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AI時代に育つ・育てるとはどういうことか

AI時代に若手を育てるとはどういうことか。若手自身がどう育つのか。この本質的な課題について、いまの自分の考えを整理したいと思います。

私はAIが前提ではなかった頃にスキルを磨いてキャリアを積み、AI時代に突入できた幸運な立場にいます。これまでのやり方が今後も通用するかは分かりません。若手を育てるという課題は、組織を育てる上ではとても重要なことですが、AI時代の最適解はまだ見つかっていません。

ただ、この課題から逃げずに考えることが重要だと捉えています。そのため、現時点でも自分の思考を整理するために筆を取ることにしました。

AI時代の育成ジレンマ

現在は事業を動かす立場で仕事をしています。AIを活用して爆速でアウトプットを生み出す環境を整えました。旧来のやり方では想像しにくいスピードでものづくりを進め、トラブルにも即座に対応できています。

かつてならこうした働き方やスピード感は出せなかったはずです。それでも初めての領域で成果を出せているのは、長年積み上げたナレッジがあり、それをAIがブーストしてくれているからです。もし若かった頃(未熟だった頃)の自分が今と同じやり方をしたとしても、結果を出せなかったでしょう。

だからこそ、これからこの領域に入る人たちをどう育成するかが課題です。業界に足を踏み入れたばかりの人たちが、AI時代に育ちながら業務を進める上で、どこに落とし穴があるのかを想像し続けています。

また、私は二児の父親です。子どもはまだ小学校に入っていません。彼らが学ぶ頃にはAIが学習のあらゆる場面に入り込んでいるはずです。宿題の答えを得るだけならAIは一瞬で返してくれますが、それだけで満足してしまうと意味がありません。難しい問題に直面したとき、自分の頭で解決までの筋道を立てられるようにするには、簡単な課題でも手を動かし考え抜くプロセスが欠かせません。

小さな問題こそ、理解を丁寧に積み上げておかねばなりません。ここで楽を覚えてしまうと、いざというときに頭の中に解決の道筋が残りません。私が子どもだった頃、学生だった頃、社会人として育ててもらった頃と同じ学習フレームワークは使えません。AI時代に適応した新しい学び方を見つけ、育っていく必要があります。上司や組織づくりを担う立場としても、育成の枠組みを更新しなければなりません。

タイパの中毒性と失われるもの

ここで頻繁に話題になるのが「タイパ(タイムパフォーマンス)」です。かけた時間に対してどれだけアウトプットを得られるかという指標は、若い世代に広く浸透しています。短い時間で成果を出したいという感覚自体は自然で、私もビジネスでインパクトを出すためにタイパを意識しています。

ただ、タイパは快感を伴うため、中毒性があります。AIが期待通りに動くほどもっと頼りたくなり、指示の出し方に慣れるほど結果が出るので、心地よさに浸り切ると本質的な理解が伴わないまま進んでしまいます。タイパが良いときの高揚感は一種のご褒美に感じられ、さらにショートカットを探したくなるのです。その状態で思考を止めてしまうと、後で大きなツケを払うことになります。

タイパ自体を否定するつもりはありませんが、短距離走だけで持久力を鍛えられないのと同じで、思考の筋肉は時間をかけないと鍛えられません

ログを読み込む前にとりあえずAIに相談し、提示された手順をそのまま適用してしまうとします。目の前の問題は解決したように見えても、AIが誤った解決策を提示したとき、あるいはAIでは解決できない問題に出会ったときにどう対処するのでしょうか。

たまたまクリアしただけで何も身についていない状態は、短期的には表面化しなくても、必ず限界を迎えます。「後で落ち着いて中身を深掘りしよう」と思っても次の仕事はすぐにやってきます。現場は常に忙しく、落ち着いて振り返る余裕は多くありません。最低限の裏取りだけして次へ進むうちに、気づけば理解の棚卸しをする機会が失われていきます。

だからこそ問題に直面した瞬間に、自分の手と頭で取り組むことが必要です。私は何度も「今を逃すともう振り返れない」と痛感してきました。緊急で猶予がない場面では応急処置も必要ですが、その処置がなぜ妥当なのか説明できなければ根本的な解決には至りません。場当たりの対処で乗り切ったと思っても、理由を忘れたままでは同じ箇所で再発します。

新人がトラブル対応でタイパを優先し、AIに支援を求めたケースを考えてみます。経験のある人間(例えば上司)が最終確認をすれば多くの場合は問題なく進められます。長年の経験があるのでAIの提案の良し悪しを直感的に判断できます。しかし、その過程で深掘りの時間を十分に確保できず、知識として血肉化しないまま次に進んでしまうことがあります。実際、私自身もそう感じてしまうことがあります。経験者ですらそうなのですから、若手にとってはなおさら危険です。

同じ行動を若手が取った場合、結果だけ見れば問題が解決したように映るかもしれません。上司もざっと見て問題なさそうだと判断し、組織としてもそのまま前に進むでしょう。しかし若手本人には「AIに任せれば何とかなる」という感覚だけが残り、なぜ解決できたのかという理解は蓄積されません。短期的には成果が出ていても、長期的には知識が身につかず、いざというときに立ち行かなくなります。表面上はOKでも、内側が伴っていない状態が積み重なると致命的です。チェックする側の信頼でギリギリ成立しているだけで、本人の蓄積はゼロに近い。

コンテキストを渡す力

難しい課題を安定して解決できるのは、やはり経験を積んだシニアです。問題の解像度を高く保ち、AIに渡すべきコンテキストを的確に整理できるからこそ、AIの力を引き出せます。AIを使いこなすには、AIに渡す情報の質を高める力が欠かせません。この力は地道な学習と経験の積み重ねで培われます。

上司が持つコンテキストをどう部下へ引き継ぐか。上司が自分でAIに指示を出して結果を得た方が早いのに、それでも部下に任せるのは育成と責任の共有が目的だからです。部下が依頼をAIに丸投げし、その答えをそのまま返すだけでは期待に応えられません。上司が目を通しているという信頼があるから成立しているだけで、本質はまったく身についていないのです。レビューに通った瞬間は安心しても、次の案件で同じ壁にぶつかれば簡単に詰まります。

依頼する側と依頼される側の双方が、この前提を理解する必要があります。自分より詳しい人がやった方が早いと分かっていても任されるのは、そこに理由があるからです。スキルを身につけてほしい、思考の作法を経験してほしい、仕事の重みを感じてほしい。そうした意図を受け止めたうえでAIをどう活用するかを考えることです。最終的に上司がレビューする手間は変わりませんが、プロセスを踏んだ成果物と丸投げの成果物では中身がまるで違います。レビューで通ったとしても、本人が理由を語れなければ次につながりません。以下のリンクでもそのような課題が提唱されています。

実はこうした構図はAIが登場する前からありました。ファーストキャリアのSIerでは、若い頃から要件定義やプロジェクトマネジメントといった上流工程を担当し、設計や実装といった下流工程はビジネスパートナーや海外のオフショアに依頼する体制が一般的でした。

パートナーに丸投げする若手もいれば、自分にできることを整理し、足りない部分だけをお願いする若手もいます。信頼を得るのは後者です。パートナーは優秀なので依頼された仕事はこなしてくれますが、右から左に流すだけでは自分にスキルが蓄積されません。むしろパートナーの方がこちらの文脈をくみ取って提案してくれることもあり、その差に気づかないままでいると本人の能力が空洞化してしまいます

相手のコンテキスト解像度の高さに甘えると、自分の視野がどんどん狭くなっていきます。AIに対するスタンスも同じです。アウトプットの上に立たせてもらっていることを忘れず、自分にできることをまずやり切り、そのうえでAIの力を借りるべきだと思います。誰かの能力の上に立たせてもらっているという自覚が欠けると、いつまでも表層的な成果しか残りません。優秀なパートナーの成果を自分のものと錯覚すると、いざ自分で判断しなければならない場面で動けなくなります。

手を動かして学ぶ

少し古い人間かもしれませんが、手を動かすことで理解が深まる と感じています。文字を覚えるなら手で書いた方がいいし、コードも同じです。眺めるだけでは習得しにくい。だからこそ、自分で書いてみて、なぜその書き方になるのかをAIに質問し、理解を積み重ねていくことを大切にしています。

新しい分野を学ぶとき、全自動のコーディングエージェントに任せきりにするのではなく、チャット形式のAIに相談しながら自分で手を動かすスタイルを取っています。最近のエージェントには学習モードがあり、答えをそのまま出さずに思考を促してくれる機能もあると聞きます。そうしたモードを活用するのも良いでしょう。

ただ、AIを完全に使わないというのも極端です。ペアプログラマーのようにAIを隣に置き、まずは自分で書いてみて、そのコードを評価してもらう。理解しきれていない部分は説明してもらい、納得いくまで手を動かす。そうした繰り返しが健全な学び方だと考えています。私自身も今でもそのやり方で新しい領域に入っていきます。

AIの良いところは、これまでのGoogle検索のようにキーワードの引き出しが豊富でなくても、自然言語で状況を伝えれば糸口を示してくれる点です。以前なら「ここから先は無理だ」と諦めていた問題にも挑戦できる可能性が広がりました。

何より価値があるのは、解決策を得た後の行動です。タイパを重視するだけなら答えを得て終わりで構いませんが、本当に価値があるのは、その答えを自分の血肉に変えるプロセスです。同じ問題に再び直面したとき、「あのときと似ている」と気づき、自力で解決できる状態を目指したい。もし毎回AIに頼らなければ解決できないのであれば、まだ理解が定着していないという証拠です。

悩んで導き出した答えは、確実に自分の中に残ります。何度も試行錯誤した感覚ごと記憶されるので、次に似た事象が起きたときの判断材料になります。

世の中で全く同じ問題が繰り返されることはほとんどありません。過去の問題がどのようなものだったのか、何が核心だったのかを記憶に留め、今回の問題との距離を測りながら参考情報として活かす力です。過去の事例を引き出し、覚えておくべきポイントを判断し、関連情報を参照しながら適用する。メモを残すだけでなく、どこが肝だったのかを言語化しておかないと再利用できません。このトランスファーの力 は、審美眼や知識の蓄積があって初めて機能します。しっかり学習できている人ほど、こうした引き出しをうまく使えるものです。

タイパやコスパの感覚を意識すること自体は良いのですが、それだけに偏ると学びを取りこぼします。中長期で見れば、思考を深める時間を確保した人の方が必ず伸びていきます。

育てる側の責任

瞬間的に答えを教えてもらい、その場しのぎで仕事を終わらせるのは簡単です。しかし、自分の頭でひねり出した答えは脳に深く刻まれます。悩み、導き出したプロセス自体が財産となり、次に似た問題に遭遇したときの助けになります。現場で活動する人にとって、それは仲間や家族に返せる信頼にもつながりますし、結果としてAIの恩恵をより大きく受けられるようにもなるはずです。

指導する立場の人は、メンバーが出してきた答えの背景を丁寧に聞き出す必要があります。AIの出力を採用する場合でも、本人がどう考えてその答えに至ったのかを確認する。プロセスを言語化できていないなら理解が浅い証拠ですし、なぜ正しいと判断したのか説明できるなら学びが定着しているといえます。AIが出した結論をそのまま持ってきたときは警戒信号で、問い詰めると理由が出てこないことが少なくありません。

結果だけが評価される仕事も世の中には存在しますが、人生全体で見ればプロセスに向き合いながら学ぶことには大きな価値があります。そこを雑に扱えば、必ずどこかで痛い目を見る。目先の快適さに寄りかかるほど、後から大きな反動が返ってきます。過去の自分も何度か痛い目を見て、ようやく腹落ちしました。

AIと共に歩む学び

AI時代に育つとは、AIを拒否することでも全面的に依存することでもありません。AIを味方にしつつ、自分の手で考え、試し、理解を積み上げる。そのバランスを丁寧に探っていくことが、これからの世代を支える鍵になると考えています。

AIがもたらす恩恵を受け取りながら、学びのプロセスを自分のものにする道を探し続けたいと思います。その積み重ねが、次の世代に手渡せる土台になるはずです。

今回書いた仮説も、後で振り返ったときの材料にしたいと思います。

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Yuta Okada|岡田雄太 ありがとうございます! いただいたチップは生成AIツールの検証等に活用させていただきます!