珈琲の香りとコードの匂い、 そして故郷からの便り
僕がフリーランスとして 「大切なもの」 と向き合い続けるための不器用なバランス術
仕事も家族との時間も、自分の趣味や成長のための時間も、ぜんぶ大切にしたい——。
フリーランスという働き方を選んだとき、そんな理想を胸に抱いていたはずなのに、現実はどうでしょう。
気づけば、終わらないタスクに追われ、パソコンの前でため息をつく日々。
自由な働き方のはずが、いつの間にか「24 時間戦えますか?」状態になっていたり。
あるいは、あれもこれもと手を出しすぎて、結局何もかもが中途半端になっているような焦りを感じたり(汗)
もし、あなたが少しでもそんな風に感じているなら、この物語はあなたのためにあるのかもしれません。
これは吃音症を抱え、不器用ながらもフリーランスとして大切なものと向き合い続け、日々もがきながら自分なりのバランスを探し続ける、僕のありのままの記録です。
完璧な答えなんて、どこにもないかもしれない。
それでも、一緒に何かヒントを見つけられたら嬉しいです。
フリーランスの自由は、 バランスを保つ責任とセットだった
フリーランスという働き方を選んだのは、もう 10 年以上も前のことです。
当時は漠然と「会社員よりも自由になれる」そんな期待を抱いていました。
好きな時間に起きて、好きな場所で、好きな仕事をする——。
そんな夢のような生活を思い描いていたのです。
しかし、実際にフリーランスとして歩み始めると、その自由は、想像していたものとは少し違いました。
確かに、働く時間や場所を自分で決められる自由は手に入りました。
満員電車に乗る必要もなければ、理不尽な上司に頭を下げることもありません。
けれど、その自由と引き換えに、僕はすべてを自分で管理する責任を負うことになったのです。
いつ、どれくらい働くのか。
どの仕事を選び、どの仕事を断るのか。
そして、仕事以外の時間をどう使うのか——。
会社員時代は誰かが決めてくれていた、あるいは会社のシステムがある程度導いてくれていたこれらのことを、すべて自分で判断し実行しなければなりません。
特に難しかったのが、時間の使い方と優先順位付けでした。
独立当初は、とにかく実績を作らなければと、舞い込んできた仕事はほとんど断りませんでした。
その結果、自分のキャパシティを超えてしまい、納期に追われる日々。
気づけば、朝から晩までパソコンにかじりつき、食事も睡眠も疎かになるような働き方をしていました。
時給で仕事を請け負っていた時期は、働けば働くほど収入が増えるという構造だったため、余計に歯止めが効かなかったのです。
これではいけないと働き方を見直し、時間を切り売りしないと決意してからは、また別の壁にぶつかりました。
それは、何に時間を使うべきかという、より本質的な問いです。
目先の収入のためだけに働くのではなく、自分のスキルアップや将来のための種まき、そして何より大切にしたい家族(両親)との時間や自分の趣味の時間も確保したい。
そう考えれば考えるほど、24 時間という限られた時間の中で、どう優先順位をつけ、どう配分すればいいのか、途方に暮れてしまうこともありました。
バランスを崩し、仕事一辺倒になって大切な人との約束を破ってしまったり、逆に「あれもこれもやらなきゃ」と焦るあまり、結局何も手につかず自己嫌悪に陥ったり。
そんな経験を、僕は何度も繰り返してきたのです。
フリーランスの自由とは、単に束縛がない状態を指すのではなく、むしろ自律的に自分をコントロールし、大切なものを見失わないようにバランスを取り続ける責任と常にセットなのだと、今更ながら痛感しています。
僕が生きるいくつかの顔
フリーランスは一人何役?
フリーランスとして活動していると、自然と複数の顔を持つようになるのではないでしょうか。
僕自身も、日々の生活の中で、いくつかの役割を意識しながら生きています。
Obsidian に人生理念という僕自身の羅針盤にも記していますが、それはこんな感じです。
🔔 フリーランス開発者として
これが僕のメインの顔であり、生計を立てるための軸です。
クライアントから依頼されたシステムの開発、Web サイトの構築などが主な仕事です。
常に新しい技術トレンドを追いかけ、自分のスキルを磨き続ける必要があります。
最近では、個人開発で自分のプロダクトを作るという夢も追いかけていて、そのための学習や作業にも時間を使っています。
コードを書いているときは、やはり時間を忘れるほど没頭できる、僕にとって原点のような時間です。
🔔 内省的ストーリーテラー (ライター) として
この note での発信活動も、僕にとっては非常に重要な役割です。
もともと吃音症というコンプレックスがあり、話すことよりも書くことの方が自分を表現しやすいと感じていました。
自分の経験や考えを文章にすることで、頭の中が整理されたり、同じような悩みを持つ誰かの役に立てるかもしれない、という思いがあります。
技術的な内容だけでなく、フリーランスとしての働き方、吃音症との向き合い方、そして日々の生活で感じたことなどを自分の言葉で綴っています。
🔔 家族 (両親) の一員として
僕には北海道に住む両親がいます。
遠く離れて暮らしているからこそ、日々の連絡やたまの帰省で顔を合わせる時間は、僕にとってかけがえのないものです。
育ててくれたことへの感謝の気持ちは常にあり、いつか自分の力で家を建てて親孝行したいという大きな夢も持っています。
フリーランスという働き方を選んだ背景には、時間や場所に縛られずに、もっと柔軟に家族と関われるようになりたいという思いもありました。
両親の元気な声を聞いたり、故郷の空気に触れたりすることは、僕にとって大きな心の支えです。
🔔 自己成長者として
現状に満足せず、常に新しいことを学び、自分をアップデートし続けたいという欲求があります。
それは開発者としての技術スキル向上はもちろんのこと、ライターとしての発信力や表現力、あるいはプロンプトエンジニアリングのような新しい分野への挑戦も含まれます。
本を読んだり、オンライン講座を受けたり、他の人の発信から学んだりする時間は、僕にとって未来への投資です。
🔔 ライフスタイル実践者として
仕事や自己成長だけでなく、自分の心と体を満たす時間も大切にしたいと考えています。
僕にとっては、丁寧に淹れた珈琲を味わう時間や、近所の公園を散歩する時間、大型書店へ出向き、雰囲気や偶然の出会いを五感で味わう時間、時にはキャンプや釣りといったアウトドアで自然に触れる時間がそれにあたります。
健康を維持するために、適度な運動や質の高い睡眠を心がけることも、この役割の一部です。
これらの顔は、それぞれ独立しているわけではなく、互いに影響し合っています。
例えば、開発者としての経験がライティングのネタになったり、両親との会話が仕事へのモチベーションになったり、趣味でリフレッシュすることで新しいアイディアが生まれたりするのです。
しかし、これらの顔をすべて完璧にこなそうとすると、途端に時間が足りなくなり、プレッシャーに押しつぶされそうになる。
それが、僕が長年抱えてきたバランスの悩みでもありました。
バランスが崩壊した日々と、 そこから学んだこと
全部大切にしたいという思いが強すぎると、皮肉なことに、かえってバランスを崩してしまうことがあります。
僕も、そんな失敗を数えきれないほど繰り返してきました。
例えば、ある大きな開発案件を抱えていたときのことです。
納期が迫り、クライアントからの要求も厳しく、僕は文字通り寝る間も惜しんで仕事に没頭しました。
その結果、楽しみにしていた友人との約束をキャンセルしてしまったり、心配して連絡をくれた両親からの電話にもそっけない態度をとってしまったりしました。
後になって、
「何のためにこんなに働いているんだろう…」
「大切な人たちをないがしろにしてまで、得るべきものだったのだろうか…」
と深い後悔に襲われたのです。
また、note での発信に力を入れようと決めた時期には、毎日 note を更新することを目標にしました。
書くこと自体は好きだったのですが、ネタ探しや構成、推敲に追われるうちに、本来の開発業務に割く時間がどんどん減っていきました。
収入に直結する仕事が滞り始めると、今度は焦りが募り、「自分は何をやっているんだろう」と不安になったのです。
趣味や休息の時間も、以前は「サボっている」ように感じてしまうことがありました。
特に忙しい時期に珈琲をゆっくり淹れたり、散歩に出かけたりすると、「こんなことをしている場合じゃないのに」という罪悪感が頭をもたげ、心からリラックスできませんでした。
その結果、心身ともに疲弊し、仕事の効率もかえって落ちてしまうという悪循環に陥ったこともあります。
「開発者としても一流になりたいし、
ライターとしてももっと影響力を持ちたい。
両親にはもっと親孝行したいし、友人との時間も大切にしたい。
趣味も楽しみたいし、健康も維持したい…。」
そんな風に「あれもこれも」と欲張ってしまうと、結局どれも中途半端になっているような気がして、自己嫌悪に陥ることも一度や二度ではありませんでした。
まるで、たくさんのボールをジャグリングしようとして、全部落としてしまっているような感覚です。
そんな失敗と後悔を繰り返す中で、僕が学んだことがあります。
それは、完璧なバランスなんて、おそらく存在しないという、ある種の諦めにも似た気づきでした。
そして同時に、それでも、自分にとっての最適なバランスを諦めずに探し続けるしかないという、ささやかな覚悟のようなものでした。
すべての役割を 100 点でこなすことは不可能だし、日によって、あるいは人生のステージによって、優先順位は変わっていく。
大切なのは、その時々で自分にとって何が一番重要かを見極め、意識的に時間とエネルギーを配分していくことなのではないか——
そう考えるようになったのです。
僕なりの不器用なバランス術
日々の小さな工夫と大切にしていること
「完璧なバランスは存在しない」と気づいてから、僕が実践するようになったのは、大それたテクニックというよりも、日々の小さな工夫と自分自身との対話を重ねることでした。
それは、今も試行錯誤の連続ですが、いくつか意識していることを共有させてください。
時間管理の工夫 (GTD やタスク管理ツールの先にあるもの)
以前の note 記事でも触れましたが、僕は GTD (Getting Things Done) や Obsidian といったツールを使ってタスクや人生理念など、すべての大事な情報を管理しています。
これらは非常に強力な武器ですが、ツールだけでは解決しないのが
「どのタスクを優先するか」
「どの役割にどれだけ時間を使うか」
という問題です。
そこで最近試しているのは、大まかに役割ごとの時間ブロックを意識することです。
「午前中は開発案件に集中する」
「午後のこの 2 時間はライティングに充てる」
「夜はゆっくりと読書をする」
といった具合です。
もちろん、毎日きっちり守れるわけではありません。
急な依頼が入ったり、体調が優れなかったりして予定通りにいかないことの方が多いかもしれません。
でも、大まかなガイドラインがあるだけでも、「今は何に集中すべきか」という意識が働きやすくなりました。
そして、以前はタスクの消化に追われていたポモドーロテクニックも、「この 25 分は〇〇の顔に徹する」というように、役割を意識した集中法として再評価しています。
書くことによる頭の整理と感情の解放
note での発信を続けていると、結果的にそれが自分の頭の中を整理し、感情を解放する手段になっていることに気づきました。
「バランスが難しいな」と感じていることを正直に書くことで、客観的に自分の状況を見つめ直せたり、読者の方から共感のコメントをいただいて救われたりすることがあります。
また、note のような公開された場だけでなく、個人的なジャーナリングや日々のメモも、僕にとっては重要なバランス調整ツールです。
頭の中でぐるぐる考えていることを書き出すだけで、少しスッキリしたり、問題点が明確になったりするのです。
Obsidian には、日々の気づきや感情の動きを、誰に見せるでもなく書き留めるためのデイリーノートがあり、それが僕の思考のバッファゾーンになっています。
趣味と休息を投資と捉える
かつてはサボりだと感じていた趣味や休息の時間を、今は未来への投資と捉えるように意識を変えました。
丁寧に珈琲豆を挽き、ゆっくりとドリップする珈琲の時間は、単なるカフェイン摂取ではなく、心を落ち着かせ、思考をクリアにするための儀式のようなものです。
その 15 分があるからこそ、その後の仕事に集中できたり、新しいアイディアが生まれたりする。
近所の公園を散歩したり、週末に少し遠出してキャンプや釣りをしたりする時間も同様です。
自然の中に身を置くことで、日々の細々とした悩みから解放され、リフレッシュできるだけでなく、五感が刺激されて創造性が高まるのを感じます。
何もしない時間を意識的に作る勇気も、フリーランスにとっては大切なのかもしれません。
常に何かに追われているような感覚から抜け出し、ぼーっとすることでかえってパフォーマンスが上がることもあるのです。
家族 (両親) との時間を大切にする試み
フリーランスは自宅で仕事をする人が多いと思いますが、それゆえに仕事とプライベートの境界線が曖昧になりがちです。
僕も、夜遅くまで仕事をしたり、休日もパソコンを開いてしまったりすることがよくありました。
そこで、意識しているのは「家族との時間を大切にする」という試みです。
例えば、「平日の夜や週末は、よほどの緊急事態でない限り仕事を長時間続けない」という自分ルールを設定しています。
もちろん、納期が迫っているときなど、どうしても守れないこともありますが、原則としてこのルールを守ろうとすることでメリハリが生まれます。
北海道に住む両親とは、こまめに電話で話したり、たまの帰省で顔を合わせたりする時間を意識して作っています。
何気ない日常の出来事を報告しあったり、故郷の変わらない風景の話を聞いたりすることは、僕にとって大きな安心感と活力を与えてくれます。
両親が元気でいてくれることへの感謝の気持ちは、僕が日々頑張るための大きなモチベーションの一つですし、いつか家を建てるという夢もその感謝を形にするための一つの目標です。
「できっこない」 から 「少しずつでも」 へ
たくさんの役割をすべて完璧にこなそうとすると、すぐに挫折してしまいます。
だから、僕は「できっこない」と開き直ることにしました。
その上で、「でも、少しずつでもいいから、それぞれの役割で自分が納得できることをやろう」と考えるようにしています。
今日は開発案件を集中して進めたから、ライティングは少しだけ下書きをする程度でいい。
今週は自分の時間を多く取れたから、来週は両親に長めに電話しよう。
そんな風に自分を許し、小さな達成感を積み重ねていくことを大切にしています。
バランスとは、 静止した状態ではなく、 揺らぎ続けるプロセスなのかもしれない
ここまで僕なりの不器用なバランス術についてお話ししてきましたが、実のところ、「これが正解だ」という確固たるものはまだ見つかっていません。
おそらく、これからもずっと探し続けることになるのでしょう。
なぜなら、バランスとは一度達成したら終わり、というような静止した状態ではないからです。
それはむしろ、風の向きや波の高さに合わせて帆を調整し続ける船のように、常に揺らぎ、変化し続けるプロセスそのものなのではないか——
最近、そんな風に感じています。
自分の体調や家族の状況、仕事の波、そして年齢とともに変わっていく価値観。
そういった様々な要因によって、僕にとっての心地よいバランスの形は、常に変化していきます。
昨日うまくいった方法が、今日もうまくいくとは限りません。
だからこそ大切なのは、その時々の自分の内なる声に耳を澄まし、何が一番大切で、何を手放してもよくて、何に時間とエネルギーを注ぐべきなのかを、自分自身で判断し続けること。
そして、その判断の基軸となる、自分なりの羅針盤を持つことなのではないかと思います。
僕にとっての羅針盤は、これまで何度も言葉にしてきたように、「家族への感謝」「自由と創造性」「仲間との共創」といった価値観です。
これらの価値観に照らし合わせて、日々の選択をしていく。
たとえバランスを崩して転んでしまったとしても、この羅針盤があれば、また立ち上がって進むべき方向を見定められる。
そう信じています。
あなたにとっての大切なものは何ですか?
長い道のりにお付き合いいただき、ありがとうございました。
フリーランスとして、あるいは一人の人間として、仕事や、家族、趣味、自己成長……たくさんの大切なものの間で、どうやってバランスを取っていくか。
これは、多くの人が抱える永遠のテーマなのかもしれません。
この記事を読んでくださったあなたにとって、大切なものは何でしょうか?
そして、それらをどうやって調和させようと日々奮闘していますか?
完璧なバランスなんて、きっと存在しない。
でも、自分にとって何が本当に大切なのかを見失わず、不器用でもいいから、自分なりの心地よいリズムを探し続けること。
そのプロセス自体に、価値があるのではないでしょうか。
僕もまだまだ道半ばです。
悩み、迷い、時には立ち止まりながら、それでも一歩ずつ前に進んでいこうと思っています。
もしよろしければ、あなたのバランス術や日々感じていることを、コメントなどで教えていただけると嬉しいです。
一緒に、自分だけの心地よいリズムを見つけていきませんか?

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