【週末エッセイ】 いつもの道を、 少しだけゆっくり歩いた 〜 歩く速度を変えると、 景色が変わる 〜
急がない日だけ、 道は別物になる
平日の僕は、歩くことが移動です。
時間を短くするための手段。
信号のタイミングとスマートフォンの通知を避けるルート選び。
でも土曜の朝だけ、ルールを一つだけ変えています。
いつもの道でも、歩幅を半歩ぶんゆるめる。
それだけです。
地図も変えないし、目的地も同じコンビニでもいいし、どこへも行かない寄り道でもいい。
ただ、足の裏が地面を撫でる時間をわざと長くする。
すると不思議なことに、同じ街なのに別の街に見えるのです。
景色は速さについてこられない
走っているとき、僕たちは目的地の座標しか見ていない。
角を曲がる角度、横断歩道の白線、自転車のベル。
歩く速度を落とすと、世界は座標ではなく質感で現れます。
塀の漆喰のひび。
電柱に貼られた、すっかり色あせた紙。
植え込みのなかで、まだ名前も知らない小さな花。
これらは正直、急いでいた平日の僕には存在しなかったのと同じです。
存在はしているのに、視界に入る速度を越えて落ちていく。
まるで、映画の背景みたいに。
フリーランスは、在宅で画面にいる時間が長いぶん、外の風を身体で受け取る機会が少なくなりがちです。
だからこそ、遅い歩きは、画面の外の空気を身体で受け取るための小さな時間にしたいのです。
みんなが早い方向へ行く日
4 月の土曜日、街には急ぐ理由が増えます。
花見の予定、引っ越しの段ボール、新しい制服の袖を直すための時間。
みんなが正しい方向へ急いでいるのを見ると、僕は吃音の癖で言葉まで急ぎがちになる日があります。
「ちゃんとしなきゃ」
「置いていかれないように」
と心拍が先に走る。
そんなとき、わざと遅い歩きを選ぶのは、反抗というほど強い言葉じゃない。
もっと静かな合図に近いです。
「今日は景色のほうを先に通そう」
角を曲がる前に、空の明るさを一度だけ確認する。
それだけで、胸のあたりの早鐘がほんの少し遅くなるのを感じます。
速度を変えるのは、 贅沢というより礼儀
贅沢品が要らない人もいます。
時間がない人もいます。
だから僕が言いたいのは、「遠くへ旅行に行け」ではありません。
いつもの道で、いちばんつまらないと思っていた区間を、今日だけ三歩ぶん丁寧に踏む。
それは世界への冒険じゃない。
自分の感覚へ、礼儀正しく戻る行為です。
歩く速度を変えると景色が変わる。
というより、変わるのは景色だけじゃなく、見る側の解像度なのだと思います。
土曜の朝、 僕は少しだけ遅く歩いた
もし今週末、あなたが何もしていない自分に少し罪悪感を覚えたら。
掃除でも勉強でもなくていい。
いつもの道を少しだけゆっくり歩いてみてください。
同じ場所が違って見えたら、それは怠けじゃない。
感覚が生き返ったサインです。
僕も来週の平日には、また急ぐ足に戻るでしょう。
それでも、土曜に一度だけ遅く歩いた記憶が胸のどこかに残っていれば、それで十分なのです。
ひとりごと
急ぐことばかり上手になった大人に、遅い歩きはちょっと恥ずかしい。
でも、恥ずかしさのあとに残るのは、ちゃんと今日を生きた感覚でした。
みなさんのいつもの道が、今週末だけ少しやさしい景色になりますように。

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