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自己分析が本当に必要なのはASD

就活になると、決まって言われる言葉がある。
「自己分析が大事です」。

正直、あれは半分ポーズだと思っている。
多くの人にとって自己分析は、面接官を安心させるための化粧みたいなものだ。
少し盛って、少し整えて、「社会に適合しています」という顔を作る作業。

でも、ASDだけは違う。
アスペにとって自己分析は、生存戦略の設計図に近い。

なぜなら、アスペに向いている生き方は、思っている以上に限られているからだ。
そしてその分岐点は、だいたい学生のうちに通過してしまう。

「天然だね」と言われて育った進学校民へ


進学校出身で、
・成績は悪くない
・でもなぜか浮いている
・「変わってる」「天然」と言われがち

こういう人は、かなり高確率で試験過剰適応型ASDだ。

試験という明確なルールの世界では無双する。
正解が決まっていて、努力量がそのまま点数になる。
この環境は天国だ。

ところが一歩社会に出ると、空気・忖度・暗黙の了解が支配する。
評価軸は霧がかかり、成果より「感じの良さ」が重視される。
ここでアスペの努力は、奇妙な減衰を起こす。

必死にやっているのに、なぜか評価されない。
むしろ「扱いづらい人」として、静かに棚に置かれる。

学歴が高いほど、この落差は残酷だ。
自分はできるはずなのに、という幻想が最後まで剥がれない。

明文化された世界だけが、正直である


一方で、医師や弁護士の世界はどうか。

資格、責任、判断軸がはっきりしている。
「何ができて、何ができないか」が文字になっている。
感情よりルールが優先される。

ここでは、能力がそのまま価値に変換される。
アスペが最も得意な変換式だ。

だから理想を言えばこうなる。

自分はアスペで、普通の会社員社会は相性が悪い
ならば、資格に全振りしよう

この判断を18歳までにできるアスペが、実はいちばん人生が楽だ。

勉強時間は、若さにしか存在しない


資格には、残酷な前提がある。
とにかく時間が必要だ。

社会人になってから
「仕事しながら勉強しよう」
と言うのは簡単だが、現実は疲労と雑務に溶けていく。

学生の本分は勉強。
ならば、その勉強を将来の武器に直結させる。
これは怠惰ではなく、時間配分の合理化だ。

むしろ、何も考えずに就活し、
合わない場所で摩耗してから方向転換する方が、よほどコストが高い。

気づけないという不幸


ただし問題がある。
社会に出る前に「社会で生きづらい」と気づくのは、かなり難しい。

特に進学校や高学歴環境では、周囲にも軽アスペが多い。
みんな似たような違和感を抱えているから、自分だけの問題だと認識できない。

この集団的バグが、アスペの気づきをさらに遅らせる。

そして気づいたときには、
「もう引き返せないところまで来ていた」
というケースが多い。

これは逃げではない


向き不向きを無視して消耗するより、
最初から合う場所を選ぶ方が、人生全体の効用は高い。

それは逃げではない。
感情論ではなく、戦略の話だ。

気づいた日が、一番若い日。
この言葉は、アスペにとって特に重い。

もし学生のあなたが、
どこか社会に違和感を覚えているなら、
それは甘えでも怠けでもない。

ただ、ルールが違うだけだ。
深く病む必要はない。

早く気づいた者から、静かに楽になる。
それがASDの世界の、あまり語られない現実だと思っている。

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