エウジェニオ・モンターレ『ドーラ・マルクス』 Eugenio Montale "Dora Markus"
初めてカメラを買ったのは17歳の時。なぜ写真を撮りたかったのか。それは自分の好きな女の子を永遠に自分のものにしたかったから。しかし、当時、女の子にレンズを向けたことはない。恥ずかしくて、暴力的な気がして。セルフタイマーを使い、ふたり並んで撮ったことはある。けれど、その女の子のポートレートを撮ることはなかった。そして永遠に自分のものにしたかった女の子とは、いつの間にか疎遠になってしまった。
好きな女性に詩を捧げることは、ちょっと違う。写真は自分だけのものにするのに対して、詩は自分の想いを伝える。その女性を神様のように思うなら、もちろん神様のように崇め、彼女を描写するだろう。ただそれは、相手を褒め称えているだけ。詩を書くことで、相手を詩のなかに永遠の存在として閉じ込めることではない。
しかし、自分が会ったこともない女性に捧げよと言われて書いた詩が、彼女を永遠の「存在」にしてしまった詩人がイタリアにいた。彼女について分かっているのは、足元がうつっているモノクロームの写真だけ。

その詩人はエウジェニオ・モンターレ。1976年のノーベル文学賞を受賞している。彼は一葉の写真、しかも膝から下の部分しか写っておらず、顔も表情もわからない女性を詩のなかに永遠に閉じ込めた。彼女の名はドーラ・マルクス。
ただ、彼女が実在の女性なのか、その写真の女性が本当にドーラ・マルクスなのか、モンターレ自身も、だれも確かめようがない。何故ってそれは、足下しか見えない写真であり、友達から詩をおくれと促された手紙しか残っていないから。
Ⅰ
コルシーニの港で、木の棧橋が
深い海のうえまで 突き出ているところ
まばらな人影が——ほとんど静止したまま——網を
沈めたり 揚げたりしていた あの場所で
きみは 手をあげ 対岸を
みえない きみの祖国を ゆびさした
それから ふたりは 運河に沿って
煤で白茶けた 町なかの波止場まで
歩いた 水溜まりには 力ない春が
記憶を喪って 沈んでいた
古代の生命が
東方の甘い不安に
身を染めつくす この町で
きみの言葉は 瀕死の
trigliaのように 虹となり 燦めいた
きみの苛立ちは 嵐のゆうべ
街燈にあたって落ちる 渡り鳥をおもわせた
きみのやさしさも また 嵐だったのだ——
逆巻いても 人には見えず
じつは まったく 熄むことを知らぬ——
疲れはてた きみが どうやって
この凍てついた
湖——それは きみの こころ——に
耐えてゆけるのか ぼくには わからない
口紅の棒と パフと
爪の鑢の すぐそばに
置いた あの きみの護符—— 象牙の
しろい ハツカネズミに 救われて
きみは 生きのびる

故郷を追われた一人の女性が、イタリアの港から祖国を見つめている。ときは第二次世界大戦の直前。目に見えるような暗い影が対岸から迫る。
詩は、第一部、第二部となっていて、その味わいや声は大きく違う。なぜだろう。それは書かれた時期が違うから。
詩を解題によって分かろうとするのはあまり好きじゃない。でも、モンターレみずから、もともとドーラ・マルクスの存在を知らされる以前に第一部を書いたことを示唆している。さらに第二部を書いたのは、それから十数年後。しかも他の女性をモデルにしたことも認めている。
ドーラ・マルクスって誰なのだろう。イタリアの詩壇ではずっと謎とされてきた。別にいいじゃないか、謎でも。ただ彼女は詩の中で命を与えられ、永遠を生きている。
だが ドオラよ きみの伝説は
黄金の額縁の 大きな肖像画の
誇らしく 弱々しい頬髭の
男たちの瞳に 書かれている
それは毀れた ハーモニカが
和音を奏でてみせるたびに
戻ってくる——夕暮れの時間に——
それも だんだんと おそくなって
そこに書いてあるだろう—— 緑したたる
月桂樹は 厨房でなら また
生きていられる 声は昔のままでも
ラヴェンナは遠く 残忍な
信条が ゆっくりと毒を醸している
あいつらは きみに なにを求めているのか
声も伝説も運命も 他人に譲れはせぬだろう
だが もう おそい—— どんどんおそくなる
この最終連を、イタリア文学者で翻訳家の和田忠彦も訳している。
そこにかいてある。いつも緑色した
月桂樹の葉が台所に
あるかぎり、その声は途絶えない、
ラヴェンナは遠く、したたり落ちる
毒は凶暴な信仰。
きみはなにをのぞむ? 譲れない
声も、伝説も、そして運命も……
でも手遅れ、いつだって手遅れ。

気になるのは、最後の一文。須賀敦子は「だが もう おそい—— どんどんおそくなる」と訳している。和田忠彦は「でも手遅れ、いつだって手遅れ」としている。
響きとしては、和田訳のほうが身にしみる。いつも手遅れ。後悔。悔恨。われわれは、いまこの瞬間を生きている。生きているつもりだけれども、万年筆で書いた文字のインクがすぐに乾くように、まさに瞬く間に過去になる。ああすればよかったのにと悔いながら、記憶を生きている。だが、ドーラにほんとうの「生」はあったのだろうか。
あらゆる表現は、自画像である。たしかにモンターレはドーラを詩にした。しかし、モンターレはドーラと会ったこともなければ、声を聴いたこともない。第二部には明確なモデルがいるとはいえ、ただ理想の女性像を描いたのではない。ドーラは「不在」ではなく「非在」。声にならない言葉を書くのが詩人であれば、そこにない声を言葉にしたのがモンターレだ。モンターレはドーラを思い出し、ドーラを語り、ドーラを生きている。
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