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🤱ストリートスタイルを通った普通の人間

世の中の普通が、死ぬほど欲しかった。
特別になりたかったわけじゃない。
強くなりたかったわけでもない。
ただ、安心して生きられる場所が欲しかった。

もし子どもの頃、
穏やかな実家があって、
理由を聞かれず、責められず、
そこにいていいと思える場所があったなら。

ただ、安心して生きられる場所が欲しかった。

帰れば「おかえり」と言われる家、
理由を聞かれず、責められず、
そこにいていいと思える場所。

けれど、私の実家はそういう場所ではなかった。

母から渡されたのは、
「子どもだけは絶対に産むな」という避妊薬で、
味方を装った言葉のかたちをした脅しだった。

「おばあちゃんを殺しても、
裁判では啓ちゃんは悪くないって言ってあげるから!」

そんな言葉が、
保護でも冗談でもなく、
家族の会話として存在していた。

80年代、
私を階段から突き落としてくれたら
マック(パソコン)を買ってあげる。

そんな取引が、
妹と母の間で、現実の言葉として交わされていた。

ここでは、
生きることより、
私が壊れることの方が軽かった。


私はたぶん、
売春もしなかったし、
ドラッグもしなかったし、
刺青も入れなかった。
気のいい、どこにでもいる奥さんになっていたかもしれない。

それは今でも、少しだけ夢想する。



現実はそうじゃなかった。
だから私は、ストリートで生きるしかなかった。

実家がどうだったとか、
風俗がどうだったとか、
DVがどうだったとか、
そういう話を並べれば、
いくらでも「悲惨な物語」は作れる。

でも、人生はそんなに単純じゃない。

底辺から世界を見る目線は、
そこで身についた。
正確には、身につけざるを得なかった。

やるか、やられるか。
生きるか、潰れるか。
それだけが、選択肢だった時期がある。



そのストリートスタイルの人生で、
私は四人の息子を産んだ。

事情や順番の話は長くなるから書かない。
ただ一つだけ確かなことがある。

私は、息子たちが大好きだ。
心から、愛している。

長男は、
私が鬱で寝込んでいた時期を、
何も言わずに一緒に引き受けていた。

16歳のとき、
コンビニでCCレモンを買ってきてくれた。
「身体にええかどうかは知らんで」
そう言いながら。

梅のおにぎりも一緒に。
「これも身体にええか知らんけど、ましやろ」って。

ある日は、
海鮮丼を作ってくれたこともある。

あのとき、
どれだけ感動したか。
今でも、はっきり覚えている。



次男が16歳のとき、
はじめてバイクの後ろに乗せてもらった。

18歳で免許を取ったとき、
はじめて助手席に乗せてもらった。

風の感じや、
景色の高さや、
「あ、この子はもう私を運ぶ側なんだな」
という感覚。



三男は、
家の空気が重くなりすぎる前に、
ふっと笑わせる役を自然にやっていた。

末っ子は、
私が強がっているときほど、
一番よく見ていた。

四人とも、
私を救おうなんて思っていなかったと思う。
ただ、そこに生きていただけだ。

でも結果として、
私は何度も、
息子たちに生き延びさせてもらった。



子どもの父親たち――
正確に言えば、その男という「人間」の存在が、
私に宝物をくれた。

息子たちだけじゃない。
その旦那たちを産んでくれた母親、
その父親、
さらにその前の世代。

ご先祖様、なんて言い出すと
宗教くさくなるから、
そういう言い方はしない。

ただ、
命が命をつないできた事実に、
敬意を払えるようになった。



昔はよく言われた。

「自分を大事にしなさい」
「自分を愛しなさい」って。

正直、意味がわからなかった。

親にも愛されていないのに、
どうやって自分を愛するんだろう、と。

私はそこを正面からは通らなかった。

自分を愛する前に、
誰かを守って、
誰かの生活を回して、
誰かの未来を信じた。

そうして気づいたら、
ここまで来ていた。



私をここまで組み直してきたのは、
ブルーハーツの曲で、
歌詞で、
音楽で。
本で。
友達の、ふとした言葉で。
西成の飲み屋で、
たまたま隣に座って一緒に飲んだおっちゃんの一言で。


誰かに救われたというより、
何度も、
再構築されてきただけだ。



もし、安心できる実家があったら。
もし、普通の子ども時代があったら。

私は、
もう少し柔らかくて、
もう少し世界を信じていて、
その代わり、
今ほど深くは見えていなかったかもしれない。

でも今の私は、
普通を諦めた人間じゃない。

普通を作る側に回っていた人間だ。



子どもの頃の夢は、
お嫁さんになりたい。

お嫁さんにはなれなかったけど、
お母さんにはなれました🎶

世の中の普通が死ぬほど欲しいと思っていた少女は、
ストリートスタイルを身につけた以外は、

普通に

お母さんとして
お婆ちゃんとして
52歳の師走を迎えている。

思っていた
お嫁さんにはなれなかったけど

お母さんにはなれました🎶

それで、ええやろ😉

私はバンドブーム真っ只中世代。団塊ジュニア、就職氷河期世代。平成元年中学卒業生。原体験はここ。


夜の街あるあるすぎ話題の漫画
「みいちゃんと山田さん」

実家での話はここ👇


般若&KOHH(千葉雄喜)
「家族」


同世代に、
SHINGO★(西成)というラッパーがいる。

彼は西成生まれ、西成育ち。
私より一歳年上の、同じ時代を生きてきた人間だ。

30歳になるまで福祉職に就いていた。
炊き出しへの参加も、
「支援活動」というより、
日常の延長線上にあったと聞いている。

30歳を過ぎてから、
ラッパーとして本格的に活動を始めた。
今は母親の介護をしながら、
音楽を続けている。

生活と表現が分断されていない。
語るために現場へ行ったのではなく、
生きてきた場所から、
そのまま言葉が出てきている。

西成で生まれ育ち、
福祉の現場を通り、
家族を抱えながら、
今もラップを続けている。

それは、
「ストリートを通った普通の人間」
という言葉が、
決して比喩ではないことを示している。

特別になろうとしなくても、
派手な成功がなくても、
生き方そのものが、
すでに語っている人間がいる。

この曲
**「To Be With You」**は、
そういう人生の延長線上にある音楽だと思っている。


ザ・ブルーハーツもSHINGO★西成も応援歌。

もしこれを読んで何か、感じるところがあれば幸いです。

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