志苔館(北海道函館市)の登城の前に知っておきたい歴史・地理・文化ガイド #DJ079
志苔館(北海道函館市)を訪れる前に知っておいた方がいい歴史、地理、文化の情報をまとめました。
具体的には、以下の点について詳しくまとめています:
志苔館の歴史(築城の背景、役割、戦国時代・江戸時代での変遷、現在の遺構)
志苔館の地理と構造(立地の特徴、防御の工夫、周辺の地形)
函館の地域文化と観光スポット(函館市の伝統文化、近隣の歴史的名所、地元の食文化)
志苔館へ登城する際にご参考にしてみてください。
志苔館(北海道函館市)ガイド
1. 志苔館の歴史
築城の背景
志苔館(しのりだて)は、14~15世紀頃に和人(本州から渡来した日本人)によって築かれた中世の城館跡です (史跡志苔館跡 | スポット一覧 | はこぶら)。当時、和人勢力は蝦夷地(北海道南部)に「道南十二館」と総称される館(たて)を構築しており、志苔館はその中で最も東に位置する拠点でした (史跡志苔館跡 | スポット一覧 | はこぶら)。築城者について明確な記録は残りませんが、津軽の安東氏(安藤氏)一族が配下の武将である小林良景を派遣し、この地に館を築かせたと伝わります (20190407 志苔館-Mikhail的旅行小記|痞客邦)。志苔館が築かれた背景には、函館周辺が古くから良質な昆布(「宇賀の昆布」)の産地で天然の良港に恵まれていたことがあり (史跡志苔館跡 | 函館市)、和人勢力にとって交易拠点および蝦夷地防衛の要地とする狙いがあったと考えられます。また、『新羅之記録』など松前藩の史料によれば、康正年間(1455~1457年)頃に小林良景が志苔館の館主となっていたとされ (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)、祖父の代(14世紀末頃)にはすでに小林氏が志苔に定住して館を構えていた可能性も指摘されています (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。
戦国時代・江戸時代での役割
志苔館はアイヌとの抗争の舞台ともなりました。康正3年5月(1457年)に発生したコシャマインの乱では、交易のいざこざを契機に蜂起したアイヌ勢力の攻撃を受けて館が一時陥落し、館主の小林良景(良景は良の字がつくため「小林良景」と記す資料もあるが、実際には良景ではなく良景は同一人物を指す可能性が高い)が戦死したと伝えられます (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。しかし翌年には和人側が志苔館を奪還し、以後もこの地を維持しました (20190407 志苔館-Mikhail的旅行小記|痞客邦)。その後、永正9年(1512年)にもアイヌの大規模な戦い(ショヤコウジ兄弟の戦い)が起こり、志苔館は再び攻め落とされ、小林良定(良景の子)ら守将が討ち死にしています (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。この戦いの後、生き残った小林氏一族は志苔館を放棄して永正11年(1514年)に大館(松前方面)へ移り、蠣崎氏(のちの松前氏)に仕えるようになりました (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。16世紀以降、渡島半島南部一帯は蠣崎氏(松前氏)の支配下に入り、志苔館は軍事的拠点としての役割を終えたと考えられます。江戸時代には松前藩が蝦夷地南部を統治していましたが、志苔館自体に関する記録はほとんど残っておらず、この頃までに廃館(廃城)となって荒廃していたと推定されています (20190407 志苔館-Mikhail的旅行小記|痞客邦)。
志苔館のその後(明治以降)
近代に入ると、志苔館跡は一度農地などに転用されました。明治18年(1885年)には志苔小学校の農業実習地として使用され、その後は旧日本陸軍の軍用地となった時期もありました (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。やがて民間に払い下げられましたが、志苔地区の有志は遺跡の保存を望みます。明治32年(1899年)、地元有志が地主から志苔館跡の譲渡を受け、保存活動を開始しました (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。大正7年(1918年)には志苔館址の石碑が建立され、郷土の歴史遺産として顕彰されています (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。昭和9年(1934年)8月9日、志苔館跡は国の史跡に指定されました (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。さらに昭和52年(1977年)には、腰曲輪(こしぐるわ)や外濠を含む範囲まで指定区域が拡大され、遺構全体が保護されています (志苔館 - Wikipedia)。昭和43年(1968年)には館の西側近くで道路工事中に中世の埋蔵銭約38万枚が入った陶器の壺3つが発見されました (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。出土した古銭は漢代から明代に及ぶ93種類・約38万7514枚にも上り、日本国内でも最大級の発見例として注目され、現在「北海道志海苔中世遺構出土銭」として国の重要文化財に指定されています (志苔館 - Wikipedia)(市立函館博物館に収蔵展示)。昭和58~60年(1983~1985年)には函館市教育委員会による大規模な発掘調査が行われ、館跡から建物跡や井戸跡、堀など数多くの遺構が確認されました (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。調査に基づき環境整備も行われ、現在では史跡公園として整備された志苔館跡を訪ねることができます。2017年には続日本100名城(続百名城)の第101番に選定されており (志苔館 - Wikipedia)、歴史ファンの間でも注目を集めるスポットとなっています。
2. 志苔館の地理と構造
立地の特徴
志苔館跡は函館市街地から東へ約9km離れた海岸沿いの台地上に位置し、標高17~25mほどの海岸段丘の縁に築かれています (史跡志苔館跡 | 函館市)。館の南側は津軽海峡に面した崖となっており、北側には旧志苔川(志海苔川)が流れ、東側は沢地形(渓流地形)になっているなど、三方を天然の地形によって守られた要害の地でした (志苔館 - Wikipedia)。館跡から南西方向には函館山と市街地、津軽海峡を一望でき、天気が良ければ遠く本州の下北半島まで見渡せる眺望の良さも特徴です (史跡志苔館跡 | 函館市)。この付近の海岸線は古くから良港が点在し、前述のように良質な昆布の産地でもあったことから (史跡志苔館跡 | 函館市)、立地面で交易・補給の拠点としても優れていたと言えます。現在では函館空港がすぐ北側に隣接しており、飛行機で函館に到着してすぐに訪問できる史跡でもあります。
館の構造
志苔館は海岸段丘上の平坦地を活かして築かれた平山城タイプの館で、周囲に土塁と空堀を巡らせたほぼ長方形の縄張りを持ちます (志苔館 - Wikipedia) (史跡志苔館跡 | 函館市)。館の規模は東西約70~80m、南北約50~65m、面積約4,100㎡ほどで、内部は北から南に緩やかに傾斜する平地になっています (史跡志苔館跡 | 函館市)。四方を囲む土塁の高さは北側で約4.0~4.5m、南側で約1.0~1.5mあり (志苔館 - Wikipedia)、特に東側の土塁は最大約12mの高さに達し虎口(出入口)が設けられていました (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。西側にも幅約10mの二重の土塁があり、間に深さ約2mの空堀が南北方向に延びています (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。館の主郭(中心郭)への入口は東西にあり、西側が大手門(正門)にあたります (史跡志苔館跡 | 函館市)。北側および西側の外周には幅約5~10m、深さ最大約3.5mの空堀が穿たれ、その断面形状はV字型の薬研掘り(箱薬研堀)となっています (史跡志苔館跡 | 函館市)。南側は海に面した天然の断崖となっているため堀は設けられていませんが、その崖上に高さ約10mの土塁を築いて防御としています (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。館内からは門の礎石や建物跡、井戸跡、柵の跡などが検出されており、発掘調査により掘立柱建物の柱穴列や井戸の構造(四隅に柱を立て板を落とし込んだ箱型井戸)なども確認されています (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書) (志苔館 - Wikipedia)。館内で発見された遺物には、中国産の青磁・白磁や国産の珠洲焼・越前焼・古瀬戸など15世紀前半頃の陶磁器が多く含まれており、館が機能していた時期を物語っています (志苔館 - Wikipedia)(1457年の戦乱による落城と年代的に矛盾しない出土状況とされています (志苔館 - Wikipedia))。
現存する遺構
現在、志苔館跡には当時の縄張りに沿った形で土塁や曲輪、空堀などの遺構が良好に残存しています (志苔館 - 維基百科,自由的百科全書)。緑草に覆われた館跡の周囲を取り囲む土塁は、北側で高さ4m以上、南側でも1m余りが確認でき、その規模を目で見て実感できます (史跡志苔館跡 | 函館市)。北側と西側の外周には空堀も現存しており、特に西側では二重空堀の形状がはっきりと見て取れます (史跡志苔館跡 | 函館市)。郭内は一面芝生の広場となっていますが、地表には建物跡や井戸跡の位置がわかるよう埋め込みブロックや案内板が設置されています (史跡志苔館跡 | スポット一覧 | はこぶら)。例えば、大手門跡や主屋とみられる建物の柱配置、井戸の位置には石標や囲いがあり、訪れた人は往時の館の構造をイメージしながら散策することができます (史跡志苔館跡 | スポット一覧 | はこぶら)。志苔館跡には和人・アイヌ双方の戦没者を慰霊する碑も建てられており、1457年の戦いで命を落とした人々を静かに追悼しています (20190407 志苔館-Mikhail的旅行小記|痞客邦)。史跡内の散策路は整備されていますが、土塁の斜面は急勾配で崩れやすいため、見学時には注意が必要です(函館市も安全のため斜面に立ち入らないよう呼びかけています (史跡志苔館跡 | 函館市))。なお、発見された大量の古銭は前述の通り市立函館博物館で展示されています。志苔館跡そのものは24時間自由に見学可能な野外遺跡公園で、函館の歴史を物語る貴重な史跡として保存・活用されています。
3. 地域文化と観光スポット
函館市の伝統文化(和洋折衷の文化)
函館は幕末の安政6年(1859年)に開港場として外国に開かれて以来、和と洋の文化が交錯して発展してきた港町です。函館山の麓に広がる元町・西部地区には、開港後に建てられた教会や領事館などの西洋建築と和風建築が混在し、独特の景観を形成しています (函館の街並みの「華」 、和洋折衷住宅の魅力 | 特集一覧 | はこぶら)。たとえば旧函館区公会堂やハリストス正教会(函館正教会)、カトリック元町教会、旧英国領事館など歴史的建造物が建ち並び、異国情緒あふれる街並みを楽しむことができます。函館には明治以降、大火(1907年と1921年の大火)を契機に1階は和風・2階は洋風という和洋折衷様式の住宅が数多く建てられた歴史もあり、これらの建物が現在も残って函館特有の町並み美を演出しています (函館市 - 維基百科,自由的百科全書)。和と洋の文化が調和した函館の街は「坂の街」「教会と和洋折衷建築の街」として知られ、そのレトロでノスタルジックな雰囲気は訪れる旅行者に深い印象を与えるでしょう (函館の街並みの「華」 、和洋折衷住宅の魅力 | 特集一覧 | はこぶら)。また、函館の伝統行事として毎年夏に開催される函館港まつりでは、市民が踊るユーモラスな「イカ踊り」が名物となっており、海とイカに縁の深い函館らしい文化を見ることができます(※イカ踊りは函館で水揚げ量の多いイカにちなみ考案された踊りで、祭りのハイライトとして親しまれています)。
近隣の歴史的名所
五稜郭(ごりょうかく) – 志苔館跡を訪れたら、函館市内の五稜郭公園にも足を延ばすことをおすすめします。五稜郭は江戸時代末期(1864年)に幕府が築いた星形要塞で、日本初の本格的な西洋式城郭として知られます。戊辰戦争では旧幕府軍が籠もり、新政府軍と戦った箱館戦争(1868~69年)の最後の舞台となりました (箱館戦争 - Wikipedia)。現在は石垣の一部と土塁、外郭の一部が公園として整備され、春には約1,600本の桜が咲く名所です。展望塔「五稜郭タワー」からは星形の全貌を見渡せ、幕末の歴史に思いを馳せることができます。
元町・ベイエリア地区 – 函館山麓の元町周辺は、函館の歴史的雰囲気を感じられる散策スポットです。石畳の坂道(八幡坂や基坂など)が続く通り沿いに、和洋折衷の旧住宅や教会群、資料館、洒落たカフェや土産物店が軒を連ね、レトロな雰囲気を楽しめます (函館元町區旅遊景點指南:介紹充滿復古氛圍和歷史建築的熱門景點)。特に函館ハリストス正教会(ロシア正教会)やカトリック元町教会の美しい教会建築、和洋折衷様式の旧函館区公会堂(1910年築の木造洋館)などは必見です。少し下った海沿いのベイエリアには赤レンガ倉庫群があり、明治~大正期に建てられた倉庫を改装したショッピングモールやレストランが並びます。夜には倉庫群がライトアップされ、港の夜景と相まってロマンチックな景観を楽しめます。元町地区とベイエリアは函館の和洋折衷文化が最も色濃く残るエリアであり、街歩きを通して函館の歴史的背景に触れることができるでしょう。
函館山(はこだてやま) – 標高334mの函館山は、市街地の西端にそびえるシンボル的存在です。山頂から望む函館市街の夜景は「100万ドルの夜景」と称され、香港・ナポリと並んで世界三大夜景の一つに数えられたこともあるほど有名です (世界三大夜景- 維基百科)(現在は諸説ありますが、日本三大夜景の一つとの評価が定着しています)。夕暮れ時から夜にかけて山頂の展望台には多くの観光客が訪れ、宝石を散りばめたような函館市街と漆黒の海が織りなす絶景を楽しみます。函館山へはロープウェイや車道で手軽に登ることができ、昼間でも津軽海峡に囲まれた町の全景を一望できます (被喻為日本三大夜景、世界三大夜景的函館山百萬夜景)。歴史的視点では、函館山は明治時代に要塞(旧函館要塞)の一部として山頂付近に複数の砲台や観測所が築かれ、一般人の立ち入りが禁止されていた時期がありました (函館山- 維基百科,自由的百科全書)。現在でも山中にはいくつか砲台跡が残存しており(北海道遺産に指定)、ハイキングコースの途中で見学することも可能です (函館山の砲台跡(旧函館要塞) | スポット一覧 - はこぶら)。こうした史跡も含め、函館山は自然と歴史と夜景を同時に満喫できる観光スポットと言えるでしょう。
地元の食文化(函館名物グルメ)
海と港に囲まれた函館ならではの新鮮な海産物グルメは、旅行者にとって外せない楽しみです。中でもイカは函館の象徴的存在で、市内の函館朝市(駅前の市場)では、生け簀からイカを釣り上げてその場で捌いてもらう活イカ刺しや、ウニ・イクラなどを贅沢に載せた海鮮丼を味わうことができます。プリプリと透明なイカ刺しは絶品で、朝市の名物体験として人気です (道南B級グルメの「王様」ハンバーガー - 函館ラッキーピエロ)。また、函館発祥の塩ラーメンもぜひ試したい一品です。透き通った塩味スープにストレート麺を合わせた函館ラーメンはあっさりとした奥深い旨みが特徴で、老舗ラーメン店「麺厨房あじさい」などが知られています(函館駅や五稜郭にも支店あり)。さらに忘れてはならないのが、地元密着のハンバーガーチェーンラッキーピエロです。寿司や海鮮はもちろんですが、実は「函館っ子のお気に入り」はラッキーピエロのハンバーガーだと言われるほど地元で愛されています (道南B級グルメの「王様」ハンバーガー - 函館ラッキーピエロ)。ラッキーピエロは函館市内と道南地域にしか店舗がなく(17店舗を展開)、ご当地グルメの王様的存在です (道南B級グルメの「王様」ハンバーガー - 函館ラッキーピエロ)。看板メニューのチャイニーズチキンバーガーは甘辛い中華風タレを絡めた鶏の唐揚げとたっぷりのレタスを挟んだボリューム満点の一品で、観光客にも評判です (地元民がおすすめ♪見逃してほしくない函館定番グルメ!)。このほか、函館ならではのユニークなB級グルメとしてやきとり弁当(ハセガワストア)も挙げられます。コンビニエンスストア「ハセガワストア」が提供する焼き鳥弁当は、串に刺した豚肉の焼き鳥風焼き串をご飯に載せたローカルフードで、甘辛いタレの風味がやみつきになります (地元民がおすすめ 見逃してほしくない函館定番グルメ! - 北海道ラボ)。明治創業の老舗洋食店五島軒のカレーライスは、函館に西洋文化が根付いた証しともいえる存在で、コク深い欧風カレーを味わえます。デザートにはトラピスチヌ修道院の修道女が作るクッキーや、函館牛乳を使ったソフトクリームなども人気です。
このように函館には、新鮮な海の幸から異国由来の洋食・スイーツまで、多彩な食文化が息づいています。事前に名物料理や評判の店をリサーチしておけば、旅先でより充実した食体験を得られるでしょう。朝市での海鮮朝食、昼はラーメンやハンバーガーの食べ比べ、夜は地元の居酒屋で海鮮やジンギスカンを肴に一杯、といったプランもおすすめです。函館の歴史に触れた後は、ぜひ地元グルメも堪能してみてください。 (道南B級グルメの「王様」ハンバーガー - 函館ラッキーピエロ) (地元民がおすすめ 見逃してほしくない函館定番グルメ! - 北海道ラボ)
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