常識というのは恐ろしいものかもしれない(草稿)
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」
~アルベルト・アインシュタイン~
「常識だろっ!」
という言葉は、価値観の押し付けになりかねないです。
なんせ、「偏見のコレクション」を押し付けている行為になってしまう危険があるからです。
人によっては、場合によっては、相手や周りを慮るあまりつい語気が強くなることもあるかもしれません。
法治国家においては、法を犯すような行為は(一部の例外を除き)非常識といえそうです。
たとえば、繁華街を全裸で疾走している人は非常識と言っても良さそうです。むしろ通報するのが常識的な行動かと。
ただ、原始時代において服飾の文化がない所では、全裸で疾走は当たり前のことで、むしろ狩りに精勤している働き者かもしれません。
私などは、つい自分の価値観が正しいものと信じ込み、そこから「外れていると感じる事」を非常識と断じてしまいます。
それに賛同する方が多ければ多い程、「我こそが正義」という所まで自惚れてしまうのです。常識どころかそれが正義にクラスチェンジしてしまう、恐ろしい現象が起こります。
正義の名のもとに、価値観どころか偏見を数の暴力で押し付けるというのは、された側からしたらそれはそれは恐ろしいものです。
偏見を押し付ける側にも押し付けられる側にもならないよう、自分と違う偏見コレクターさんの声にも耳を傾ける姿勢は持っていたいものです。
また、私も私の偏見コレクションを見せびらかして「どう?すごいでしょ!すごいって言え!!」とならないようにしたいものです。
…はい、気をつけます。
押し付けにならないように…。
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