第6話:このnoteを書いているのは、こんなガイドです — 25年の道のりと、スローライフ誕生の記録
今回は少し長めのnoteになりますが、僕がガイドとして歩んできた25年の道のりをまとめました。もしよければ、のんびりとお付き合いください。
こんにちは。ダイビングガイドのヤスです。
2025年、スローライフは20周年。ガイドを始めてからは25年になります。
第1話でも触れましたが、これまで積み上げてきたことを整理して記録に残したいと思い、このnoteを始めました。
今回は少し番外編として、
『そもそも、どんな人がこのnoteを書いているのか?』をご紹介します。
だいぶ長く書きましたが、それでも書ききれなかったことが山ほどあります。 あちこち省略したり飛ばしたりしながら、なんとかこのボリュームにおさめました(;^ω^)
※なお、働いていたお店やガイドさんのお名前については、ご迷惑をおかけしないよう、あえて記載を控えています。ご興味のある方は、個別にご連絡いただければお伝えできる範囲でお話しします(^^)
■ はじまりの一歩:1999年、21歳で那覇へ
専門学校時代にオープンウォーターライセンスを取得し、ダイビングの世界に興味を持ち始めました。
卒業後、沖縄に向かうまでの1年間は、ワーキングホリデーでオーストラリアへ。
そして、ケアンズでアドバンスとレスキューダイバー、ゴールドコーストでダイブマスターを取得。
英語もまだままならない中での挑戦でしたが、このときの経験が、のちのガイド人生のきっかけになりました。
帰国後、インストラクターを目指して沖縄へ。とにかくダイビングインストラクターになりたくて、単身で那覇へ渡りました。
那覇のダイビングショップに就職し、インストラクターの世界に足を踏み入れました。
ここからの半年間は、本当に濃い〜半年。正直、ここだけで1話どころか何話にもなってしまうほど、濃密な出来事が詰まっています。
またいつか、語れるときがきたら、ゆっくり書いてみたいと思っています。
■ 初めての挫折:2000年、インストラクター資格取得と閉店の現実
2000年、念願のインストラクター資格を取得。
『よし、ここからがスタートだ!』と気合いが入っていた矢先、
半年でなんとお店が閉店。半年で無職になるという、まさかの展開でした。
先が見えず、不安と戸惑いもありましたが、そんな中でも支えてくれる人がいて、どうにか次の一歩を踏み出すことができました。
当時は本当に大変だったけれど、今振り返れば、あの経験があるからこそ、多少の困難にも動じない自分がいると思えます。
人生で無駄な経験なんて一つもない。そう思えるようになったのは、この時期のおかげかもしれません。
■ 師匠との出会いと修行時代:2001〜2003年 宜野湾のショップへ
お店が無くなり、どうしたらよいか悩んでいた時期に、のちに “ダイビングの師匠” とも呼べる存在となる人に拾ってもらい、宜野湾のショップで住み込みで働くことになりました。
ここでの3年間が、『僕にとっての ガイド修行時代』。この時期の経験が、いまのスローライフのスタイルの原点になっています。
ガイドとしての心得、プロとしての責任感、ガイドの楽しさ、そして仕事としての厳しさ。将来お店を持つために必要なことも含めて、すべてを現場で学ぶ日々でした。
毎日が本気の勝負で、振り返ればまさに“修行”のような時間だったと思います。
いつも怒られてばかりで、自分が嫌になることも多く、本当に厳しい環境でしたが、いま思えばそれだけ真剣に育ててもらえていたんだと感じています。
あの頃に叱られた一言や、師匠がふと口にしていた“語録”のような言葉が、いまだにガイド中にふと頭をよぎることがあります。
がむしゃらに潜って、悔しい思いもしながら、気づけばいつの間にか、
『ガイドっておもしろいな』
『かっこいいな』
と、心から思えるようになっていました。
■ 独立への決意:2003〜2005年 フリーインストラクターの始まり
修行時代を終え、『自分のお店を持ちたい』と思うようになり、
2003年の夏頃、当時27歳で独立を視野に入れて、フリーのインストラクターとして活動を始めました。
当時、自分の中で決めていたことがあります。
『もしフリーでやっていけなかったら、そのときは別の道を考えよう。』
『もう後がない』とまではいかなくても、それに近いくらいの覚悟はしていました。
背中を押されたわけでもなく、自分で決めたスタート。
だからこそ、絶対にやり切るんだという強い気持ちを持っていたのを覚えています。
まずは、目の前にある仕事にしっかりと向き合いながら、自分の中で将来のイメージを描いていました。
『20代は、とにかく経験を最優先にする。お金を稼ぐことよりも、いろんな現場で学ぶこと。』
『30代は、学んだ技術を少しずつ“価値”に変えていく。』
『40代は、その積み重ねを技術として進化させ、スタイルとして昇華していく。』
この道のりが正解なのかどうかはわからない。でも、自分なりの信念を持って動き出した、そんな時期でした。
■ 学び続ける力:集中を“当たり前”にするということ
この考え方のベースにあったのは、“常に集中している状態”を保つという意識でした。
独立すると決めたら、もうあとには引けない。だからこそ、目の前の仕事にただ向き合うのではなく、集中しながら一つひとつを吸収していく。
わざわざ「勉強の時間」を取らなくても、日々のガイド業そのものが学びの場。
現場に身を置きながら、常にアンテナを張って学ぶ姿勢を保つということです。
例えるなら──
ドラゴンボールの中で悟空が悟飯に言った、あの言葉。
『なるべくスーパーサイヤ人の状態でいることが普通でいられるようにしろ』。
今の世代には少し伝わりづらいかもしれませんが(笑)
集中した状態を“特別なモード”ではなく“日常のスタイル”にしていくというイメージです。
僕も同じようなことを、昔、師匠から言われてきました。 集中力を高めたまま仕事の時間を過ごし、それが当たり前になるように。
ただ仕事をこなすだけではなく、毎回の現場で「今日は何を吸収しようか」と意識する。
そうすることで、『あー、また仕事か…』と感じずに、自然体のまま集中を保てるようになります。
まるで筋トレのように、小さな積み重ねが心と体にしみ込んでいく ──そんな感覚です。
日々の現場こそが、僕にとって最高の勉強の場所。 そこから学び、気づき、自分のスタイルを少しずつ磨いていきました。
■ 冬は海を求めて 修行の旅へ
フリー時代は、契約ガイドとしていくつかのショップを掛け持ちしながら活動していました。
仕事が終わったあとは、将来の独立に向けて準備を進めたり、学び直したりする毎日。
はじめのうちは、夏は沖縄でガイドをしていましたが、ダイビングだけで生活できるほど甘くはなく、お金もなかったので、冬は地元の千葉に戻って海とは関係のない仕事をしていました。
でも、やっぱり『1年中、海の仕事がしたい』という気持ちが強くなり、冬場も潜るために“修行の旅”に出るようになります。
合間を縫っては知床やパラオで季節スタッフとして潜るなど、国内外のさまざまな海へ足を運びました。

【冬季限定で活動した主な場所】
※2001年~ 夏は沖縄本島の海を拠点にガイド活動を続けてきました。そのうえで冬季には、以下のような場所へ修行に出ていました。
◆ 2001年・2002年(2シーズン)
伊豆(東・西)で週末ガイド
◆ 2003年・2006年・2007年(3シーズン)
北海道・知床ウトロで
流氷ダイビングのガイド
◆ 2004年・2005年
パラオでシーズンスタッフとしてガイド
◆ 2010年・2011年(2シーズン)
与那国島でのガイド
◆2012年12月(約1ヶ月)
小笠原での短期滞在
お手伝い 約1ヶ月


それぞれの海に、それぞれの文化とスタイルがあり、どこで潜っても学びが尽きることはありませんでした。
もっとたくさんの経験を積みたくて、もっとガイドとして成長したくて、自分からどんどん現場に飛び込んでいきました。
当時は今のようにSNSがある時代ではなく、周囲のガイドがどんな働き方をしているのかも見えにくい時代。
だからこそ『自分よりも他の人の方が努力しているんじゃないか』という、根拠のない焦りや不安に駆られていた部分もあって──。
その気持ちをかき消すように、毎日の仕事に全力で食らいついていました。今振り返れば、あの頃は“必死”という言葉がぴったりな時期。
とにかく、立ち止まったら何かに負けてしまう気がして、前に進むことだけに集中していました。
そんな時期を経て、ようやく自分の“場所”をつくる決断をすることになります。
■ スローライフ誕生と歩み:2005年〜2025年の現在まで

2005年、宜野湾市で自宅兼ショップというスタイルで『スローライフマリンサービス』を立ち上げました。
当初は慶良間便を中心にガイドし、紹介メインで少しずつお客さんを増やしながら、何度も足を運んでもらえるような信頼関係を築くことに、当時一番力を注いでいました。
約10年間、宜野湾を拠点に活動を続け、少しずつ経験を積み重ねていきました。
2014年には、店舗を恩納村・山田に移転。
これを機に、全国〜世界中のガイドが集まる『ガイド会』にも入会し、
ガイドとしての技術や向き合い方をもう一度見つめ直すきっかけになりました。
さらに2019年、現在の瀬良垣店舗に移転し、
ガイドスタイルを万座エリア中心に本格化。
同年には「もみほぐし」サービスも新たにスタートし、陸の時間でも癒しを届けられるような空間づくりにも力を入れ始めました。
2020年以降は、コロナ禍の影響で営業が難しい時期もありましたが、支えてくれたゲストやスタッフ、仲間のおかげで乗り越え、
2025年、スローライフは20周年を迎えることができました。
多くの出会いや支えがあって、スローライフは“自分の場所”から“誰かにとっての大切な場所”へと育ってきました。
この海で、自分らしく潜れること。その環境を、自分の手でつくり続けてこられたこと。
そのひとつひとつが、今まで関わってくれた皆さんのおかげです。
『スローライフ』という名前には、いつか自分自身も、海の仕事を続けながら穏やかに、自分らしく生きていけたらという願いを込めています。
その思いは今も変わらず、自分自身もスローライフを体現していけるように、日々を重ねています。
そしてここに来てくれるゲストさんにも、沖縄にいる時間だけでもスローライフを感じてもらえるような、そんなお店でありたいと思っています。

■ 読者へのひとこと
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
これからガイドを目指す人にとっても、ダイビングが好きな方にとっても、 このnoteが少しでも何かの参考や励みになればうれしいです。
もしよければ、「スキ」や「フォロー」、コメントなどで感想をいただけると励みになります。
■ 次回予告
次回は、第7話『ネゴシエーター発動。〜ゲストとガイドの攻防戦〜』をお届けします。
ゲストが「怖い」「潜れないかも」と感じてしまったとき、ガイドはどう向き合うのか? 水面での説得、潜るかどうかの判断、そのすべてが“その人のダイビング人生”を左右する瞬間になることもあります。
これは、ガイドにとって最も繊細で、最も人間くさい仕事かもしれません。
どんな声をかけるのか、どこで判断するのか── リアルな現場の“交渉の技術”について、僕なりの視点で書いてみたいと思います。
