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僕が書くことで人生を切り拓いてきた話

吃音症の僕が見つけた、 文章という最強のコミュニケーションツール

みなさんはペンを手に取るとき、あるいはキーボードに向かうとき、どんな想いを胸に秘めているでしょうか。

真っ白なページに、あるいは点滅するカーソルに、これから紡ぎ出される言葉たちがどんな物語を織りなすのか——。

僕にとって、書くという行為は、単なる情報伝達の手段ではありませんでした。

それは、うまく言葉を発せられない僕が自分自身を表現し、誰かと繋がり、そして見えない壁に立ち向かうためのかけがえのない武器であり、避難場所であり、そして未来を照らす灯火でもあったのです。

この物語は、吃音というハンディキャップを抱えた僕が、文章という最強のコミュニケーションツールと出会い、どのようにして人生を少しずつ、しかし確かに切り拓いてきたかの記録です。

もし、あなたが伝えることにもどかしさを感じていたり、自分らしい表現の方法を探していたりするなら、このささやかな体験談が何か小さなヒントになるかもしれません。


言葉が壁になった日、 文章が光になった瞬間

みなさんは、自分の想いをうまく言葉にできず、もどかしい思いをした経験はありませんか?
胸の内には伝えたい感情やアイディアが渦巻いているのに、それが喉元でつっかえて出てこない——
そんな経験は、誰にでもあるかもしれません。

僕にとって、それは日常茶飯事でした。
なぜなら、僕は吃音症(きつおんしょう)だからです。

幼い頃から、言葉を発することは僕にとって大きな壁でした。
最初の言葉がスムーズに出てこない。
特定の音が言いにくい。
緊張すると、さらに言葉が詰まってしまう。
クラスでの発表、友達との何気ない会話、お店での注文——
生活のあらゆる場面で、僕は話すという行為に恐怖と葛藤を抱えていました。

「どうして自分だけ、みんなと同じように普通に話せないんだろう?」

そんな思いが常に胸にありました。
話すことへのコンプレックスは、伝えることそのものへの渇望と表裏一体でした。
伝えたいことはたくさんあるのに、その手段がうまく使えない。
このジレンマは、僕を長い間苦しめました。

ある日、本当に些細なきっかけでしたが、僕は書くという行為に、ほんのわずかな光を見出したのです。
それは、まるで暗闇の中で小さな灯火を見つけたような、そんな瞬間でした。

UnsplashIsaac Smithが撮影した写真

僕にとって話すということ

見えない壁との戦い

吃音症と共に生きてきた僕にとって、話すことは常に見えない壁との戦いでした。

例えば、会社員時代。
電話が鳴るたびに、僕の心臓は跳ね上がりました。
相手に失礼がないように、スムーズに会社名と自分の名前を言わなければならない。
ただそれだけのことが、僕には途方もなく難しかったのです。
どもってしまい、相手に何度も聞き返された経験は一度や二度ではありません(汗)
そのたびに、顔から火が出るような思いをしました。

会議での発言も苦痛でした。

良いアイディアが浮かんでも、

「ここでどもったらどうしよう」
「変に思われるんじゃないか」

という不安が先に立ち、結局何も言えずに終わることがほとんど。
朝礼での短いスピーチ当番の日などは、数日前から憂鬱でした。

周囲に悪気がないことはわかっています。
でも、「もっとハキハキ喋ったら?」という何気ない一言や、言葉に詰まる僕を心配そうに見つめる視線は、静かに僕の心を削っていきました。

「伝えたいことがあるのに、言葉がスムーズに出てこない」

このもどかしさ、焦り、そして自己嫌悪——
当時の僕は、そんな負の感情のループから抜け出せずにいました。
まるで分厚いガラスの壁の向こう側で人々が楽しそうに会話しているのを、ただ眺めているしかないような、そんな孤独感を感じていました。

UnsplashCarrie Allen www.carrieallen.comが撮影した写真

書くこととの出会い

偶然見つけた小さな避難場所

そんな僕が書くという行為に意識的に向き合い始めたのは、本当に偶然の積み重ねでした。

最初の記憶は、小学生の頃に書いた読書感想文だったかもしれません。
話すのは苦手でも、原稿用紙のマス目を一つひとつ埋めていく作業は、不思議と苦ではなかったのです。
むしろ、自分の考えをじっくりと時間をかけて言葉にできることに、一種の安らぎさえ感じました。

社会人になってからは、業務日報や報告書を書く機会が増えました。
口頭での報告は緊張しましたが、文章であれば自分のペースで情報を整理し、正確に伝えることができます。
書いている間は、吃音の悩みから解放されるような感覚がありました。
それは僕にとって、まるで小さな避難場所を見つけたような気持ちでした。

そして、インターネットの普及と共に、ブログという表現の場があることを知ります。
最初は匿名で、本当に日々の些細な出来事や感じたことを綴るだけでしたが、誰に見られるでもないその場所で、僕は少しずつ自分の内面を言葉にする練習をしていったのです。

それは、話すことの代替手段というよりは、書くことそのものに感じた確かな手応えでした。
そこには、言葉が詰まる恐怖も、他人の視線を気にする必要もありませんでした。
ただ、僕の思考と感情が、静かに文字へと変わっていく——
そのプロセスが、僕には何よりも心地よかったのです。

UnsplashScott Grahamが撮影した写真

文章という名の翼

吃音症の僕が初めて伝えられた喜び

書くという行為に安らぎを見出した僕でしたが、それが伝えることの喜びにつながると実感するまでには、もう少し時間が必要でした。

転機となったのは、数年前に始めた個人の技術ブログでした。
フリーランスのエンジニアとして活動する中で得た知識や経験を、誰かの役に立てればという思いで、拙いながらも記事を書き始めたのです。

ある日、僕が書いたある特定の技術に関する解説記事に、一通のコメントが届きました。

「ずっと疑問だった点が、この記事を読んでようやく理解できました。
 本当にありがとうございます!」

その短いメッセージを読んだ瞬間、僕は言葉を失いました。
いや、正確には、胸の奥から熱いものが込み上げてきて、声にならなかったのです。

——伝えられた(泣)

吃音症で、ずっと話すことにコンプレックスを抱えてきた僕が、文章を通じて、見ず知らずの誰かに何かを伝えることができた。
その事実は、僕にとって衝撃的な体験でした。
まるで、ずっと地面を這っていた自分が、初めて文章という翼を授けられ、空を飛べたような感覚。
大袈裟ではなく、本当にそう感じたのです。

それからというもの、僕は夢中でブログを更新しました。
読者からの質問メールに返信するのも、以前なら電話でのやり取りを想像して憂鬱になったかもしれませんが、メールという文章でのコミュニケーションなら、落ち着いて自分の考えを丁寧に伝えることができます。

「なるほど、そういうことだったんですね!」
「丁寧な解説、感謝します」

そんな返信が来るたびに、僕の心は温かくなり、書くことへの自信が少しずつ育っていくのを感じました。
吃音症というハンディキャップがあっても、文章を通じてなら人と深く繋がり、価値を提供できるかもしれない——
その発見は、僕の人生における大きな一歩となりました。

UnsplashHanny Naibahoが撮影した写真

書くことを磨く日々

試行錯誤の先に見えたもの

伝えられたという喜びを知った僕は、もっと自分の書く力を磨きたいと強く思うようになりました。

最初は個人のブログから始まりましたが、やがてその活動は SNS での発信、そしてこの note へと繋がっていきます。
それぞれのプラットフォームには異なる特性があり、読者層も違います。
どうすれば自分の想いや考えがより多くの人に、より深く届くのだろうか——
試行錯誤の日々が始まりました。

たくさんの文章術に関する本を読み漁りました。
人気のあるブロガーやライターの記事を徹底的に分析し、構成や言葉選び、表現方法を研究しました。
読者の心に響くタイトルとは何か、専門的な内容をどうすれば分かりやすく伝えられるか、感情を揺さぶるストーリーテリングの秘訣は何か——
知れば知るほど、書くことの奥深さに魅了されていきました。

当時読んでた本をちょっとだけ紹介。

読み手が

「思わず読みたくなる」
「最後まで読んでもらえる」
「読みながら納得できる」
「読み終わったら賛成してくれる」

ような文章を書くための 18 のテクニックが紹介されてるんですよね。

おっと、2025 年 4 月に新装版が発売されてたんですね。
買い直そうかな(笑)

あと、文章とは関係ないけど、ストーリーについてはこの本かな。

他にもたくさん読んでいて紹介したいですが、この辺で話を戻しますね。

もちろん、失敗もたくさんしました。
渾身の力で書いた記事が誰にも読まれなかったり、意図しない形で誤解されてしまったり。
読者からの厳しいフィードバックに落ち込むこともありました。
でも、その一つひとつの経験が、僕の書く力を鍛える貴重な糧となったのです。

フリーランスとして独立してからは、書くスキルが仕事に直結する場面も増えました。
クライアントへの提案書、ウェブサイトのコピーライティング、そして自身の活動を発信し、信頼を構築するための情報発信——

これら全てにおいて、書く力は不可欠でした。
吃音症の僕にとって、対面でのプレゼンテーションや交渉は依然として得意ではありません。
しかし、事前に練り上げた文章があれば、それを土台に落ち着いてコミュニケーションを取ることができます。
文章は、僕にとって強力な武器であり、盾でもあったのです。

UnsplashGadiel Lazcanoが撮影した写真

書くことで得られた、 かけがえのない宝物

書くことを諦めずに続けてきた結果、僕は本当にたくさんのかけがえのない宝物を手に入れることができました。

ひとつ目は、自己理解の深化です。

自分の頭の中にあるモヤモヤとした感情や考えを文章にすることで、それらが驚くほど整理されていくのを何度も経験しました。

「自分は本当は何を考えていたのか」
「何に価値を感じているのか」

書くことは自分自身との対話であり、自己発見の旅でもありました。

ふたつ目は、他者との深い繋がりです。

僕の文章に共感してくれる読者の方々、同じ志を持つ仲間との出会いは、何物にも代えがたい財産です。

特に note を始めてからは、吃音症のこと、フリーランスとしての働き方、日々の小さな気づきなどを発信する中で、温かいコメントや応援のメッセージをいただく機会が増えました。

画面の向こう側に、確かに僕の言葉を受け止めてくれる人がいる——
その事実が、どれほど僕を勇気づけてくれたことか。

みっつ目は、仕事の広がりとキャリアの進展です。

文章での情報発信を続けるうちに、少しずつ僕の活動を知ってくれる人が増え、それが新しい仕事の依頼に繋がることがありました。

「ブログを読んで、あなたにお願いしたいと思いました」

と言われた時の喜びは、今でも忘れられません。

書くことが僕の専門性や人となりを伝え、信頼を育む架け橋となってくれたのです。

そしてよっつ目は、吃音症に対する捉え方の変化です。

かつては僕を苦しめる最大のコンプレックスだった吃音症。
しかし、書くという表現手段を得たことで、少しずつその捉え方が変わってきました。
話すのが苦手だからこそ、言葉一つひとつを大切にするようになった。
伝えたいという想いが人一倍強いからこそ、文章に情熱を込められるようになった。

吃音症は、僕から何かを奪ったかもしれないけれど、同時に書くことへの強い動機付けを与えてくれたのかもしれない——
そう思えるようになったのです。

これらの宝物は僕の人生を豊かにし、精神的な安定と自己肯定感をもたらしてくれました。
書くことがなければ、今の僕はなかったと断言できます。

UnsplashJonathan Franciscaが撮影した写真

吃音症の僕にとって文章は、 もう一つの声

今でも、話すことへの苦手意識が完全になくなったわけではありません。
緊張する場面では、やはり言葉が詰まってしまうこともあります。

でも、僕には書くという、もう一つの声があります。

文章は、僕にとって単なるコミュニケーションツールではありません。
それは、吃音という制約を超えて、僕の内面を自由に、そして深く表現するための翼です。
自分の考えや感情、経験、願い——
それら全てを、時間の制約も他人の視線も気にすることなく、言葉に紡いでいくことができます。

そして、その言葉は、時に海を越え、時を超えて、誰かの心に届くかもしれない。
そう考えると、本当にワクワクします。

書くという行為は、僕にとって自分らしさを肯定し、人生を主体的に切り拓いていくための原動力なのです。
吃音症の僕が、社会と繋がり、自分の価値を表現し、そして誰かの役に立つための最強の武器だと思っています。

UnsplashEtienne Girardetが撮影した写真

あなたにとっての書くこととは?

ここまで、僕が書くことで人生を切り拓いてきた話、そして吃音症という壁を乗り越えるために文章がいかに大きな力になってくれたかをお伝えしてきました。

この note を読んでくださっている方の中にも、吃音症に限らず、何らかの理由でコミュニケーションに困難を感じている方、自分の想いをうまく表現できないと感じている方がいらっしゃるかもしれません。

もしそうなら、僕はそっと書くという選択肢を提案したいです。

書くことは、特別な才能や技術がなくても、誰にでも今日から始められる、素晴らしい自己表現の手段です。
それは、あなたの内なる声に耳を澄まし、それを形にする創造的な行為です。

完璧な文章でなくてもいい。
誰かに見せるためでなくてもいい。

まずは、短い日記からでも、感じたことをスマートフォンにメモとして残すだけでもいいのです。
その小さな一歩が、もしかしたらあなたの世界を大きく変えるきっかけになるかもしれません。

あなたにとって、書くこととは何でしょうか?

もし、まだその答えが見つかっていなくても、大丈夫。
ぜひ、あなた自身の書く物語を、今日から紡ぎ始めてみませんか?

僕の経験が、少しでもあなたの背中を押すことができたなら、こんなに嬉しいことはありません。

ひとりごと

フリーランスの孤独、吃音の壁…痛いほどわかります。
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