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台湾の友人に再会したら、ギブが全然できてない自分に気づいた話


13年前にアメリカで出会った友人たちと、台湾で3年ぶりに再会した夜のことを書いている。

楽しかった。本当に楽しかった。なのに、帰り道に「なんか悲しくなってきた」と口にしていた。妻に向かって。

自分でも少し驚いた。



13年越しの再会

アメリカに少しいた時に出会った台湾人の友人たちがいる。もう13年の付き合いになる。(そんなに経ったのか、と自分でも驚く)

英語での会話なので、完全な意思疎通ができているわけじゃない。細かいニュアンスは伝わらないし、たぶん向こうも同じだと思う。

なんなら、自分の英語力は13年前がピークであり、その後は下り坂。

それでも、何かが通じ合っている感覚がずっとある。

3年ぶりに台湾で再会して、久しぶりにその感覚を思い出した。

会話の中身は大してまとまらなくても、一緒にいるだけで「ああ、この人たちとまた会えたんだな」という安心感があった。

財産だよね、こういう関係って。そう思いながら街を歩いた。


またご飯を奢られてしまった

再会の夜、ご飯を奢ってもらった。

いつもそうなのだ。会うたびに何かしらもらうし、食事はたいてい払ってくれる。今回も気づいたら全部やってくれていた。

「なんでそんなにギブしてくれるんだろう」と思いながら、素直にありがとうと言った。(と、聞こえはいいが、内心は少し居心地が悪かった)

帰り道に妻がぼそっと言った。「いつも、気ぃ使ってくれてるよね」と。

そうなのだ。彼らはいつでも気を使ってくれている。自然に、さりげなく。


「ギブができてないんじゃないか」という気づき

その夜、歩きながら口から出た言葉がこれだった。

「なんか悲しくなってきた。自分の小ささ、ギブができてないんじゃないかな・・」

言いながら自分でも少し驚いた。楽しかったはずなのに、なぜか悲しくなっている。

思い返してみると、確かにそうなのだ。彼らはいつも与える側にいる。自分はいつも受け取る側にいる。それが3年、5年、13年と続いている。

なんで逆ができないのだろう。

確実に、与えてもらってばかりだ。計算すると計り知れない。

でも彼らにはそういう計算が見えない。ただ会いたいから会う。会ったら全力でもてなす。それだけのことを、なんの気負いもなくやっている。


今をしっかり生きている、ということ

彼らのことを思うと、「今をしっかり生きている」という言葉が浮かぶ。

先のことをあまり考えていないように見える。(悪い意味じゃなく)アメリカやヨーロッパにはあまり興味がなくて、今いる台湾で、今の仕事で、今の友達と生きている。

40代になって、自分はどうだろう、と思う。

セミリタイアの計算をしている。いつ辞められるか、老後いくら必要か、どこに住むか。

ずっと先のことばかり考えて、今この瞬間に何かを与えられているかというと...... 正直、自信がない。

「全くもって未来を見てない、今を楽しむ。でもそれが幸せ」

そんな彼らの姿が少しうらやましかったのかもしれない。


全力でおもてなし、と決めた夜に思ったこと

帰り道、自分に言い聞かせるように決めた。

「東京に来たら全力でおもてなしをしよう」

当たり前のことだ。でも自分にとっては「決める」必要があった。
(自然にできていないから、わざわざ決めないといけない)

これが少し情けなくもあり、でも正直なところでもある。

13年間、どちらかというと受け取る側でいた。だからといって今から全部精算しようとするのは違う気もする。ただ、次に会う時には少し違う自分でいたい、とは思っている。

台湾に住んでみたいな、とも思った。そう思わせてくれる人たちがいる場所に、少し引き寄せられている。

ギブできる側の人間になれるかどうか、それはまだわからない。

#エッセイ #旅行 #海外移住 #40代 #人間関係

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