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葉月の宮地嶽



🌻 福津市・宮地嶽神社へ、月初参拝に出かけた。
5年前に移住してから、ほぼ毎月のように義姉と訪れている恒例行事である。noteにも毎月記事を書いている。この日は朝から猛暑のためか、いつものような賑わいはなく、静かな境内をのんびり散策することができた。

ガラスを滑り落ちる清らかな水と夏の花が美しい「花手水」。
参拝者たちが無病息災や厄除けの祈りを込め潜り抜ける「茅の輪」。
奥の宮へと通じる参道に響き渡る一万数千個の「ガラス風鈴の音」。

宮地嶽ならではの夏の風情を堪能する。

ところがこの日の参拝の最後に、思いもよらない出来事が私たちを待ち受けていた。





🌻 その舞台となるのは本殿ではなく、八社ある奥の宮のひとつ「不動神社」。多くの参拝者で賑わう本殿から裏手へと進み、緩やかな斜面を10分ほど登った先にある。

ここはいつ来ても閑散としている穴場。しかし、実はこの場所が宮地嶽神社発祥の地であり、以前から最も強い「気」を感じる場所でもある。

不動神社の社殿は、約250〜280年前(江戸時代中期頃)に起きた土砂崩れで偶然発見された横穴式石室古墳の入り口に建立されている。古墳そのものは、6世紀末から7世紀前半、つまり古墳時代後期に造られたものだ。

内部には、ひとつの重さが数トンから20数トンの巨石が数十個並べられている。これらは約7km離れた対岸の島から切り出し、船で運ばれ、丘の上に築かれた。この運搬方法は未だ解明されていない大きな謎だ。

古墳がいったい誰の墓なのかも不明のまま。
国宝の金銅製の大太刀や豪華な馬具、ガラス板など、当時の最高峰の工芸品などが多数発掘されていることから、古代この地域一帯を統括し、東アジアとの交易を握っていた「大豪族の首長の墓」という説が有力視されている。


不動神社・拝殿
入口から中に入ると、すぐに石室が現われる
不動神社・横穴式石室古墳内部
宮地嶽神社HPから引用




🌻巨石で囲まれた特異な空間では、神主からお祓いを受けることができる。宮地嶽神社本殿で執り行われている厳かな神事に比べると、この不動神社での神事は圧倒されるほど激しい。

古代の人々にとって、巨石で囲まれた石室は「死と再生の境界」として捉えられていた。
光の届かない暗い空間は、いわば母親の「胎内」。この中に入ることは、「古い自分」の死を意味し、「新しい自分」となって生まれ変わるための再生の儀式となる。

最近投稿した記事にも書いたように、先月は北九州での大きな祭りを見る機会があった。
動と静が織り成す神事が、人間の生命力に深く影響を与えることを実感したばかりだったこともあり、このような特殊なお祓いは、なおさら興味深く味わうことができた。




🌻 お祓いを受ける前に、参拝者はまずロウソクと線香に火を灯す。
不動神社は名前の通り「不動明王」をお祀りしている神仏習合色の濃いお社。不動明王は、燃え盛る炎と剣によって、人間の迷いや煩悩、病魔を断ち切り焼き尽くす尊格である。

神道の伝統的な二礼二拍手一礼ではなく、参拝者が自ら火を灯す行為は、お祓いを受ける前の「身祓い」を表している。自分の祈りや願いを炎のエネルギーに託して天に届ける作法だ。

儀式が始まると、神主の手によって太鼓が打ち鳴らされる。
始めは静かにゆっくりとしたリズムで大祓詞おおはらえことばが唱えられる。やがてその音は吹き荒れる嵐のように激しさを増していく。

直接的な音と巨石の反響音が相まって、石室全体が「大祓詞」の波動そのものになる。その圧倒的なパワーに、自分の頭の中に渦巻く思考・感情は瞬時に完全停止せざるを得ない。煩悩や邪気は打ち砕かれ、瞬く間に粉々にされてしまう。意識だけが辛うじて頭の中心に留まる。

やがて祝詞が終わると、しーんとした石室古墳ならではの深い静寂が訪れた。

そこに神主が振るう「神楽鈴かぐらすず」の音が頭上から降り注ぐ。

「しゃんしゃんしゃん」

その高音の澄んだ音色は、神道において「神霊を招き寄せる」あるいは「空間の微細な穢れを祓い清める」という意味がある。目の前で神主が打ち鳴らしているにもかかわらず、身体の周囲360度から音が聴こえてくる。全身が涼し気な音のシャワーを浴びているような不思議な感覚を味わった。


(2024年6月)




🌻 人間の身体を感じる時、あたかも太陽の周りを地球が回るように、あるいは原子核の周囲に電子が広がる場があるように、内部には存在の中心にある「不動」の「心」と、その周囲を取り囲む「身体」という「動」が、一体となっているというイメージが思い浮かぶ。

大祓詞とは、この人間の内部空間に滞っている不要な思考・感情エネルギーを解放する道筋を言霊によって指し示す儀式ではないかと思う。

その解放プロセスは、大祓詞の中に次のような例えとして描かれている。

科戸しなとの風(強風・神風)」が空に広がる幾重もの雲を吹き飛ばすように。

 朝霧・夕霧を、朝風・夕風が一瞬で吹き払ってしまうように。

 港に繋がれていた大きな船の、舳先へさきと船尾のロープを解き、大海原へ悠々と押し出すように。

 遠くの生い茂った樹木を、鋭く研ぎ澄まされた鎌で一気に綺麗に刈り払うように。


「大愛と調和」の原理を指し示すことによって、不調和な想念は浮き上がり、翻弄され、刈り払われ、鎮められる。

しかし「祈り・願い」を現実化するためには、浄化だけでは足りず、さらに現状の停滞を打ち破る「起爆力」が必要になってくる。その力はやがて「決心・情熱・行動力」となって表面化する。

激しい太鼓の響きが身体を揺さぶり、血流と気流を一気に循環させる。
身体の底に眠る生命力は否が応でもノックされ、全身へと広がっていく。

このようにして、「大祓詞・太鼓・神楽鈴」という三つの音の波動が石室という構造によって増幅され、四方八方から降り注ぐ儀式が終わる。

不動神社には、神仏習合の叡智が凝縮された形で残されている。ここには日本の古代祭祀の真髄がまだ生きているのだ。


(2026年3月)




🌻 一緒に参拝した義姉は、若い頃に父親が興した会社を引き継ぎ40数年になる。この月初参拝も同じ年数継続している彼女の恒例行事だ。
しかし70歳を過ぎた頃から体調を崩し、この数年は足腰の痛みで一度に数百メートルしか歩けない毎日を送っていた。

この日も、本殿での参拝を終えたあと、不動神社までの階段や坂道を登ることを躊躇していた。

「今日はこの辺で帰りますか」と尋ねると、
彼女は少し考えてからこう言った。
「せめて風鈴の音を聴いてからにしましょう」

義姉は杖をつきながら、ゆっくりと歩みを進めた。
途中何度も立ち止まっては、鎮守の森を眺めたり、風鈴の音に耳を傾けたりした。
何とか不動神社まで辿り着くことができた。
そして「お祓い」を受けた。

驚くべき出来事がやってきたのはその後、参拝を終えて駐車場へ戻る帰り道でのことだった。

突然、義姉は身体の痛みが消えていることに、はたと気づいた。
杖に頼らず、すたすたと自力で歩いていたのだ。

私たち二人は顔を見合わせ、ただ驚くばかりだった。

かつて宮地嶽神社が建立される前、古代の自然崇拝がこの地で営まれていた頃、信仰の対象は目の前にそびえる「宮地山」だった。
その霊力の真髄が、この山から湧き出す原初的な生命力であるとするならば、その大愛と調和の波動は今日においても衰えることなく、この山に息づいていると言える。


宮地山



🌻 その日の出来事を振り返って思うことがある。

神社参拝、お祓い、祈り、そしてパワースポット。それらは確かに私たちの幸福実現にとって重要なことだ。

しかしその上で、複雑な情報化社会を生きる私たち現代人にとって、豊かな生命力を回復させ、健康的な心身を取り戻すために最も大切なこと、それは「大地に足をつけて生きる」という生存の基本的な真理に立ち返ることではないかと思う。


 🌻



福岡県福津市・宮地嶽神社と奥の宮八社




第二の輪(無病息災・家内安全)


第一の輪(身清め・浄化・除災)


第三の輪(悪疫退散・心願成就)































Lament
中村由利子



まだまだ暑い日が続きますが、どうぞご自愛いただき、心穏やかな夏のひとときをお過ごしください。

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燿 (hikari) 🐭🐮🐯🐰🐲🐍🐴🐑🐵🐔🐶🐗😽🐷