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【スッタニパータ より】犀の角のように(草稿)

●はじめに

仏教、仏典につきましては以下のような見解で述べさせて頂いております。
何卒ご容赦賜りますよう願います。

●スッタニパータ「犀の一角のように」

犀の一角のようにただ独りで歩め。

光文社『スッタニパータ ブッダの言葉』より

こちらは、スッタニパータという仏典を今枝由郎さんが現代語訳したものです。

今枝氏の訳はより日常的な言葉を用いているため、「読みやすい」という印象です。
それと、スッタニパータは「物語調」で記述されている章もあるので、ダンマパダのような「名言集」的な記述とはまた違った「楽しさ」があります。

現在少しずつ読み進めているところです。

●犀の角は一本なので

前回の記事で「ひとり楽しめ」ということを取り上げましたが、本当はもっといろいろ述べたかったのです。
ただ、話があちこちに飛ぶのもどうかと思い、程々にさせて頂きました。

今回取り上げたスッタニパータにおいては35偈から75偈まで「犀の角」の一節が続いています。

引用した「犀の一角のようにただ独りで歩め」という文でそれぞれの一節が終わります。
ですから、「詩」を読んでいるような楽しさもあります。

犀の角は一本なので「独立独歩」で「道」を歩みなさいということを説かれています。
ここでは「執着しない」ということを具体例を挙げながら書き連ねている、と思われます。

その範囲は身体的な感覚から事物、人間関係に至るまで様々です。
それゆえ、一節ずつ、40ほどの文節を用いて数ページにわたり続いていきます。

●ひとつだけ違う一節(偈)

ただ、一つだけ「犀の一角のように~」で終わらない一節があります。

45 熱心で、心が堅固で、あらゆる危険に打ち勝とうとする友人を得たならば、心弾ませ、意識の覚めた状態を保ちながら、彼とともに歩め

光文社『スッタニパータ ブッダの言葉』より

「ただ独りで歩め」という文調が続くなかでひとつだけ「彼とともに歩め」と結ぶ一節がこれです。
つまり、「こういう友人」ならいいよ、というお釈迦様のお墨付きの人物像があるということです。

お釈迦様も「サンガ(僧の集団)」は「三宝」のひとつとして挙げていらっしゃるので、「気の合う仲間」というのはそれだけ貴重なものということであります。

※「三宝」は「仏(ブッダ)」「法(ダルマ)」「僧(サンガ)」です。
「ブッダ」はいわゆる「目覚めた人」、「ダルマ」は仏典で説かれているような「真理」、「サンガ」はブッダに帰依した出家修行者の集まり、といった所です。

こう述べてしまうと、何だか俗っぽいですね。
この記事を書いている人間が俗物なのだから仕方のないことですが。

●適切な人付き合い

このスッタニパータ35偈から75偈までの「犀の角」について読んでいくと「適切な人付き合い」のヒントがあるように思えるのです。

基本人には執着しない、でも「気の合う信頼できる仲間」とともに「道を歩む」という在り方。
「依存」ではなく「共に歩む」ということ。

いずれにせよ「執着しない」のですから、媚びへつらったり抑えつけるような事をせず、かといって拒絶するわけでもない、といった人付き合いになっていくのかなと思う次第です。

ただ、言うだけ、文章にするだけなら簡単なんですが、「実践」となるとそう簡単な話ではないと、経験上痛感するところではあります。

惑わされないためにもまずは「ひとり歩んで」、「自己をととのえ」それから(もし見つかるか居るかしたら)気の合う仲間たちと「ともに歩め」ということかなと。

締まらない話で恐縮ですが、とりあえず思う所を述べさせて頂きました。

「ひとり」ということについてより詳しく丁寧に書かれている書籍です。
私も読んで勉強させて頂いております。

著者塩川さんの記事をnoteで読むことができますよ。

ちなみに私は「Kindle Unlimited」で読ませて頂いております。
月額980円ですが、私個人としては「かなり得」しています。
参考までに。

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根無し草の根 ここまで読んでいただきありがとうございます。 少しでもいい記事が書けるよう精進致します。 ※誤字・脱字等ございましたら、お手数ですがコメントにておしらせ頂けると幸いです。