それでも人生は続く。生きることの切なさを問う――花澤薫氏著『すべて失われる者たち』を読んで
先にお断りしておく。
私は感想文やレビューが大の苦手である。たぶん、夏休みの宿題の定番だった読書感想文がいまだに尾をひいているのだと思う。なんだか「立派そう」にみえることを書かなきゃいけない、という呪縛が、いまだに足を引っ張るのだ。なんとも長いしっぽである。
花澤薫氏の『すべて失われた者たち』を拝読した。
先日、花澤薫氏主宰の「タイトルから書く文芸賞」で優秀賞をいただいた。
だから、というわけではない。
前から(といっても、花澤氏のことを知ったのはことしの2月なのだけれどそれ以来)、花澤氏の短編小説のとりこになっていた。
八百文字、千二百文字、二千文字の短編小説を多彩に書かれているのだが、そのいずれもが、この字数で! と驚くほど内容が深く、選ばれる言葉に無駄がなく、しかもスタイリッシュなのだ。
舞台は外国が多く、音楽や映画などがさりげなく効果的に用いられていて、おまけに散りばめられる雑貨や料理や小物の象徴性のある単語で、いっきに場面と関係性があざやかに立ち上がる。
ブランド名や曲名、映画のタイトルなどは、その一単語でイメージを共有できる。原稿用紙一枚を使ってつらつらと描写するよりもはるかに強くまっすぐに届く。
同じ力が地名にもあると思う。
イギリスが舞台になっている掌編が多いが。ウィンダミアとか、コッツウォルズとか、グラスゴーとか。訪れたことはないけれど、その響きだけで、たちまちのうちに現地へと跳ぶことができる。良質な翻訳小説を読んでいる気分になり、作者が日本人であることに驚く。
さて、『すべて失われる者たち』である。
「『生きることのミステリー』を描いた32の短編小説たち」と帯にあるように、どの作品も生きることの切なさを描いて胸に迫る。
たとえば、こんなふうに。
まだ何者にもなれずに人生の扉の前でうずくまる青年。
お互いに明かせない秘密を抱える夫婦のもどかしさ。
あることがきっかけで絶縁してしまった双子の姉たち。
生まれ育った島に帰った男が知ったやるせない事実。
才能があったのに家の事情で田舎にとどまったかつての想い人。
彼らの、彼女らの、ままならぬ人生が抑制の利いた筆致で静かに語られる。大きな物語があるわけではない。だが、そこにはいつも音楽が流れている。
前半22篇は登場人物も舞台も日本なのに、どこか翻訳小説の薫りがする。
なぜだろう、と何度か、行きつ戻りつして読んだ。
23篇目の「ブルック・キーツについて」を読んで、ああ、そうなのか、と納得がいった。
全32作品のうち、後半の10篇はブルック・キーツという無名で正体不明のイギリス人作家の短編小説の翻訳である。キーツはキーツでも、高名な詩人のジョン・キーツではない。「たった十篇をひそやかに発表し、いさぎよく姿を消した」作家らしい。グリニッジのフリーマーケットで、花澤氏はブルック・キーツの著作と偶然出会う。タイトルは、『すべて失われる者たち』
そこに収められた十篇はいずれも、人生のやるせなさを描きながら終わる、唐突に。
どの物語も終わっていない。むしろ、短いながらも物語が始まるまでの物語が紡がれていて、いずれわたしもこんな作品を書きたいと昂奮したのを覚えている。
そう、ブルック・キーツの短編につながる物語が、前半の22篇なのだ。
大きな余白を残すラストに、心がどうしようもなく持っていかれる。
わたし自身も物語を終わらせるのではなく、物語が始まるまでの物語を描きたいと思ってきた。
ここに描かれているのは、「始まりの物語」である。
物語の続きは読者に手渡される、まるでミステリーのような読後感と共に。
生きることはひと筋縄ではいかない。
そのことを思い知る珠玉の短編集だ。
おそらく、私は折にふれて読み返すことだろう。

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