【一日一言】貧富の差(草稿)
●はじめに
八月十六日 「貧富の差」
世の中の金の配分がよくないために、金の値打ちを知らない者が大金持ちであったり、金を活かして使おうとする人が一銭もなかったりする。
この世の中で金銭をまったく平等に分配することは到底できないが、少しでも貧富の差をなくして、人間の関係をよくしたいものである。
〈後土御門天皇御製〉
いたづらに かかぐる窓の 灯火を 蛍あつむる 人に見せばや
PHP研究所 『[新訳]一日一言 「武士道」を貫いて生きるための366の格言集』
著者:新渡戸稲造 訳者:岬 龍一郎
100年前も今も変わらないものですね。
もっと前からそうだったともいえますが。
●「勤勉じゃなきゃダメ」という事でもないのですが
現代日本は(良くも悪くも)資本主義でありますが、これは「頑張った人が豊かになる」ということで、むしろ「努力が報われないのはおかしい」という理念がそこにあるのかなと思います。
努力が報われる世の中であって欲しい気持ちは私にもあります。
専門の方から言わせればもっと厳密な定義づけができるかとは思いますが、私の「ざっくりとした」理解で、とりあえず話を進めさせていただきますね。
ご了承ください。
●諸行は無常ですから
これが行き過ぎると「お金がない者は生活が苦しくても仕方がない」という思考回路になりかねないので、それはそれで恐ろしく感じます。
なぜなら、いつどこで誰が「お金を稼ぐことができなくなるか」わからないのですから。
幸い日本では社会保障制度が整備させていますので、セーフティーネットに支えられて「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されている(現状をみてみるとそれが完璧に機能しているかどうか疑問に思うこともありますが)ということではあります。
●頑張りが所得に反映されないことだってありますよね
新渡戸先生が仰る通り、格差というものは(おそらく)完璧になくなることはないと思っております。
先述したとおり、「頑張る人や意欲の高い人」が「頑張らない人や意欲の低い人」と同じ生活水準であることを許容できないという風潮があるからです。
頑張る人が報われず頑張らない人が(相対的に)得をする、それは「不公平である」という見方もできるのかと存じます。
だからといって「頑張らない、やる気がない」人が不幸になれと願うというのも何か違うような気もします。
もっと恐ろしいのは「やる気があっても金銭面で不遇」な方まで責められるような風潮になることです。
●評価されるのはいいとしても
「私がこんなに頑張ってるのに、あの人は楽ばかりしてズルい」
という気持ちはすごく分かります。
でも、それぞれの環境や事情をまるっきり無視して「所得が低い」というだけで責め立てるのは「違う」と思うんです。
努力や貢献をしてそれが認められて裕福になるのはいいと思いますが、貧困にあえいでいる方々が「所得が低い」という理由だけで非難されるのは違うと思っています。
これは本当に個人的な感情にもとづいた意見ではありますが。
●相対的だからこその裕福
裕福か貧困か、というのも相対的なものでありますから、所得の低い方がいるから金銭面で裕福な人は「(相対的に)金持ちだ」と言えるのではないでしょうか?
不思議な物言いに感じるかもしれませんが、もし裕福な人がそれを自慢したとして、それは所得が低い方がいるおかげで威張ることができているのですよ。
だからといって所得が低いから偉いと言いたいわけでもございません。
●尊重しあえたら
所得が高かろうと低かろうと、それとは異なる価値観というものは確かにございます。
どういう境遇でも立場であっても、それぞれに尊厳というものはあるので、互いの価値観を尊重しあえるような人間関係が醸成される世の中であって欲しいと願うものです。
新渡戸先生が仰る通り、それがゼロになれとは望まないまでも、少しでも格差が縮小する世の中であって欲しいとも思います。
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