ちょっとnoteを再起動
読むことは疲れる。
書くことはもっと疲れる。
僕は文章を読むのも書くのも苦手であり、本当に、苦しみながらやっている。
だけど好きではある。どうしてだか分からない。ひとまずそういう性癖ということにしておいて、久しぶりにnoteを使い益体もない文章を書いてみようと思う。
久しぶりとはいってもnoteに記事を投稿したのは3年前の一度きりで、そのときは森見登美彦先生の小説『熱帯』について語り合うオンラインイベントに参加するため、面倒な手順に従いnoteの世界に初めてログインしたのだった。
沈黙しない読書会。名前だけでもワクワクしたものだが、実際にとても面白いイベントだった。今でもアーカイブが残されており、有料で動画を視聴できるはずだ。(たしか)2時間ほどある動画の中盤で画面いっぱいにゆらゆら揺れている落ち着きのないオタクヅラが僕である。わざわざ金を出してまで確認する価値はない。でも読書会は総じてとても有意義でした。よい思い出、よい思い出。
『熱帯』とはとても懐が深く、読み手が、何かを書きたくなってしまう小説だ。「沈黙しない読書会を盛り上げるため皆さん自分だけの手記を持ち寄ってください」とのことだったので、参加された方々が実に様々な手記を用意して相当の読み応えがあった。
#わたしの熱帯
で検索すれば、note上に面白い手記がゴロゴロしている。小説『熱帯』と合わせて読めば、目眩がするほど没入できることだろう。
すでに冒頭で述べたように、読むことは疲れる。書くことはもっと疲れる。
そして僕は小説が好きである。読むのも書くのも好きである。
こうなってはもう、疲労困憊を背負って生き抜くしかない。
だがどうせなら、心地好い疲れ方をしたいと思う。
坂口安吾の随筆に『FARCEに就て』というものがある。安吾の思考のすべてに賛同するわけではないが、というか書かれていた内容をあまり覚えていないのだが、とても強く心に響いた一文がある。
言葉には言葉の、音には音の、色には又色の、もっと純粋な領域がある筈である。
これは真に僕が理想とするところなのだ。
安吾は何かを説明するための、つまりは代用としての言葉では実物に劣ると言った。だから言葉に、代用としての言葉を超える、言葉だからこそ到達しうる言葉固有の領域を求めるのだ。
こう書くと、なんだか高尚なことを書いている気分になってくる。まあ、安吾ほど深く考え込むつもりはない。せっかく書くことを選んだのだから、表現として漫画や映像に劣らないものを書きたいと思うのである。
……で、結局何を書きたかったのか初心に立ち返ってみると、なんかすさまじく脱線しているのに気づきました。軌道修正します。
noteを再起動してみた。
せっかくだから気が向いたときに何か益体もないことを書きたい。
だから過去に読んだ本を思い出して、読書感想文(ネタバレにならない程度のもの)でも書いてみようかなと考えてます。
気・が・向・い・た・と・き・に
読んでくださる方も気が向いたときに。
読むことが負担にならないように。無理はしないでくださいね。
僕はひとりぼっちでも書くかなと思います。
