あと何年「note」を続けられるかな。
先日、noteを始めて「5周年」のバッヂを頂いた。
もう5周年。
目標の還暦まで続けるとしたら、まだ半分(あと5年)。
続けられるだろうか。
バッヂを頂いたところで、「書くこと」と向き合ってきた歴史を辿りたくなった。
小学生のころ、小学2年生からずっと日記を書かされた。
いわば「日常」と、向き合っていた時期かもしれない。
自分で進んで書いていたものではないし、日常の出来事を淡々と記していただけだと思う。
自分の思いも多少記していただろうけど、深掘りすることなく、小学生らしい日記だと思う。
今考えると、日記を書いた長い時期が、「書くこと」の土台になっているかもしれない。
最近、そう思う。
書くことは、嫌いではない。
学生時代は、書く機会が与えられると、思いの込もった文章が、長々と出来たのは、思いを吐露するためだったかもしれない。
昔は無口だったので、そういう場で発散していたのかも。
そして、久しぶりに日記を綴るようになったのは、結婚してから。
子供が出来るまでは、夫や姑に対する愚痴を、ノートに書き記して発散した。
夫婦で話し合うだなんてことは皆無だったし、姑に対しては、何も言えない大人しい嫁だった。
子供が出来てからブログを始めたのは、育児を通して感じた思いを、誰かに聞いてほしかったから。
子供の成長を目の当たりにし、感激した思いをどこかに留めたかったから。
ノートでは書き記すだけでは物足りないくらい、思いが溢れて、ブログに記した。
10年続いたブログの期間は、まさしく子供と向き合った時期だった。
子供たちが手を離れ、書くことがなくなった、子供たちが中学生の頃まで続いた。
「note」を始めたのは、それから、およそ5年後だった。
すっかり子供たちに手がかからなくなり、自分と向き合うようになったのは、自然な流れだったのかもしれない。
この5年間は、自分と向き合った5年間だった。
私、ポジティブなこと考えてるやん!
きっかけは、そんな思いからだった。
すっかりネガティブ人間だと思っていた自分が、ポジティブな思いを抱けていることが、不思議だった。
今思えば、結婚してからの数々の出来事を克服していくうちに、変わっていったのだと思う。
もともと「自分」がなかった私。
これから、自分にどんな思いが湧き出るのか、興味津々だった。
次に、自分が何を考え、何を思うのか、楽しみ。
自分を抑え育ってきたという、タレントの青木さやかさんも、テレビでいつか同じようなことを言っていたけど、そんな気持ちだった。
この5年、自分が感じたことや思いを書き続け、ぼやけていた自分の輪郭が、はっきりしてきたように思う。
だけど、未だに分からない。
小学生の頃、日記を続けるきっかけになったのは、小学2年生の担任の先生だった。
「日記を、小学校を卒業するまで、ずっと書かせなさい」
母が懇談で、担任の先生に、聞いてきたことがきっかけだった。
(別に、担任の先生が、チェックしていたわけではないけど)
母が鬼の形相で怒るので、書き続けたが、なぜだったんだろう。
(別に、母に日記を見せていたわけではないが)
①よっぽど、作文が下手くそだった。
②ヒトツでも得意なことがあれば、大人しすぎる性格も克服するから。
③日記で自己表現することによって、性格が積極的になることを狙って。
④継続する力をつけるため。
⑤意外と、全員に言っていたりして。
昔のことは、そんなに覚えていないけど、最近、やたらに考えることがある。
書き続けることによって得られるメリットが、分かったからこそ、思いが広がる。
「note」をやっていなかったら、そんなにも思い出さなかったことだった。
だけど、今となっては、担任の先生の思惑は分からない。
今となっては、先生や母に感謝だ。
私は、どうやら思いが溢れると、書き記したくなるようだ。
書き記すと、落ち着く。
喋るより、書く方がいいかもしれない。
そうやって、どんどん「自分」と友達になっていっている気がする。
あと、何年「note」を続けられるかな。
