「誰かのために」って結局、自分のためだった
はじめまして。
このnoteでは、自己分析や日々の気づきをもとに、自分を知っていくプロセスや、自分自身との向き合い方を綴っていきます。
正直、最初の投稿って何を書けばいいのか迷ったんですが、
「迷っている自分そのもの」が今の等身大の姿だなと思ったので、
それも含めて書いてみます。
「誰かのために」は、きっと「自分のため」
昔から「誰かのために」動くことが多かったです。
頼まれると断れないし、自然と人のために動いてる自分がいた。
つい最近まで(今でもちょっと)それを「承認欲求」だと思ってたんです。
褒められたい。認められたい。評価されたい。
でも最近気づいたのは、
「誰かのために動くこと」が、自分のためになるって知っているからこそ、やってるんだってこと。
結局、自分が満たされる感覚があるからやってる。
でも、それでもいいじゃんって思ったんです。
結果として誰かの役に立ってるなら、
動機が自分本位でも、全然OKなんじゃないかって。
嫉妬も、承認欲求も、自己肯定感も「エネルギー」になる
最近、こんなことを考えるようになりました。
「誰かみたいになりたい」っていう嫉妬は、エネルギーの原石
自己肯定感を高めたいという願いは、自分にも他人にも火をつけられる力
「何かやらなきゃ」っていう "むずむず” は、動き出すサイン
きっとこういう気持ちは、ちゃんと自分を好きになろうとしている
証拠なんだと思います。
自分はこうなる
自分の能力や金銭力、時間などに制限されることなく
自分のやりたいことができるようになる
例えば、
好きな時に家族と旅行に行く、一人で海外に飛び立つ、
やりたい仕事をする、頑張る人の力になる、
親にいい暮らしをさせてあげる、甥っ子にランドセルを買ってあげる、
友人と赤羽で昼からお酒を飲む、回らない寿司を毎週食べる、
たまにはのんびり家の周りを散歩する、引きこもって漫画を読みまくる、
などなど、上げ始めたらきりがありません。
改めて、究極のわがままですよね、知ってます
そのために、今後こういうことをやっていく
仕事で営業成績"1位"を取る
本を読んで知識を蓄える
アフェリエイト?広告収入?なにそれ気になる
色々な人に話を聞く、話を聞いてもらう
栗屋さんをオープンする
ちなみにこのnoteでの発信がまず第一歩です
一緒に変わっていけたら嬉しい
このnoteは、自己満足かもしれない。
でも、同じように「むずむず」してる人や、「自分を変えたい」と
思ってる人の背中を、ほんの少しでも押せたら嬉しい。
自分をもっと知りたい。もっと熱中したい。
そんな気持ちを大事にして、これからも言葉にしていきます。
私の変わりたいという思いから、行動に起こした「経験」を綴りますので
一緒に、少しずつ変わっていきませんか?
