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手放すことは悪ではない

夫は、最近イライラしている。

メッシュ鉄筋で囲んでいるにも関わらず、鹿にかじられた山椒の若木が多いらしい。

老木と違って、柔らかい若木は、鹿のえじきになるようだ。

剪定に行くたびに、文句を言っている。
(「山に居る鹿に向かって、文句を言ってみたら?」と、言っているのだけど)

加えて、相変わらずなかなか終わらない剪定作業に、イラついているようだ。
(山椒の剪定は、柿の剪定以上に、ややこしいらしい。)


山椒の苗を植え替えようにも、植えるところがない。

比較的足場のよいところは、全部柿で埋まって・・・。
(要するに、柿が埋まっているところへ、山椒を植えたいらしい)


まだ購入してもいない苗を植える場所のことを、持ち出す。

苗を購入したら植える場所は、前に話し合って決めたのに。

柿の栽培は、あと数年続けようと決めたのに。


よくよく話しを聞いていると、私に山椒の剪定をしてほしいと。

そう聞こえた。

そもそも、私が柿の剪定を始めたのも、夫のそういった声だった。

「柿の剪定をしてほしい」と、夫が直に言ってきたのではない。

「私が柿の剪定をしようか」と、夫の様子を察して、言ったまでだ。

柿の剪定をすると、さらに柿への愛情が芽生え、出来る限り栽培を続けたいと思う私。


あと、2,3年は柿の栽培を続けようって、年末に話し合ったやん。
その確認の上で、剪定にとりかかったんやん。

あともう少しで剪定終りやで。

それで終わらすなんて、私、出来やん。

それに、先祖から代々大事に育てられた柿の木を、そう簡単に手放せやん。

あの、幹の周り、見てみぃや。先代の人から、代々受け継がれた歴史感じるで。(一番古いものは、初代の方が植えたものだ)

最後に、義父さんが私の剪定褒めてくれたのも、「頼むで」って言われた気がしたんよ。

簡単には諦めたくない。


そう言い残して、部屋を後にしたが、その晩も眠れなかった。

以前にも、そういったことがあった。

夫の言葉に振り回され、柿の栽培を止める決断に至るまで眠れなかった。

その決断を覆したのは、他でもない、夫だった。

息子も同意のうえ、あと、数年は続けようと。


それから、数カ月しかたたないのに、このありさま。

疲れると、そういった言葉を発することも、次の瞬間には、その言葉を覆すことも分かっている。

だから、私も受け流す器量を持ち合わせないと。

「note」にも、そう記したところだが・・・。


もう振り回されるのは、勘弁してほしい。

柿の栽培を止めるか否かを考えだすと、眠れないほど体調がおかしくなる。


「柿の栽培は、今年いっぱいで止めにしよう。採り終えたら、一切終わりっ!」

外出先からちょうど帰ってきた息子に、経緯を話したうえで、同意を得て、次の日、夫に話した。

一度は柿の栽培を諦める決断をするために、腹を括った経緯もある。

農業は、およそ30年単位で栽培する作物を変えていく必要があるというし、私が嫁いできて30年の今、ちょうどいいじゃん。

こう見えて、諦めの、決断は早い。


柿を処分するとなると、樹齢がいっているものもあって、随分と大量の枝くずが出てくることが想像できる。

柿が埋まっている場所へ、山椒を埋めるとなると、手間も時間もかかるだろう。

夫が、何とか動ける間に、柿畑を山椒畑に変えておくと、後々残された私たちのためにも何かと効率的だ。

植えた山椒の樹齢がやってくる20年後に、新たな山椒の苗へ植え替えすることを考えると、その方がよい。

収入があがらない柿の栽培を、ずっと続けることは無理だろうし。


新しい視点も見つかった。


「一気に全部止めるのは、何かと効率的ではない」


意を決して言ったのに、返ってきた言葉はこれ。

だけど、一部の柿の栽培を、来年以降止めると、具体的にやっと決まった。

初めから、計画を練って、具体的に推し進めてくれたらいいのに、義父の旗振りに従ってきたからなのか、そういうことは腰が重い。

(だけど、決断力が伴う義父と、それに従う夫の組み合わせだったから、我が家はやってこれた。これが、義兄との組み合わせだったら上手くいかなかっただろうな。)


あと、剪定に追われている間は、辛いようだ。

「仕事ばかりの日常」

アルバイトさんに任せるわけにもいかず、仕事に追われる毎日は不満なようだ。

どうにか、山椒の剪定を私にやらせて、ゆっくりしたい思いも見えてくる。

そうしたところにも、柿を止めたい意図が見えてくる。

年齢からいっても、自分の体の具合からいっても、仕方がないことだ。


「仕事があっても、休めばいいじゃん」


「休むと後ろめたい」と返す夫にあきれた。


「毎日、何がなんでも働くということを、手放すことも大事。
私だって、肩身が狭い思いをしながら、自分が程よく働けるよう、道を切り拓いてきた」

「義母さんも、kaki夫さんも、身体が丈夫すぎるから、そこが下手。
自分が程よく働けるよう、自分で調整するしかないやん」

「誰も、責めへんよ」


そう夫に言うと、次の日から、働く時間を微調整しだした。


そう

手放すことは「悪」ではない。

グヂグヂ文句を言いながら仕事をするくらいだったら、程よく休んで英気を養うほうがましだ。(義母も、同じような感じだった)

何なら、仕事以外のことをしていても、ご機嫌でいられるのなら、本人の人生を考えてもその方がいい。

義父のように。

「仕事以外にしたいこと、ないの?」

本気で夫の人生を考え、聞いたが、「ない」という。

それなら、自分で程よい働き方を、見つけるしかない。


無下に限界を超える位に働いて、ストレスを感じる位なら、程よく休む方がいい。

仕事に対してやる気も、効率も、違ってくる。


私は、心身の状態を悪くして、「毎日働くこと」を早々に手放した。

始めは、後ろめたい思いを抱えたが、割り切れるようになった。


自分の思い通りにならないことは、一旦受け止め、柔軟に捉え方を変える方が楽だ。

思い通りにいかないことに、もがき続けるより、自分がよりよく生きていくために、捉え方を変えて、別の選択をすることは悪ではない。

決して「逃げ」ではなく、よりよく生きていくために、選択を変えるだけ。


「柿の栽培」に関してもそう。

無駄に柿の栽培にこだわるより、次なるステップへ進む方がよいこともある。

山椒の栽培にも打ち込むことができて、「人生二度おいしい」と思えば、それも悪くない。

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