上半期を閉じる前に自分に許した
できなかったことより続いたこと
6 月の最後の土曜日。
上半期が終わろうとしている。
デスクの前に座って、Obsidian を開く。
タスクリストを見ると、進捗 0% のまま残ったものが並んでいる。
ポートフォリオの更新、Qiita の記事、デスクトップ環境の整理——
全部、6 月末までにやると決めていたことだ。
それを見た瞬間の感覚を、今年は少し変えることができた。
沈まなかった。
「できなかった」より先に、「続いた線」を探した。
上半期の閉じ方が毎年同じだった
みなさんは、上半期の終わりが近づくとき、どんな気持ちになりますか?
かつての僕は、決まってこうでした。
1 月に立てた目標リストを開く。
読書冊数、週次レビューの達成率、個人開発の進捗——
数字を順番に確認していく。
未達のものに、頭の中で赤ペンを入れる。
「もっとできたはず」
「このままじゃ、また半年が終わる」
その言葉が積み上がるにつれ、気持ちが沈んでいく。
吃音もあって言葉が詰まる週ほど、その採点は厳しくなります。
「電話に出られなかった」
「打ち合わせで詰まった」
「言いたかったことを飲み込んだ」
声が出なかった日が、弱さのカウントに変わる。
振り返りのつもりが、いつの間にか裁判になっていた。
今年の 6 月末、はじめてそのやり方をやめました。
【かつての上半期の閉じ方】 裁判官になっていた頃
振り返りという言葉は、きれいに聞こえます。
ところが実際の感覚は、違う。
未達のものを並べて、直すべき点を整理して、「来年こそは」という毎年同じ決意で締める。
どんなに内容を変えても、構造が同じなので感触が変わらない。
6 月末の重さは、翌年の 6 月末にも同じ重さで戻ってくる。
フリーランスになって 15 年が経ちます。
会社員の頃と違い、評価してくれる上司もいない。
査定もボーナスもない。
目標を立てるのも、採点するのも、全部自分です。
それが自由だと思っていたのに、気づくと自分に対して最も厳しい裁判官になっていた。
吃音のせいで電話が怖い。
打ち合わせで言葉が出なかった週が、弱さとして採点される。
個人開発が止まっていた期間が、失格の証拠として積み上がる。
半年分の弱さだけが積み上がって、「来年こそは」が生まれる。
翌年の 6 月末も、同じ裁判が繰り返される。
そのループに気づいたのは、今年の 5 月の終わりのことでした。
転機は採点表をひっくり返した朝
5 月最後の月曜の朝、Obsidian のデイリーノートを開きました。
いつものように、未達のリストを確認しようとした。
でもそのとき、ふと思いました。
「今年の 5 月、何が続いていたんだろう」
未達のものを数えるのではなく、続いていたものを数えてみよう——
たったそれだけのことです。
書き出してみると、こういう線が出てきました。
📍 note の執筆を途切れさせなかった
📍 週末・週初エッセイを一本も止めなかった
📍 珈琲を毎朝淹れ続けた
📍 デイリーノートをポツポツ開き続けた
📍 吃音のあるまま、仕事の画面に向き続けた
📍 頭が曇った週に、短い整理を選んだ
📍 完璧な目標が崩れても、翌日に戻ってきた
どれも収益や実績の数字ではありません。
大きな達成でもない。
けれど、これが 5 月を支えていた線でした。
途切れなかった線を先に拾う。
それだけで、振り返りの感触が変わりました。
半年分の弱さを見るのではなく、半年分の「戻り続けた自分」が見えてきた。
できなかったことの正直なリスト
ここで正直に書いておきます。
6 月末時点で、進捗 0% のまま残ったものがあります。
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