お遍路さん1日目終了
30年
朝6時半に家を出発した私たちは、義父母が作ってくれたたくさんのサンドイッチをおともに、1日を過ごした。
義父母は、大阪でフレンチレストランを営んでいた。いつも当たり前のように、おいしい料理を食べさせてくれる。
夫も店のためにソムリエの勉強をし、ときには店でピアノを弾いていたという。
あれから30年近く。
あの頃の誰が、四国で一緒にお遍路をしている未来を想像しただろう。
人生は、本当にわからない。
サービスエリアにて

夕食はどこかのお店へ入ろうと思っていた。
けれど、疲れもあって、吉野川サービスエリアで食べることにした。
ようやく肩の力が抜ける。
高速道路は基本的に私が運転する。霊山寺から十楽寺までの一般道だけは夫がハンドルを握った。
大阪へ向かうときも、いつも淡路島を過ぎるまでは私が運転し、本州に入る頃に夫へ交代する。
しかし二人旅とは違い、今回はやはり気を張っていたのだろう。肩こりもひどい。
帰り道はまだ続く。
食事のあと、サービスエリアの片隅で軽く体操をした。
見えるものが変わる
店内を歩くと、徳島らしく藍染めの商品がたくさん並んでいる。
そして、これまで気にも留めなかったお遍路用品が、自然と目に入るようになっていた。
ほんの一日歩いただけなのに、見る景色はもう少し変わっている。
ある品物を見つけて、職場の方の顔が浮かんだ。
「生命」ということを思い出して、またしばらく考え込んでしまった。

母たちの年齢になって
今日は母の日であり、義母の誕生日だった。
母と同じ5月生まれで、同い年。
母たちが今の私の年齢だった頃、私は25歳で、嫁いでいた。
もし今の自分に25歳の娘がいたら──。
そんなことは、どうしても想像がつかなかった。
お遍路をしていると、不思議なくらい時間の流れを考える。
直売所でいちごを買い、ささやかな誕生日プレゼントにして、再び車を走らせた。
心のアルバムにしまう
しばらくすると、突然視界が大きく開けた。
その瞬間だった。
大きな、とても大きな夕日が、目の前へ飛び込んできた。
「写真!」
慌てて助手席の夫に頼んだけれど、間に合わない。
あっという間に、その一瞬は過ぎてしまった。
「心のアルバムにしまっとこう」
妹さんがつぶやいた。その時かかっていた曲は、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」。
ドラマチックすぎるほど、美しい旅の終わりだった。

〈備忘録〉次の遍路に向けて
* 自転車遍路の人は、本当に速かった。体力。
* 外国のお遍路さんも多かった。でも、お賽銭を入れている場面は見かけなかった。海外ではどんな感覚なのだろう。
* 徳島道の一車線区間は、やっぱり少し苦手。何とかしたい。
* ベタ踏み坂は思った以上にきつかった。といってもきついのは私ではなく車。
* 水分は、あってもあっても足りない。
* 阿波市交流防災施設「アエルワ」、気になる。
* 山から煙が上がっていて、一瞬どきっとした。山火事の記憶は簡単には消えない。
* サンドイッチだけでなく、お菓子まで次々と出てくる。義父母らしい。
* 輪袈裟、帽子のひも、ショルダーバッグ、カメラストラップ。首まわりはいつも大渋滞。改善が必要。
* mont-bellのショルダーバッグは容量は十分。でも納経帳の出し入れはもう少し工夫したい。
* お線香を毎回15本数えるのが意外と大変。折れるし、何か良い方法を考えたい。
* 納札の日付は、みなさんいつ書いているのだろう。
* お金のことは、考え始めるときりがない。
* やっぱり歴史も地理も面白い。もっと学びたい。
* 自分のことは好きではない。それでも、この日は不思議なくらい自分自身のことを考えていた。お遍路というのは、そういう時間なのかもしれない。正直、やっぱり嫌だ。考えたくない。でも、節目の年齢にこの旅を始めようと決めたのは自分だ。その時点で、どこか心の奥では、自分と向き合う覚悟をしていたのかもしれない。

続く
