問題
職場では旧姓、銀行や役所では戸籍姓というように、場面によって名前を使い分けることで、本人確認が複雑になったり、混乱を招いたりすることがあります。
システム対応の不統一
企業や自治体によって旧姓使用への対応がまちまちで、すべての場面で旧姓を使えるわけではありません。マイナンバーカードへの旧姓併記が可能になるなど改善はされてきていますが、完全な解決には至っていません。
「どちらが本名か」という問題
通称使用は、結局「本当の名前」と「仕事上の名前」という二重性を生み出し、「戸籍名こそが本名」という観念を固定化してしまうという指摘もあります。
ジェンダー平等の観点
統計上、96%のケースで女性が改姓している現状は、形式的には選択可能であっても、実質的には女性に改姓の負担が偏っていることを示しています。
「女性が姓を変えるのが当たり前」という社会的圧力や慣習が存在することで、真の意味での平等な選択が阻まれているという指摘があります。
選択的夫婦別姓は、こうした性別による負担の偏りを是正する一つの方策として位置づけられています。
手続き上の負担
改姓に伴う手続きの負担も、決して小さくありません。
改姓に伴う変更手続きとコスト一覧



画像でまとめてみましたが、概要をまとめると
婚姻・離婚による改姓の際、役所や年金、健康保険、マイナンバー関連の届出自体は基本的に無料。ただし、届け出自体に必要な戸籍謄本等の発行や一部の資格・免許の再発行には費用が発生。
銀行・クレカ・電子サービス・証書類は書類取得費+再発行手数料で数千円。しかし、銀行やサービス提供先によって都度確認が必要。
個人事業主・経営者の場合は「口座や登記簿の改姓対応」が追加コストとして必ず発生する。
登記など業務に関わる手続き自体にもコストがかかるが、その申請自体に必要な書類を用意することにもコストがかかる。
一部の資格では、改姓という「変更」が登録制度上「再登録」として扱われるケースがあり、その場合は「登録抹消 → 再登録扱い」という流れで再度、登録免許税や登録料が発生してしまうこともある。
登記の専門家である、司法書士等に依頼すると3〜5万円程度追加でかかることも多い。
これらの変更には時間と費用がかかり、場合によっては平日に複数の機関を訪問する必要があります。
一級建築士の方が改姓に伴って、建築士として仕事をし続けるために要した費用が数十万円だったとする報道もあり、大きな負担となるケースもあります。
家族観の多様化
現代社会では、家族のあり方も多様化しています。「夫婦は同じ姓でなければ家族としての一体感が保てない」という考え方だけでなく、「それぞれが自分の姓を保ちながらも、互いを尊重し合う家族の形もある」という価値観を持つ人々も増えています。
国際結婚における課題
外国人配偶者との結婚の場合、相手国の法律では夫婦別姓が一般的であるケースも多く、日本の夫婦同姓制度が障壁となることがあります。国際化が進む現代において、より柔軟な制度が求められているという声もあります。
異なる立場の声に耳を傾ける—第2部へ
ここまで、選択的夫婦別姓を求める人たちの動機や背景について詳しく見てきました。アイデンティティの問題、キャリアへの影響、通称使用の限界、そして改姓に伴う様々な負担など、当事者が直面している課題は決して小さくありません。
しかし、この問題を多角的に理解するためには、もう一つの視点——選択的夫婦別姓の導入に慎重な立場、あるいは反対する立場の方々の意見にも、丁寧に耳を傾ける必要があります。
次回(第2部)では、制度導入に反対する人たちの理由や懸念について詳しく見ていくとともに、「選択的」であるにもかかわらず反対意見が根強い理由を考察します。さらに、すでに別姓制度を導入している諸外国では、どのような対策や支援が行われているのかについても紹介します。
異なる立場の意見を理解することで、この問題の本質がより深く見えてくるはずです。
主な出典
旧姓の通称使用の限界に関する指摘の例(内閣府男女共同参画局)
厚生労働省「人口動態統計」
最高裁判所判決(平成27年12月16日、令和3年6月23日)
日本学術会議「男女共同参画社会の形成に資する提言」(2017年)
Here Are Places Women Can’t Take Their Husband’s Name When They Get Married
German parliament approves plans to relax strict restrictions on family names
参考記事
選択的夫婦別姓で、地方議会にも圧力をかけてきた高市早苗さん。「旧姓使用でも困らない」のに夫が高市姓になったのはなぜですか?
毎日新聞(2024年9月10日)「注目集める選択的夫婦別姓議論 保守派・高市早苗氏はどう語ったか」
東洋経済オンライン(2025年8月20日)「選択的夫婦別姓『賛成59%』でも埋まらぬ溝」
PRESIDENT Online(2020年4月15日)「日本で『選択制夫婦別姓』が認められない本当の理由」
毎日新聞(2025年6月27日)「選択的夫婦別姓 実現へ論点は出尽くした」
法務省「選択的夫婦別氏制度(いわゆる選択的夫婦別姓制度)について」
日弁連「選択的夫婦別姓制度」
最後までお読みいただきありがとうございました。
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