🇮🇹ローマとキリスト教の歴史
イタリアの歴史を調べていて「ゴチャゴチャしてて分かりづらい!」と思って、記事を作りました。
【ローマ帝国の定義】
❶帝政ローマ〜西ローマ帝国滅亡まで
❷〃〜東ローマ帝国滅亡まで
❸〃〜神聖ローマ帝国滅亡まで
どっからどこまでがローマ帝国なのか、人によって定義が異なります。
流石に神聖ローマはローマ帝国扱いできませんが、西ローマ帝国滅亡後も、東ローマ、ビザンツ、フランク等は「ローマ帝国」を名乗っていました。
【歴史(帝政ローマ〜東ローマ滅亡)】
〇建国と王政(紀元前753年 - 紀元前509年):
伝説では紀元前753年4月21日にロムルスとレムスによって建国されたとされています。
〇共和政(紀元前509年 - 紀元前27年):
王政が廃止され、市民が政治を担う共和政が樹立されました。この時代には、十二表法の制定など法整備も進みました。
〇帝政(紀元前27年 - 476年)
内乱を経て初代皇帝アウグストゥスが即位し、ローマ帝国が始まりました。この時代には、広大な領土を支配しました。
【新約聖書に出てくるローマの描写】
〇ローマ キリスト教
👑アウグストゥス/オクタウィアヌス
⋯ローマ初代皇帝。病弱だったが長生きした。キリストの時代の皇帝。治世40年/前27~14
👑ティベリウス
⋯❷。アウグストゥスの妻リヴィアの連れ子。キリスト処刑時の皇帝。ゲルマニアの平定を終わらせ、ローマの国境をライン川からドナウ川と定める。ローマの緊縮財政。偏屈で人嫌いのため10年もローマに帰らずナポリ等で指揮をした。カリグラを引き取った後、小アグリッピナに殺される(ワインを飲ませて〇器に紐を括る拷問、カプリ島で隠遁
【“聖書”のその後⋯】
😈ネロ/市民に愛された暴君
「見ろ、世界は優れた芸術家を失うのだ」
⋯❺。芸術家/下手の横好き。キリスト教の迫害・64ローマ大火と悪評高いが、ブリタニア問題を解決させたり、ローマ屈指の名君でもある。母・小アグリッピナが小姑みたく喧しいため殺害。コロッセオで残虐なショーを開催。皇帝らしからぬ姿に元老院からも見放され、最期は自害(グロテスクの語源、ジャイアンリサイタル、ローマ大火の被災者支援、東方諸国の外交、タイガーネロ/仮面ライダー
👑ウェスパシアヌス
⋯❻。ネロのコンサートで居眠りして閑職。ネロ死後に後を継ぐ。ユダヤ戦争を鎮圧した皇帝
(コロッセオの再建、小便税⋯毛織業者が公衆便所や尿を使い,染色や洗濯をしていたのでそれに税金を課した
👑ティトゥス/ティトス
⋯❿。父ウェスパシアヌス。ユダヤ王家の娘のベレニケと恋愛、ポンペイ災害対策に走り回って死ぬ。39年、ローマにて生まれる。ティトゥスは皇宮で帝国の後継者たちとともに学んでいたらしく、帝位継承者の一人ブリタンニクスと仲がよかった。そのブリタンニクスが毒殺された時、ティトゥスはすぐ隣にいて盛られた毒を少し試し、長い間床に伏せていたという。この事をティトゥスは生涯忘れず、後に皇帝になった時に若くして死んだ旧友の像を建立したと伝えられている。81熱病で死んだ。わずか2年の治世。スエトニウスはマラリアでの死、あるいは弟ドミティアヌスによって毒殺された可能性があるとも書いている
😈ドミティアヌス
⋯⑪。兄ティトゥス。ポンペイ噴火後、元老院の反対を押し切り重税を課して恐怖政治を敷いたので暗殺された。テモテの殺害などキリスト教の弾圧が最も酷い治世である
(ティトゥスの凱旋門/82建設,兄のエルサレム攻囲戦を称える為のものだった
ディオクレティアヌス帝の治世は特に迫害が酷くなり、多くのクリスチャンが殉教しました
(後世のプロパガンダとも言われるので、正確な迫害規模は不明です)。
コンスタンティヌス帝の治世になってからキリスト教が国教になり、テオドシウス帝死後にローマは東西分裂しました。
セバスティアンとディオクレティアヌスの話を書きたいと思っているので、いつか出せたら良いですね⋯。
【東ローマ帝国⇒ビザンツ帝国】
〇建国: 395年のローマ帝国の東西分裂後、東方領土を支配したことで成立とみなされることが多いです。コンスタンティノープル遷都の330年を起点とすることもあります。
西ローマは異民族に攻められて、あっさり滅亡しました。
★特徴: 皇帝専制政治と官僚制度が整えられました。
〇最盛期: ユスティニアヌス1世の時代(527~565年)に、北アフリカ、イタリア、イベリア半島の一部を征服し、かつてのローマ帝国の領土を一時的に回復しました。
ユスティニアヌス帝の奥さんと部下が凄い人たちばっかで、彼らに支えられて東ローマは勢いを見せます。
とはいえ、ユスティニアヌス帝は建設・内政において活躍しています。
★文化・内政: ローマ法大全の編纂、ハギア=ソフィア大聖堂の建設などが行われました。
〇中期(7世紀~10世紀)
特徴: イスラム勢力やスラヴ人の侵入により領土を縮小しましたが、軍管区制(テマ制)の実施などで体制を立て直しました。
★宗教: 聖像禁止令を巡り、ローマ教会と対立し、独自のギリシア正教が確立されました。
〇後期(11世紀~1453年)
★衰退: セルジューク朝によるマンジケルトの戦い(1071年)での敗北を契機に、十字軍の派遣を要請しましたが、第四回十字軍によるコンスタンティノープル占領(1204年)で一時滅亡しました。
〇滅亡: 1261年にコンスタンティノープルを奪還し、帝国は復活しましたが国力は衰退し、1453年にオスマン帝国に滅ぼされました。
滅亡した原因が「窓の閉め忘れ」というのもびっくり⋯。皆さま、防犯対策はお気をつけください。
【参考】
★樋口雅一(まんがキリスト教の歴史
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