それでも過ぎてく人生だ
【第8回 私立古賀裕人文学祭】参加作
テーマ「孤高の天才未満」
あなたはうんこを漏らしたことがあるだろうか?
私は27歳の夏、終電に乗った先で降りた無人駅の外トイレの扉の前で、初めてうんこを漏らした。パンツに溜まった便をトイレに流し、男女共用の手洗い場でパンツを洗った、全て無感情に。濡れたパンツは過呼吸対策用に持ち歩いていたビニール袋に入れて手に持ち、ノーパンで実家までの40分間を歩いた。ノーパンで外を歩くことをある程度は経験していたので、誰も通らない夜中の田舎の農道をノーパンワンピースで闊歩することなどお手のものだ。それから1年に1度のペースで外でうんこを漏らしている。
こんな調査を知っているだろうか。世の社長という地位に就いている人の8割が、うんこを漏らしたことがあるとういう結果が出た調査だ。人を束ね、人の上に立ち、社会を牽引している経済界のトップの人間は、ほとんどうんこを漏らしたことがあるのだ。逆に言えば、うんこを漏らす人間は大物になる素質があるのではないか。
それともう1つ、こんな調査があった。芸術大学に通う生徒のほとんどが、頭を強く打ったことがあり、それはその他の学問の大学生に比べると明らかに突出しているそうだ。
私は7歳の時に、姉が階段の上から落とした大きなオモチャが頭頂部に当たり、ホッチキスのような器具を2つ打ち込んだ。因みに私の姉は芸大卒だが、もちろん頭を強打した経験がある。しかも幼少期から数え切れないほど何度も。
上記のことから、私は芸術分野でなんか偉い人になれる要素を持っている。やったぜ。今のところは、高校卒業後の一般枠で公募に出すようになってからは何も成せていない。絵も文も。だけど私は創作を生涯趣味として続けると決めているので、まだまだ時間がある。趣味として続けていくために、ずっと創作のことを好きでいられるように、ライティング学科の推薦も断ったしプロの作家になりたいなんて思わないことにした。だから私はこれからも、自分以外の何もにも縛られず表現を生産していく。いつ終わるか分からない人生だけれど、創作が出来るうちは私は私でいられるような気がするのだ。
孤独は寿命を縮めてしまうほどに社会生活を営む生き物にとっては毒だ。しかし、芸術家にとって孤独は糧になる。そして芸術家の孤独は美談となり、ステータスとなる。
私は友だちが少ない。人間の友だちは殊更少ない。でも、だからこそ私は内省し、表現に固執し、創作に没頭できたのだと思う。
天才になる要素をはらんだ、天才にはなれない私。ひとりで私と向き合う私。私の1番愛しいところ。誰に認められなくても、誰に愛されなくても、私は私という孤高の天才未満を続けていくのでしょう。
