大漢和辞典考――漢字の海を、ひとりの生涯で渡ろうとした人
はじめに
本棚に『大漢和辞典』が並んでいると、そこだけ空気が違う。
辞典というより、書物でできた山脈である。
いや、山脈というより、漢字の海と言った方が近いかもしれない。
普通の漢和辞典なら、知らない漢字の読みを調べる。部首を見て、画数を数え、音訓を確かめ、意味を読む。それで用は足りる。
しかし『大漢和辞典』は、そういう実用漢和辞典の延長線上にある本ではない。
一字を引く。
すると、その字の形があり、音があり、意味があり、熟語があり、成句があり、人名があり、地名があり、書名があり、詩文があり、仏典があり、歴史がある。
一字を入口にして、古典の世界が奥へ奥へと開いていく。
『大漢和辞典』は、親字約五万字、熟語約五十三万語を収める、巨大な漢和辞典である。現在ではデジタル版もあり、親字・語彙・全文検索なども可能になっているが、もともとは紙の辞典として、気の遠くなるような人力の作業によって編まれた。
この辞典を作った中心人物が、諸橋轍次である。
けれども、この辞典を「諸橋博士の偉業」とだけ言ってしまうと、少し足りない。
もちろん、諸橋轍次という漢学者の学識と執念がなければ、この辞典は生まれなかった。
しかし同時に、そこには出版人がいた。
協力者がいた。
学生がいた。
職人がいた。
戦争があり、焼失があり、病があり、失明があり、なお諦めなかった人々がいた。
『大漢和辞典』とは、ひとりの天才が机上で作った本ではない。
漢字文化を後世に渡すために、多くの人が人生の時間を差し出して作った、巨大な記憶装置である。
第一章
なぜ、これほど大きな漢和辞典が必要だったのか
そもそも、なぜ『大漢和辞典』のような巨大辞典が必要だったのか。
漢字一字の読みと意味を調べるだけなら、既存の漢和辞典でもある程度は足りる。部首、画数、音訓、字義。そこまでなら、一般の漢和辞典にもある。
しかし、問題はそこから先である。
漢文を読む。
漢詩を読む。
仏典を読む。
史書を読む。
古い随筆や漢籍由来の成句を読む。
すると、単なる一字の意味だけでは足りなくなる。
その語はどの書物に出ているのか。
どのような文脈で使われたのか。
人名なのか、地名なのか、書名なのか。
仏教語なのか、典故なのか、詩語なのか。
同じ字形に見えるが、別の字なのか。
同じ熟語でも、時代や文脈で意味が違うのか。
こうなると、普通の漢和辞典では追いきれない。
『大漢和辞典』の構想は、そこに根を持っている。
これは、漢字を「記号」としてだけ見る辞典ではない。
漢字を、文化の堆積物として見る辞典である。
漢字は、一字一字が単独で立っているように見えて、実際には長い歴史のなかで無数の語と結びついている。詩経、論語、史記、漢書、文選、唐宋の詩文、明清の小説、仏典、医書、本草、地誌、日本漢詩文。そうした文献の海から、文字と語を拾い上げ、整理し、後世の読者がたどれるようにしたのが『大漢和辞典』である。
だから、この辞典は、単に「大きな漢和辞典」なのではない。
漢字文化の索引である。
古典世界への通路である。
失われそうな語の保管庫である。
そして、ここが大事なのだが、『大漢和辞典』が構想された時代には、漢字を減らそう、簡略化しよう、実用本位にしようという空気も強かった。
もちろん、教育や行政の効率という観点から、漢字制限にはそれなりの理由がある。漢字が多すぎる、難しすぎる、覚える負担が大きい、という感覚も分かる。
しかし、諸橋轍次は、その流れにただ乗るのではなく、むしろ反対方向へ歩いた。
漢字を少なくする方向ではなく、漢字が背負ってきたものをできる限り残す方向へ。
忘れられそうな熟語、古い成句、用例、典拠、書名、人名、地名まで、可能な限り収める方向へ。
そこに『大漢和辞典』の根本思想がある。
便利にするための辞典ではある。
しかし、それだけではない。
忘れないための辞典でもある。
第二章
諸橋轍次と鈴木一平――学者と出版人が組んだ大事業
『大漢和辞典』を語るとき、諸橋轍次の名は避けて通れない。
新潟県に生まれ、漢学を学び、中国にも留学し、東京高等師範学校・東京文理科大学などで教えた漢学者である。漢籍、漢詩、儒学、中国思想に深く通じ、後年には文化勲章も受けた。
しかし、この辞典を語るとき、もう一人忘れてはならない人物がいる。
大修館書店の鈴木一平である。
辞典は、学者の頭の中だけでは本にならない。
どれほど壮大な構想があっても、それを印刷し、製本し、流通させ、資金を支え、協力者を集め、長い年月にわたって事業として継続する出版社がなければ、辞典は形にならない。
『大漢和辞典』は、諸橋轍次の学問と、鈴木一平の出版人としての胆力が結びついたところから始まった。
当初の発想は、いま私たちが見るような十三巻本の巨大辞典ではなかったようである。学生や読書人が漢文を読むときに困らないよう、語彙や熟語を整理し、出典を引けるようにする。そうした実用的な必要から、語彙カードの整理が始まる。
ところが、やればやるほど膨らんでいく。
一つの語を調べる。
その語に関連する成句が出てくる。
出典を確認する。
別の用例が見つかる。
人名が出る。
地名が出る。
書名が出る。
仏教語が出る。
漢詩が出る。
そうして、辞典は予定された大きさを越えていく。
辞典作りは、井戸を掘る作業に似ている。
最初は浅く掘るつもりでも、水脈に当たると、もっと深く掘らざるを得ない。
『大漢和辞典』は、まさにそうして巨大化した辞典である。
昭和十八年に第一巻が刊行されたが、その後、戦災によって巻二から巻十三までの組置原版などが焼失する。戦後、昭和三十年に再刊行が始まり、昭和三十五年に初版全十三巻が完結した。さらに縮写版、修訂版、語彙索引、補巻へと展開していく。
ここで見落としてはならないのは、これは単なる出版事業ではなかったということである。
何十年もかかる。
費用もかかる。
人も必要である。
売れる保証もない。
しかも戦争と敗戦を挟む。
それでも続けた。
学者だけではできない。
出版社だけでもできない。
両者が、途中で投げ出さなかったからこそ、あの辞典は本棚に並ぶことになった。
辞典とは、知識の集積であると同時に、信頼の集積でもある。
第三章
四十万枚のカード、六万枚の原稿――辞典は人力で掘られた鉱脈である
『大漢和辞典』のすごさは、数字にも表れている。
親字は約五万字。
熟語は約五十三万語。
しかし、数字だけを見ても、実感は湧きにくい。
むしろ想像すべきなのは、その背後にあるカードである。
語彙カード。
出典カード。
用例カード。
分類カード。
一語一語を拾う。
出典を確認する。
読みを確かめる。
意味を整理する。
親字の下に置く。
熟語として配列する。
用例を添える。
必要なら別項へ送る。
これを、ひたすら繰り返す。
現在なら、検索すればよい。全文検索もできる。データベース化された文献もある。異体字も、まだ完全ではないにせよ、ある程度は機械的に探せる。
しかし、『大漢和辞典』の基礎作業は、紙と目と手で行われた。
読む。
写す。
分類する。
並べる。
照合する。
校正する。
また直す。
辞典は、完成した形だけを見ると静かな本である。
だが、作る側から見れば、これは途方もない肉体労働である。
同時に、精神労働でもある。
しかも、単に量が多いだけではない。
漢字の世界は、分類が難しい。
字形が似ている。
異体字がある。
古字がある。
俗字がある。
国字がある。
同じ字でも音が変わる。
同じ語でも時代によって意味が変わる。
仏典では別の意味を持つ。
詩文では典故を帯びる。
人名・地名・書名では語義とは違う扱いが必要になる。
『大漢和辞典』の凡例を読むと、その苦心が見えてくる。
どの範囲の文字を採るか。
外字や俗字をどう扱うか。
音をどう示すか。
語彙をどう排列するか。
出典をどう略記するか。
用例をどこまで掲げるか。
人名・地名・書名・仏教語をどう収めるか。
つまり、辞典の背後には、見えない設計図がある。
読者は項目を引くだけだが、編者はその項目がどこに置かれるべきかを決めなければならない。
それは、知識の地図を作る仕事である。
『大漢和辞典』は、漢字をただ集めた本ではない。
漢字文化をどう並べれば後世の人が探せるか、という問いへの巨大な回答である。
第四章
戦火、病、失明――それでも辞典は止まらなかった
『大漢和辞典』の編纂史を読むと、途中から辞典の話を読んでいるのか、昭和史の悲劇を読んでいるのか、分からなくなってくる。
最初の困難は、作業量そのものだった。
一冊で済むはずが、済まない。
数年で終わるはずが、終わらない。
語彙は増え、用例は増え、カードは増え、原稿は増えていく。
やがて、戦争が近づく。
用紙が足りない。
金属が足りない。
出版統制がかかる。
印刷も製本も自由にはできない。
さらに、空襲による焼失が起こる。
昭和二十年二月、『大漢和辞典』巻二から巻十三までの組置原版などが戦災で失われた。膨大な組版作業が、一瞬にして灰になる。
これは、辞典編纂にとって致命的な出来事だった。
本なら、再版すればよいと思うかもしれない。
しかし、辞典は違う。
活字を組むだけでも大仕事である。
しかも、漢字の数が尋常ではない。
通常の活字では足りない。
字形の校正も厳密にしなければならない。
一字の誤りが、辞典全体の信頼を傷つける。
そこへ、諸橋自身の病が重なる。
視力の障害である。
文字を見ることを生涯の仕事にした人が、文字を見る力を奪われていく。
この残酷さは、想像するだけで胸が詰まる。
しかも、諸橋は単に読む人ではない。
一字一字を確認し、校正し、意味を確かめ、用例を見る人である。
辞典編纂者にとって、目はただの器官ではない。
学問の道具であり、仕事の命綱である。
その目が危うくなる。
だが、『大漢和辞典』は止まらなかった。
戦後、写真植字という新しい技術も取り入れられ、再刊行へ向かう。写真植字による文字制作は、従来の活字だけでは難しかった多くの漢字を扱うために重要な役割を果たした。
このあたりに、『大漢和辞典』という本の異様な生命力がある。
原版が焼ける。
人が倒れる。
目が衰える。
紙がない。
金がない。
戦争が終わる。
社会が変わる。
それでも、辞典は作られる。
ふつうなら、ここで終わっていたはずである。
むしろ、終わっていても誰も責められない。
しかし終わらなかった。
それは、諸橋ひとりの執念だけではない。
大修館書店の覚悟、鈴木一平の決断、協力者たちの労力、学生たちの手、職人たちの技術、それらが重なって、辞典は生き延びた。
『大漢和辞典』は、戦火をくぐった辞典である。
そして、戦火をくぐったからこそ、単なる参考書ではなく、文化を残す器になった。
第五章
『大漢和』を引く――一字から、詩と歴史と人名が立ち上がる
では、『大漢和辞典』はどう使えばよいのか。
専門家だけの辞典なのか。
漢文学者や中国文学研究者だけが使うものなのか。
もちろん、専門家にとって重要な辞典であることは間違いない。
だが、それだけではない。
むしろ、『大漢和辞典』の面白さは、専門家でなくても、一字を引いた瞬間に分かる。
たとえば「学」を引く。
ただ「まなぶ」という意味が載っているだけではない。
「学生」「学問」「学富五車」など、語が連なり、そこから故事や古典世界へ道が伸びていく。
「白髪」を引く。
すると、単に白くなった髪という意味にとどまらず、漢詩の世界、老いの感慨、秋のイメージが見えてくる。
「白波」を引く。
すると、波の色だけではなく、盗賊の異名という思いがけない意味に出会う。
「華甲」を引く。
六十歳の祝いという意味に、干支の循環、人生の節目、漢字の組み合わせの妙が重なる。
「偕老同穴」を引く。
夫婦がともに老い、死後も同じ墓に入るという成句が、古い詩経の世界から立ち上がる。
こういう読み方をしていると、『大漢和辞典』は、単なる意味確認の道具ではなくなる。
一字を引く。
すると、その字が枝を伸ばす。
熟語になり、成句になり、詩句になり、故事になり、人名になり、地名になっていく。
辞典を引いているはずなのに、いつのまにか古典を読んでいる。
用例を見ているはずなのに、いつのまにか歴史の中にいる。
これが『大漢和辞典』の怖さであり、面白さである。
普通の辞典は、分からないことを分かるようにしてくれる。
『大漢和辞典』は、それだけではない。
分かったつもりの言葉の背後に、まだ分かっていない世界があることを教えてくれる。
「白」という一字にも、白髪があり、白波があり、白虹があり、白石があり、白帝があり、白楽天がある。
「学」という一字にも、学問があり、学生があり、学富五車があり、学びの歴史がある。
一字は、一字で終わらない。
この辞典を引くとは、文字の背後にある文化の地層を掘ることである。
第六章
デジタル時代の『大漢和』――検索できるようになっても、失われないもの
いま、『大漢和辞典』は紙だけの存在ではない。
デジタル版では、親字や語彙の検索、全文検索、部品検索などが可能になっている。紙の辞典では探しにくかった語や字も、検索によってたどりやすくなった。
これは大きい。
『大漢和辞典』は、あまりにも巨大である。
紙で引くには、体力がいる。
索引を使うにも慣れがいる。
部首や画数で迷うこともある。
そもそも、どの字を探しているのか分からないこともある。
その意味で、デジタル化は『大漢和辞典』を再び開かれた辞典にしたと言ってよい。
しかし、ここで「デジタルがあれば紙はいらない」と言い切ってしまうのは、少し違う気がする。
紙の『大漢和辞典』には、紙でなければ味わいにくいものがある。
まず、量の圧である。
全巻が並ぶ姿を見ただけで、人は圧倒される。
この圧倒される感覚は、案外大事である。
漢字文化とは、スマホの検索窓に一語を入れて済むほど薄いものではない。
何千年もの文献があり、詩があり、制度があり、思想があり、地名があり、人名がある。
その厚みを、紙の辞典は物理的に見せてくれる。
また、紙の辞典には偶然がある。
目的の語を探している途中で、隣の語を見る。
前後の項目が目に入る。
似た字に出会う。
知らない熟語に引っかかる。
思いがけない用例に足を止める。
検索は速い。
しかし、速い検索は目的地へ直行する。
紙の辞典は遅い。
しかし、その遅さの中に寄り道がある。
辞書を読む楽しみは、この寄り道にある。
だから、デジタルと紙は対立しない。
デジタルは入口を増やす。
紙は森の深さを感じさせる。
『大漢和辞典』ほどの辞典になると、この両方が必要なのだと思う。
結び
辞典とは、忘れられそうなものを未来へ渡す器である
『大漢和辞典』は、便利な辞典である。
分からない漢字を調べられる。
熟語を調べられる。
成句を調べられる。
人名、地名、書名、仏教語、詩句、典故をたどれる。
しかし、それだけなら、ここまで胸を打たれない。
この辞典の凄みは、便利さを超えたところにある。
漢字は、時に重い。
多すぎる。
難しすぎる。
覚えにくい。
書きにくい。
読みにくい。
だから、減らそう、簡単にしよう、使うものだけ残そう、という考えは自然に出てくる。
それ自体を、私は否定しない。
しかし、言葉を便利にすることと、言葉の記憶を失うことは、同じではない。
使いやすくすることは必要である。
だが、使われなくなったもの、読まれなくなったもの、忘れられそうなものを、どこかに保存しておくことも必要である。
『大漢和辞典』は、そのための器である。
一字を引くと、そこに人がいる。
詩人がいる。
僧がいる。
皇帝がいる。
学者がいる。
書物がある。
土地がある。
戦争がある。
老いがある。
別れがある。
祝いがある。
祈りがある。
漢字とは、ただの文字ではない。
人間が世界をどう見てきたかの痕跡である。
諸橋轍次は、その痕跡を、ひとりの生涯で渡ろうとした。
もちろん、ひとりで渡りきったわけではない。
出版人がいた。
協力者がいた。
学生がいた。
職人がいた。
家族がいた。
友がいた。
けれども、その中心に、漢字の海を前にして退かなかった人がいたことは確かである。
『大漢和辞典』を前にすると、辞典とは何かを考えさせられる。
辞典とは、言葉を調べる道具である。
しかし、それだけではない。
辞典とは、忘れられそうなものを未来へ渡す器である。
本棚に並ぶ『大漢和辞典』は、静かである。
だが、その静けさの奥には、戦火をくぐり、病をくぐり、失明の恐怖をくぐり、それでも文字を残そうとした人々の時間が詰まっている。
一字を引く。
その一字の向こうに、歴史が立ち上がる。
これほど大きな辞典を前にして、私はただ、こう思う。
漢字の海は深い。
そして、その海を渡ろうとした人間の執念は、もっと深い。
