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ドゥルパドのシステム

ドゥルパドは、インド音楽の最古の形式をいまだに残す音楽のジャンル。

ヨガのように、アーユルベーダのように古くから続いた音楽で、サーマヴェーダの詠唱法から発達した歌い方なので、語弊を恐れず言うならば、楽しい感じのものではない(私はある意味、楽しい)。マントラのように声にはバイブレーションがあり、キーは低く、呼吸のスピードは眠りのように深く、長い。その為、神聖さや落ち着き、瞑想的な音楽と言える。

様々なラーガ(インド古典旋律)から時間や季節、効能を考慮し、一つ選び、基音から順に一つ一つの音程を紹介するように組み合わせ、バリエーションを作りながら歌っていく。そこに、そのラーガにおける、特徴的動き形も要所要所に入れ込んでいく。

まずは、自分のキーのタンプーラが鳴る。

次元を開くマントラやオームを唱えることで始まっていく。

アーラープ
ゆったりとした部分。その人の呼吸の長さがフレーズを決めていく。約17分から25分。

ジョル
アーラープと同じシステムで音を一つずつ出していくが、リズムが生まれる。一定のリズム感があるアーラープでもあり、一ビートが半分になるリズムが入ってくる。10分から15分。

ジャラ
ジョルの半分のリズムサイクルで刻まれるメロディ。ガマックやウダックが入り、音量にアクセントをつけることで変則的リズムを作ることもできる。5分から8分。

このあと
パカワジの伴奏が入り、
そのラーガにて、歌詞のあるバンディシュと呼ばれる曲を歌い、その途中に即興ウパジをいれ、パカワジソロをいれながら、一曲を終える。
チョータールと呼ばれる12拍子、スールタールやスールファクタ10拍子、サーダラも10拍子だ。あとティヴラは7拍子。ダマールは14拍子。それぞれ味わいが全然違う。まれに、ルドラタールの11拍子や、マッタタールの9拍子、ブランマタールの28拍子もある(歌う場合)。パカワジだけのソロの場合は、もっと複雑なリズムをみかける。ラクシュミとか、18拍子。

歌は古いヒンディー語で、だいたいBraj 語。


なにしろ、アーラープ、ジョル、ジャラまでは完全にお客さんを無視というか笑、エンターテイメント音楽ではないので、見るべきところは無いというか笑笑、歌い手は目を閉じていたりで、見る事とは関係ない世界で繰り広げられてる。お客さんも一緒に瞑想する感じ。にこやかに愛想を振り撒きながら歌う感じではなく、歌の瞑想を目撃している感じ。ならば、聞き手も同じ境地に入り、ナーダ(音)と並走するほうが面白い。都合、みんなで上の方で繋がってるので、視覚的三次元には誰もいない感じになる。

ドゥルパドの楽しみ方を知らない人ばかりのコンサートなどでは、もちろん語りかけるように歌う人もいる。キーの高い人もいる。私たちもドゥルパドを現代に残していく為、音楽家として生き残るために、それぞれの目的に合わせて、試行錯誤しては、少しずつ、パフォーマンス化している。

私自身も、自分の修行のため、癒しの時間のため、世の中に紹介するため、近代のPA特性などに応じて、スタイルを変えて来た。

もともと、神との対話から生まれてるので、華美な化粧やサリーは必要なのかどうか?とも思うが、格式のあるコンサートでは、やはり必要だったりする。

インドでのいい声と外人の好きな声とも違うし、そもそも、エゴレスの面を考えれば、神の好きな音であるべきで、それはなんなのか?から始まり、神とは何か、本来の自分の声、ひいては、自分のあらゆるレベルでの本音と向き合うことになるのが、私の歩いて来たドゥルパドだ。

純化し、仮面が無くなり、社会不適合な本質が現れることもあるのは、しょうがない。その先にある、魂の本質、戻る場所。そんなのが知れるのがドゥルパドだ。


一緒に歩いてみないか?

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