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【週初エッセイ】 「書くしかなかった」 吃音の僕が言葉を取り戻した物語

「なぜ、書くのですか?」

もし、そう問われたら、僕は少し困ってしまうかもしれない。「呼吸をする理由」を問われるのと同じくらい、それは僕にとって自然なことだからだ。言葉が喉につかえ、うまく話せない僕にとって、白い画面に文字を刻む行為は、もう一つの発声方法だった。いや、それ以上の何かだった。

今日から、毎週日曜日にエッセイを綴ることにした。これは誰かに何かを教えるためでも、ノウハウを共有するためでもない。ただ、僕が僕であるために、書く。その行為を通じて、自分自身の輪郭を確かめるための、ささやかな試みだ。

鎧を脱ぐ場所

これまで僕は、メンバーシップという場で、フリーランスとしての知見や技術的なノウハウを中心に発信してきた。それは僕が 14 年間、現場で必死に積み上げてきたものであり、僕という人間を構成する大切な一部だ。

けれど、心のどこかで、それだけでは伝えきれない「何か」があると感じていた。ノウハウという鎧をまとった僕ではなく、もっと生身の、不器用な僕自身の言葉を紡ぐ場所が必要だったのかもしれない。

本音を言うと、メンバーシップの記事だけではダメだと思ったんだ。もっと多くの人に、”おおとろ” という一人の人間の、飾り気のない姿を知ってほしかった。だから、週に一度、この場所で鎧を脱ぐことに決めた。

沈黙のなかで見つけた言葉

吃音症の僕にとって、「話す」という行為は常に緊張と隣り合わせだ。頭の中には言葉が溢れているのに、喉がそれを拒絶する。もどかしさと自己嫌悪が、ずっと僕の心を覆っていた。

けれど、書く時間は違った。

そこには、僕を急かす人は誰もいない。焦る必要も、うまく見せる必要もない。静寂のなかで、僕はただ、心の内側から湧き上がる言葉の源泉に耳を澄ます。一つひとつ、丁寧に言葉を選び、指先から紡ぎ出す。

それは、もう一人の自分との対話だった。

話すときには見えなかった僕自身の感情、考え、そして弱さ。書くことで初めて、僕はそれらに輪郭を与え、向き合うことができた。書くことは、僕にとって内面と向き合い、自分自身を再発見するための、かけがえのない時間なのだ。

書くしかなかった、だから書く

過去にも「書くこと」について、何度か記事にしてきた。吃音の僕が、文章を武器に変えてきた話。書くことで人生を切り拓いてきた話。それらはすべて、紛れもない僕の真実だ。

けれど、今日のこのエッセイは、それらのアップデート版であり、もっと根源的な独白に近い。

フリーランスとして生きる術でも、コミュニケーションの武器としてでもなく、ただ「僕が僕であるため」に書く。それは決意というより、ほとんど本能に近い感覚だ。

言葉に詰まる僕が、唯一自由に呼吸できる場所。それが、この文章を綴る時間なのだから。

これから毎週日曜日、ここで僕の物語が紡がれていく。特別なことは何もない、ありふれた一人の人間の、内なる声の記録。もしよければ、この静かな対話に、少しだけ付き合ってもらえたら嬉しい。

ひとりごと

「書くしかなかった」——。

このタイトルは、僕の人生そのものを表しているような気がします。うまく話せないというコンプレックスが、結果的に僕を「書く」という広大な世界へ導いてくれました。

このエッセイシリーズは、そんな僕が日々のなかで感じたこと、考えたことを、フィルターを通さずに綴っていく場所です。

あなたの心に、何か少しでも響くものがあれば、それ以上に嬉しいことはありません。

2025© おおとろ

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