障害者であろうとなかろうと
障害者手帳の更新で
等級が上がることになった。
つまり
今の私の生活において
障害が及ぼす影響は小さくなっている
ということなんだろう。
そうか。
私は静かに
更新手続きの通知を眺めていた。
うつ病を発症し
社会の助けが必要になってから
当事者と言われる人と
たくさん出会い
たくさんの考え方を知った。
社会にとても怒っている当事者もいた。
「害」というのは悪影響ということか。
診断名をカジュアルに使うのは当事者軽視だ。
「みいちゃん」とレッテル張りするのは危険だ。
意見をありのまま発信している当事者もいた。
利用できるものは利用していけばいい。
合理的配慮は当然の権利だ。
障害者雇用は企業の数字稼ぎだ。
その度に私は
自分に問うてきた。
この言葉たちは
障害者ではない大半の人々に
どう映るのだろう、と。
私が発する言葉も
他から見たとき
どう映るのだろう、と。
社会の多くの人たちは
あまり興味がないだろうと
思うこともあったし
理解はできるが
誤解を招くな
と思うこともあった。
自問自答を繰り返し
ときには
当事者ともぶつかりながら
過ごしていくうちに
傷つき悩み苦しんでいるのは
障害者の側だけではない
という考えに
最近は行き着いた。
障害者の言葉や態度で
傷ついている人もいるだろう。
障害者との関わりに
悩みながら模索している人もいるだろう。
障害者とは
距離感がほしい人もいるだろう。
その視点に立ったとき
障害者の私は
障害者の私としてではなく
共に社会を生きる者として
自分を守りながらも
同じ重さで
誰かの気持ちも大切にしたい
と思うようになった。
悲しんでいるのが
障害者だろうとそうでなかろうと
悲しみをともに受け止め
未来をより良くするためにできることを
一緒に考えたい。
喜んでいるのが
障害者だろうとそうでなかろうと
喜びをともに噛みしめ
これまでの積み重ねや頑張りを
一緒に味わいたい。
障害者であろうとなかろうと
その人の気持ちや背景に
想像力を巡らせよう。
それが
私の障害者マインドなのかもしれない。

