見出し画像

ショートショート 学習完了



2031年。日本列島は空前のロボット景気に沸いていた。

「フィジカルAI革命!日本の匠の技、ついにデジタル復活!」

テレビの中で経済評論家が興奮気味に叫ぶ。画面には、老職人の手の動きを0.001ミリ単位で解析するセンサーが映し出され、その隣で人型ロボットが寸分違わず同じ動作を再現していた。

トヨタ、パナソニック、そして中小の町工場まで。外資系AIスタートアップが全国を行脚し、工場の床に白いシールを貼り、天井にカメラを吊るし、職人たちに「未来への投資です」と笑顔で言った。

熟練工の田中義雄、67歳は最初は渋っていた。

でも政府の補助金説明会で担当者に言われた一言が効いた。

「田中さんの技術は、永遠に残ります」

義雄は誓約書にサインした。三十八年分の手の記憶を、差し出した。

学習期間は三年だった。

ロボットたちは黙々と動いた。熔接、研磨、組み立て、検品。義雄が若い頃に師匠から怒鳴られながら覚えた微妙な力加減を、ロボットは三ヶ月で習得した。義雄が十年かけて掴んだ「金属の声を聞く」感覚を、AIは統計的に再現した。

現場は活気に満ちていた。観光客まで見学に来た。「ニッポンの技術すごい」とSNSに上げた。

義雄も悪い気はしなかった。自分の技術が讃えられているようで。

2034年秋。

撤退の発表は、あっけなかった。

「日本市場フェーズ1、学習完了につき、オペレーション移管」

本社はサンフランシスコ。声明文はAIが書いた、滑らかな英語だった。

工場から白いシールが剥がされた。カメラが外された。ロボットたちが梱包されてコンテナに積まれた。義雄の三十八年分の手の記憶も、一緒に。

翌月、デトロイトの自動車工場で日本式溶接ロボットが稼働を始めた。

深圳の電子部品工場では、義雄の流儀で検品ロボットが動き始めた。

ドイツ、インド、ブラジル。「Made with Japanese Craftsmanship DNA」というロゴが製品につき、プレミア価格で売られた。

作ったのは義雄ではない。義雄に教わったロボットが、海を渡った先にいた。

2037年。

かつての工場地帯は静かだった。

後継者のいなかった町工場は、学習期間中に「効率化」という名目でリストラが進み、熟練工は散り散りになった。そもそも技術を次の世代に渡す時間を、誰も作らなかった。AIが全部覚えてくれるから、と言われていたので。

義雄は自宅の縁側で、孫のタブレットを借りてニュースを見ていた。

アメリカのロボット企業が今期最高益。

「日本仕込みの精度」が世界で爆売れ。

日本の製造業、三年連続縮小。人手不足と技術空洞化が深刻。政府、緊急対策本部を設置。

義雄はタブレットを置いた。

縁側の下で、雑草が静かに伸びていた。

田中義雄は何も言わなかった。

ただ、自分の右手をじっと見つめた。

もうどこにもない、三十八年分の熟練の手を。

その年、永田町では新しいスローガンが生まれた。

「モーションAI2.0で日本復活!今度こそ!」

いいなと思ったら応援しよう!

岩鷹サケスキーAI共作小説家 よろしければ応援お願いします!いただきましたチップは有意義に使わせていただきます。