夏が近づくと胸が締め付けられる⚾️2年前の夏の出来事
夏が近づくと胸が締め付けられる
最近、SNSで流れてくる映像を最後まで見られない。
何気なく流れてきた野球の動画。
子どもたちが練習している姿。
見慣れた景色。
見慣れたグラウンド。
たったそれだけなのに胸が苦しくなる。
もう2年も前の話だ。
息子は立ち直った。
高校野球を続けている。
あの中3の夏は乗り越えたはずだ。
なのに、父親の私はまだどこかで引っかかっている。
最初はわからなかった。
なぜ苦しいのか。
何に怒っているのか。
何が納得できないのか。
最近ようやく言葉になってきた。
私は今でも、
子どもの夢を預かる立場の人が、その責任を果たしていたのだろうか。
その問いに答えを出せずにいる。
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2年前の夏。
息子は全国大会を目指していた。
エースで四番。
そしてキャプテン。
仲間たちと強豪チームを倒し、自分たちの力で全国大会への切符を掴んだ。
親として本当に誇らしかった。
子どもの頃から野球だけを見てきた。
朝も夜も練習した。
悔し涙もたくさん流した。
ようやく辿り着いた夢の舞台だった。
しかし全国大会を目前にして、すべてが終わった。
原因は子どもたちではない。
大人だった。
大人同士の問題だった。
その結果、チームは消えた。
全国大会も消えた。
子どもたちの夏も消えた。
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私は忘れられない。
部屋に閉じこもる息子を。
トレーニングをやめた息子を。
野球の話をしなくなった息子を。
あれほど野球が好きだった子どもが、
希望を失っていく姿を。
父親なのに何もできなかった。
ただ見守ることしかできなかった。
あの時の無力感は今でも忘れられない。
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もちろん指導者にも問題はあった。
その責任は問われた。
警察が介入し、
仕事を失い、
家族を失い、
人生が大きく変わった。
そこについて私は何も言うつもりはない。
自分の行動の責任を負ったのだと思う。
だけど、
私の中にはどうしても消えない違和感がある。
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その場所は誰が作ったのだろう。
あの野球塾は最初から立派な施設だったわけじゃない。
子どもたちが土を運んだ。
マウンドを作った。
夢を廊下に貼った。
その想いに心を打たれた人たちが機材を寄付してくれた。
何百万とかかるような作業を、
子どもたちは文句ひとつ言わずに手伝った。
日本一低いマウンドかもしれない。
でも日本一夢の詰まったマウンドだった。
私はそう思っている。
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だから苦しい。
その場所には子どもたちの汗が染み込んでいるから。
夢が詰まっているから。
青春が残っているから。
なのに今、その場所は何事もなかったように動いている。
SNSには楽しそうな映像が流れてくる。
その景色を見るたびに、
私はあの夏を思い出す。
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私は代表を憎みたいのだろうか。
そう考えたこともある。
でも違う気がする。
被害者だったことも理解している。
苦しかったことも理解している。
大人の事情があったことも理解している。
だけど、
どうしても心に残る。
大人同士の関係が壊れた時、
その代償を払ったのは誰だったのだろう。
全国大会を夢見ていた子どもたちじゃなかったのか。
部屋に閉じこもった息子じゃなかったのか。
人生を変えられた子どもたちじゃなかったのか。
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私は今でも答えが出ない。
子どもの夢を失わせる結果になった判断をした人が、
今も子どもの夢を支える立場にいることに、
どこか違和感が残っている。
これは私の考えすぎなのだろうか。
それとも、
人を導く立場に求められる責任について、
社会がもっと考えるべき問いなのだろうか。
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この文章を書きながら気づいた。
私は復讐がしたいわけじゃない。
ただ知りたいのだ。
子どもの夢を預かるということは、
どれほど重い責任なのかを。
大人の判断ひとつで、
子どもの人生は変わる。
大人の都合ひとつで、
子どもの夢は消える。
だからこそ問いたい。
指導者。
監督。
先生。
コーチ。
経営者。
リーダー。
子どもの夢を預かる立場の人は、
その責任を本当に理解しているだろうか。
私は今も、
あの夏を思い出すたびに考えてしまう。
