生きる意味を体現してくれる人々
高校生の頃、卒業後の進路について考えるのはもう大半の人が経験すると言っても過言ではないのではないではないだろうか。(ややこしい日本語)
簡潔も簡潔に話すと、以前は医者・医療系に進みたかったが違うと思い、反対されながら進路変更し自衛隊に進むと決めた、という感じ。
(なんと今は自衛隊にも入っていない!人生何があるか、何が正解かわからないもんだ笑)
そんな時期に背中を押してくれた人の一人に空手部の友達がいる。うーん、彼女らしさいっぱいの強い言葉と態度がある、と言った方がしっくりくる。
ある日の放課後の練習で空手部の顧問と私とその友達を含む何人かの友達で進路について話していた。
私の近況報告として、進路変更して自衛隊員と、幹部候補生学校の受験に変えたと言った。
顧問は確かもったいないと言った。それで、何か違う進路を提案したはず。
それに返事をしようとした私を遮って、その例の友達が
「せんせ(先生)、〇〇(私)は大学とか学校に行きたいんじゃないんだよ。自衛隊になりたいの!学歴とか関係ないの!」
と、何とも生意気な態度で当の本人よりも強気で自信満々で言ったんだ。
「あ~、私って本当に幸せだな。こんないい友達持ったんだ。」単純にそう思った。感動した。
また遡り、昨年の夏に彼女に会いに韓国に行った。
事件当日(大袈裟)、私たちはバスに乗ってニュージーランドで出会ったgirlsに会いに行く途中だった。
そのバスの中で素敵な事件は起こった。
これまた簡潔に説明すると、私は外でも彼女にベッタリなことが多い。そういう恋愛観だから仕方ない。外では甘えるの禁止とか決まりじゃない限り、普通ありのままでいるんだ。前提として悪いことじゃないと思うし、確かに違う意見はあるとも思っているよ:)
そう、それでその”違う意見”を持つ方が真隣にいたみたい。世界は狭いというより、私かあなたという二種類なのではないかというレベル。
いつも通り彼女を囲むように吊り革を握って、彼女の頭の形を見たり、髪の毛の匂いを嗅いだりそうやって私は私の人生を思うように生きていた。
すると、真隣のおじいちゃん、すごい剣幕で私を睨むんだ。そして何か嫌〜な口調と起こったトーンで何か喋った。
もちろん私は韓国語はできませんから、そのニュアンスだけ感じ取りましたが。
そんなとぼけた私を見てさらに怒りを増されたみたいで、続けて何かもう一丁、という感じで何か言った。
さすがに何か返事をした方がいいと思って、とりあえず助けての目線で彼女を見ましたところ、それまで無視していた彼女が携帯を下ろしてそのおじいちゃん(いやいや、敬意を込めて、)お爺さんを振り返って何か綺麗に丁寧に言葉を発した。
するとお爺さん、まさに苦虫を噛み潰したような顔をして窓の外に目をやった。
ベイビー、何を言ったの?何を言ったの?と聞く私の頬をポンポンと触って気にしないで〜って一際可愛い声で言う。
でも気になる。バスを降りてまたしつこく聞く。私は元々しつこい性格だ。
そしたら、お爺さんは私の公共の場での行動がなってないだの、恋人がどうだの、若者がどうだの皮肉ったらしい、説教じみたことを言ったんだって。やっぱり。
「それで、ベイビーは?」
「お爺さん、あなたに関係ないことですよ。どうか引っ込んでいてください。」って言っただけ〜って。
おいおい、待て待て。
「惚れてまうやろー」 (こんな時に使うんだった)
いつも温厚で笑顔で溢れてて優しくて嘘もつかない誠実な彼女。こんなに丁寧でかっこいい一面も持ち合わせていたなんて。またもや感動した。
この二つの愛おしい出来事に共通してるのは、ってまとめられるいい言葉が見つからないんだけど、こんなにも言葉で溢れた世界でおかしな話なんだけど。
愛されてるんだって感じられるほどの行動を目の前で披露されて、私はどうしようもなくこの世界が愛おしく思えた。生きてきてよかったという何とも言えない安堵感を死んでもないのに味わえた。
私にとって”イイ人生”というのは、こんな人々に一人でも多く出会うことじゃないかと最近気づいた。(あくまでもこれだけではないけどね)
生きていく意味なんてはっきりとはわからないけど、これは確かに生きてこなきゃわからなかった答えだと思う。
自分自身より自分を信じてくれる人、どの状況でも守ってくれるであろう人。そこでは相手や状況が問題じゃなくて、私とその大事な人々の間の繋がりが全て解決してくれるんだ。大きくは気持ちの面で。
これに共感できる人もできない人も、今日からも生きていけばきっと必ず共感できる日が来るんじゃないかな。
もうさ、だからさ、子どもが言いそうだけど子どもでも言えそうだけど、あえてこの口調で言わせてもらおうかな。
この世界はさ、そんな愛情、友情、思いやりで溢れちゃえばいいのにね。
