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雑記1383「『普通に』が普通じゃないワケはこういうことなのかもなぁ」

前にどこかで誰かのブログを読んで衝撃を受けたことがあった。


読んでるうちに、その人はオレと真反対っぽい性格の若者ってことがわかってきて、どうも杓子定規で弱々しい。
言ってることもまぁわかるし、ムチャクチャムカつくわけではないんだが、どうにも意見の落としどころが違うとこ行くもんだなぁと思って読んでた。

で、その人の衝撃の考え方なんだけど、それが、
「信用と感情は相反するものだと思ってた」
ってことだった。
つまり、感情をまったく見せずに、正しいことを正しく知っている理路整然とした人に信用は集まるものだと思っていた、と。だって正しいんだからと。
それがどうやら社会に出てみると、感情を出してる人のほうが信用されるケースが明らかに多い、と気づきはじめたのか、誰かにそう言われて目からウロコが落ちたのかは忘れたけど、とにかく、思ってたのと逆でビックリしたというのだ。

オレは「えーーーーーっ」ってなった。
いやいやいやいや、自分の好き嫌い以外で、いったいどう相手を識るんだ?

早速まったく逆のことを言うが、オレは自分の好き嫌いと、その人への信用度がさほどリンクしない側のほうの人間だ。たぶん。つまり、彼の言う正しいから信用されるべき、ってのはもちろん式の上ではわかるし、なるべくそうありたいとも思ってる。
だけど、世の中で人が人を信じたりついて行ったりする傾向を見てると、まったくそうじゃないことは明白も明白、明白りんこだぷー、じゃないか。

わかりやすいのは、我が子が罪を犯した時に、それを隠そうとする親とかだろうか。まぁ、信頼とはちょっとずれるけど、正しいかどうかなんてまったく関係なくなってくるって話で。それが親の愛…とは言わんけど、ひずむ可能性のあるものが、信用とか好きと思いとか、そういった類のものだろう。

見知らぬ人に一夜の宿を貸すか、って状況で、相手が本当に正しそうなのかどうかで量ったりするか? やっぱりそこは、直感であったり、第一印象、好感度、つまり信頼度はぶっちゃけ、好きかどうかにかかってる。

感情を見せないほうが信用が得られると思ってるって考えかたは、人間よりもロボットのほうを信じるってことと似たようなこと言ってるわけで。
精度、ミスの無さって意味では、ある程度優れた機械のほうが人間を上回るかもしれんけど、だからといってそのロボットを「信じてる」って感覚とはちと違うよなぁ。
当然感情を通してその人のなりが自然に現れるほうが信用はしやすいぜよ。

あ、で、これはその人を否定してるってわけじゃなくて(ま、してるのかもしれんが(笑))、自分もそういう異端な解釈をしてる概念があったりするんだろうなぁ、と思ったわけである。

弱々しいちゃん代表だった子供の頃のオレに、オカンは「1発殴られたら2発殴り返せ」と教え、オレはちゃんと洗脳された。法というものが無ければ、いまでも正しいと思ってるとこある。半分はな。
1発殴り返しただけでは、相手とイーブンになる。いやいや、おかしいだろ。こっちはなんの意味もなく理不尽な思いをしてる。なんでそんな意味不明なヤツと対等で終わらなあかんねん。別にオレは相手を殴りたいわけじゃないんだ。だからもう1発余計に殴る。ナメてこないようにもう1発足したっていいぐらいのところを2発にしてやってる…とまぁそんな解釈だわ。

いまのオレは、反対側の頬を差し出すようになったけどな。
んなわけあるか~。


どこまでいっても自分の正しさなんてのはわからんので、ネットで賛否両論出たようなニュースはたまに目を通すようにしてる。
そんな考えもあるのかー、って思う頻度は増えてきたような気はしてる。





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