好きと稼ぐの間で迷った僕が境界線を決め直した話
好きが燃え尽きに変わる前に考えたいこと
「好きを仕事にする」
その言葉が、こんなにも両刃になるとは思っていませんでした。
フリーランスになりたての頃の僕は、好きなことで生きていけることが、最高の状態だと信じていました。
コードを書くことが好きで、モノづくりが好きで、誰かの問題を解決するプロダクトを作ることが好き。
その好きを全部、仕事にした。
なのに、ある夜気づいたのです。
コードを書くのが、怖くなっていた。
好きを燃料にして走りすぎた
フリーランスになってしばらく経ったころ、月の稼働時間が 100 時間を超えていた時期がありました。
クライアントからの依頼も、自分の個人開発も、note の執筆も、全部がモノづくりという一つの箱に入っていた。
好きなことをやっているのに、なぜか消耗していく。
「もっと頑張らなきゃ」と思うほどに、コードを開く気力が落ちていく。
ある日、いつものように開発環境を立ち上げたとき、手が止まりました。
何も書きたくない。
いや、正確には何を書けばいいのか、もう分からなくなっていた。
好きという感情を燃料にし続けた結果、燃料が尽きていたのです。
全部を好きで塗り固めると逃げ場がなくなる
燃え尽きる前の状態を振り返ると、一つの共通点がありました。
趣味も仕事も全部が同じ好きで繋がっていた。
クライアントワークのコードも好きなコードだった。
個人開発も好きなアイディアを形にするものだった。
釣りに行っても「これ、アプリにできないかな」と考え始めていた。
趣味が仕事のアイディア源になっていた。
休息が生産活動のインプットに変わっていた。
息が抜けない状態というより、息の抜き方が分からなくなっていました。
好きが全方位に広がった結果、どこに逃げても好きの文脈に引き戻される。
逃げ場のない構造を自分で作っていたのです。
好きを仕事にするの見落としていた副作用
好きを仕事にすることへのあこがれを持ったとき、こんな副作用を誰も教えてくれませんでした。
好きなことが評価される場所に持ち込まれると、好きの純度が下がる。
クライアントに納品するコードは、自分の好きだけで書けない。
仕様通りに、期限内に、相手の期待に応えるように書く。
それは当然のことで、プロとして当たり前の姿勢です。
でも、その当然を積み重ねるうちに、コードを書くこと自体が誰かの期待に応える行為になっていった。
好きなはずのコードが、義務の器に入っていた。
器が変わると、中身の色も変わっていく。
「好きを仕事にする」は夢の実現だったはずが、いつの間にか好きそのものを少しずつ削っていくプロセスになっていた。
そう気づいたとき、少し怖くなりました。
境界線を引き直すというアイディア
燃え尽きたあとで、僕がたどり着いたのは一つのシンプルな問いでした。
「この仕事は、ライスワークか、ライフワークか?」
ライスワークは「生活のための仕事」。
クライアントワーク、案件対応、収入を生む活動。
プロとして責任を果たすが、心を全力で込めすぎない。
ライフワークは「心のための仕事」。
個人開発、note の執筆、学びたいから学ぶ技術探求。
納期も、収益も、誰かの評価も関係ない。
ただ、楽しいからやる。
この 2 つを意識的に分けることが、境界線の第一歩でした。
混ぜると好きが義務に染まる。
分けると好きが聖域になる。
趣味は仕事に活かすためにあるのか
もう一つ、気づいたことがあります。
釣りが好きです。
川や湖の近くで、竿を垂らして、ただ水面を眺める時間が好きです。
燃え尽きていた頃、釣りに行きながらも「この体験、note に書けないかな」「釣りアプリを作ったらどうだろう」と考え始めていました。
趣味がインプットのツールになっていた。
本当はただ魚を待つ時間に、何も考えなくていい感覚が好きなはずだった。
川の音だけ聞いて、仕事のことを忘れる。
アイディアを生むためじゃなく、何も生まなくていい時間を持つこと。
それが趣味の本来の意味だったのかもしれないと気づいたのです。
趣味は仕事に活かすためにあるのではなく、仕事と切り離された場所にあるからこそ意味を持つ。
その視点を持って初めて、釣りが本当の休息になりました。
やらないことリストという境界線の建て方
境界線は、頭で理解するだけでは機能しません。
具体的な行動として落とし込む必要があります。
僕が使っているのは「やらないことリスト」です。
【ライスワークにやらないこと】
- 週末にクライアントのメール・チャットを確認しない
- 3 つ以上の案件を同時に抱えない
- 見積もりを出す前に「好き」かどうかで判断しない(プロとして判断する)
【ライフワークに持ち込まないこと】
- 個人開発を「収益化」前提で考えない(収益は結果でいい)
- 釣りに行きながらアイディアを考えない
- 趣味の時間に「これ、仕事になるかな」と問わない境界線は「やること」より「やらないこと」で引く方が明確になります。
やること(守りたいもの)は人によって違うけれど、やらないこと(侵食させないルール)は案外シンプルに決められます。
好きを守るための小さなルール
最後に、僕が日々続けている境界線のための小さなルールを書いておきます。
朝の珈琲を淹れる時間は、仕事を開かない。
一日の最初の 15 分は、ただ珈琲の香りを楽しむ時間。
この時間にメールを確認すると、一日の始まりが誰かの要求への応答から始まってしまう。
それを避けたくて始めたルールです。
個人開発は、収益を目標にしない。
作りたいものを作る、それだけ。
お金になるかどうかは後で考える。
目標を完成ではなく楽しむことに置くだけで、続き方が変わります。
「この仕事、好きですか?」は問わない。
ライスワークに対して好きかどうかを問うと消耗します。
プロとして適切にやれるかを問う方が心が楽になりました。
好きを守るためには、好きに全力で期待しないことが必要なのかもしれません。
境界線は一度引いたら終わりじゃない
正直に言うと、今でも境界線は揺れます。
面白いクライアントの仕事に出会うと、ライスワークのはずが熱中してしまう。
個人開発が思ったより反響を得ると、もっと収益化できないかと考え始める。
釣りの川辺で、やっぱりアプリのアイディアが浮かんでくる。
境界線は、一度引いたら終わりじゃない。
ずれるたびに気づいて、また引き直す。
その繰り返しが、好きと稼ぐを長く両立させるコツだと感じています。
好きと稼ぐの間で迷うのは、どちらも大切にしたいからです。
その迷い自体は、悪いことじゃない。
ただ、迷いながらも「今、自分はどちら側にいるか」を確認し続けること。
それが、趣味と仕事の境界線を守り続ける、僕なりの答えです。
あなたの好きは今、どちら側にありますか?
ひとりごと
「好きを仕事にする」という言葉に、ずっと憧れていました。
フリーランスになったとき、それが叶ったと思っていました。
でも燃え尽きた夜に気づいたのは、「好きを仕事にする」のが夢なのではなく、「好きを守りながら仕事をする」のが本当の目標だったということです。
その違いに気づくのに少し時間がかかりました。
今でも、川の近くで竿を垂らしているとき、ふとアプリのアイディアが浮かぶことがあります。
そのとき僕は、少し笑いながらメモだけして、あとは水面に集中するようにしています。
趣味を仕事にしない練習も続けています。

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僕のメンバーシップ「フリーランス開発者の作戦会議室」では、こうした生き方や働き方の設計(ライスワーク / ライフワークの分離、「やらないことリスト」の作り方、好きを守り続けるための仕組みなど)を実体験を交えながら毎週共有しています。
「好きを仕事にしたい」とも、「好きを守りたい」とも思っているあなたへ。
一緒に、自分だけの境界線を言語化していきませんか?
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