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「詩縞」(葉篇詩)ライナーノーツ

【投稿詩】

四時間じゃ、帯に短し
ダスキンで、嫌な関係を水に流し

往路はランランさ
このwall、どうする?
目隠し鬼で go through

無声映画で祈る 期待を乞う

獅子舞にでもなりゃ 笑うかな
可笑しくって
お菓子食って

黙々と織る 鶴を折る 遠く

首をかしげて 月を見た
思う それが人生の意味だ

【ライナーノーツ】

"I'm the Owl (in the Silence of the night) and [ou]."
(「俺がフクロウだ」この言葉を聞いてニヤッとした人は、同志だ。「進撃の巨人」のあの衝撃的な場面だから)

ミスチル「Again」のような詩(歌詩)を書いてみたいと思っていた。
桜井さんのようには行かないけれど、手を伸ばすことはできる。
「Again」では[a-e]の音が繰り返し登場するのに対し、僕は[o-u]の音を選んだ。

織る、折る、いや"Owl"だ、夜の静寂の中の。
静寂(Silence)が魂に広がった時、それが持つもう一つの顔が浮かんだ、「詩縞」と。「詩稿(しこう)」と読み間違えられる可能性もあるが、敢えてそれを逆手に取って、それさえも詩の愉しみにしてしまおうと、悪戯心が囁く。

夜の静寂における詩の縞模様。
それは、夜のたなびく雲でもあり、眠れぬ夜に織り込む想いでもある。

「しじま」は、意外にもまた別の顔を見せた、すなわち「四時間」。
読みようによっては「しじま」と読める。この長いような短いような時間を諺で表そう、「帯に短し、襷(たすき)に長し」が良い。あの有名な小説「夜は短し歩けよ乙女」に掛けつつ、後半はそのままではなく、同じ響きの別の言葉に替えて、日常のシーンで描こう。「タスキ」は「ダスキン」に、「長し」は「流し」に。

隠れテーマの"Owl"は言葉にしない。梟は自分を際立たせたりはしないから。代わりに「往路」として、正月の箱根駅伝を思い起こしながら、同時に「Again」のMVで走っている人に重ね合わせつつ、"Run Run"と形容する。それはまた、知恵の象徴とされるかの鳥の、闇夜を見つめる眼差しの「爛々」でもある。
動と静。

人生に壁はつきもの(付き物?月者?憑きもの?)だ。
「往路(ou)」「wall(ou)」「どうする(ou)」「go through(ou)」と、初め開いていた口がすぼんでいく音声は、狭まっていく道のようなもの。肉の目は開いていても、心の目は目隠し鬼のように見えていないかもしれない。そんな自己矛盾の自らを揶揄しながら、通り抜けていく、闇夜を、この世を。

その唇は、祈りの形とも言えよう。「黙って」や「しゃべらないで」でも悪くないが、景色が想像に昇らない。代わって、チャップリンの無声映画が思い浮かんだ。人には聞こえない、自分にすら。
でも、声は確かにそこにある。映像繋がりで言えば、テレビの番組の次回予告などで「乞うご期待!」とテロップが流れるが、そうだ、僕らは期待されるのを乞うている。
「祈る(ou)」「乞う(ou)」

「四時間(しじま)」の呻吟は、「獅子舞(ししま(い))」を連れて来る、もう一人の自分を笑わせようとして。しばらく快活に笑っていない気がする。そんな自分をニヒルに笑う。こんな悩みは、お菓子を食べながらぐらいの感じがちょうど良い。
もちろん、ここには「おかしくって」の掛詞が。

先の「無声映画」では、「黙」の字を使わなかったけれど、ここでは[ou]の音声を響かせるために、そして同時にこの詩を作ったのが木曜日であったことも絡めて「moku」の音を重ねた。あの御伽噺で鶴が機を織るように、ただ黙して、しかしまた、主客逆転して鶴を折るようにして、言葉を織っていく、遠くにいるあの人に向けて、あるいは、望みが叶うかもしれないいつかのために。
「黙々(ouou)」「織る(ou)」「折る(ou)」「遠く(ou)」

最後に、少しだけフクロウが顔を覗かせた。
答えは地上にはない、月に。
「思う(ou)」と、ずっと潜ませてきた韻を一つだけ置いて、締めの二行は[ou]ではなく、[ia]と解放の音声とした、「みた」と「いみだ」を掛詞として。
この詩のタイトル「詩縞」が[ia]で終わるのと同じように。

こうして、
言葉から言葉への緩やかな指示(しじ)なる「⇒」は、心地よき間(ま)を挟みつつ、次なる指示へと橋を渡し、円環の糸を巻いていくのだ。


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