①Mobstyles・田原104洋さんを育ててくれた街は?
これまで登場の皆さんと同じく、“トシさんを育ててくれた・育ててくれている街はどこ?”という質問から始めます。
その時々で(育ててくれた場所が)あるんだけど、今は、代々木公園界隈の街の空気に成長させてもらっているところがありますね。
そもそもこの場所にMobstylesを構えたのは?
ランニングの話になっちゃうんだけど(笑)、走ることで前向きにもなるし、色んなことも考えられるし、疲れちゃってどうでもよくなる。走ることに出会ったのは2009~10年の頃だけど、走ることで救われた部分もあって。
先に話すと、Mobstylesは2010年に(当時は)渋谷にあったお店を閉めて、(その後も)ブランドとしては止める事なく続けてはいたけど、candiesを友達と立ち上げて、それでメシを食ってた時があって。
candiesとは?
10年ぐらい前に友達と立ち上げたシリコンのiPhoneケースのブランドが、candies。お店が原宿にあって、そのお店の片隅でMobstylesを売ってた時期があって。
そんな時代があったのですね!?
そう、candiesでは営業だったからちゃんと襟のついたシャツを着て“シリコンのiPhoneケースでコラボをやりませんか?”って、色んなブランドに名刺持ってご挨拶に回ってたの。Mobstyleでは知り合わないようなブランドの人たちといっぱい知り合ったし、5~6年ぐらいはその仕事をやったかな。
candiesがちゃんとした会社になったから、俺はそこで“ちゃんとMobstylesだけでやろう”って、candiesを離れて。それで2015年に東北から沖縄・石垣島まで行くMobstylesの15周年ツアーをやって、そこから今のMobstylesになって。

実はMobstyles15周年のイベントだったことに
今回のインタビューを通して気づきました(汗)
周りのブランドって30年とかになるけど、Mobstylesは25周年。ベテラン気味にいるけど、俺は皆よりも5年ぐらい後なんだよね。今年で25周年とは言ってるけど、今のこのスタイルで言うと10周年。Mobstylesって何回も落ちたり上がったりを繰り返してるブランドなんだけど、一番落ちてる時に代々木公園を走ってたのね。代々木公園近辺で出来ればランニングステーションもあるお店をやりたいな、と。2015年に思いついて、2016年夏にオープンした、っていう流れ。
この辺ってとにかく物件が出てこない、1年ぐらい探しても全然出てこなくて“こうなったら自分で走って探してやる”って。走って空き家とかを探してたら、ここがちょうど新築で工事中で。
まさか!?
本当なのよ、しかも「〇〇不動産」って(身分証明を)首に下げている人もいてさ。まだ幕みたいなのも掛かっててどんな感じかも分かんないから“ここは何が出来るんですか?”って聞いたら、“地下に2軒バーが入るような話は聞きましたけど、1階は決まってない”みたいな話で。(当初は)整骨院をやっている友達と組んでお店をやることにしていたから、その友達にも見に来てもらったら“ここ、良いよね!”って。そしたら“地下を借りる予定の人も借りなくなりました”って。それで地下にロッカーとシャワールームをつけてランニングステーションにして、さらに“ジムもやっちゃう~?”って、地下の2つの物件ともに借りて。それで出来たのが、今のお店。

併設する形で営業している(2021年〜)
台湾屋台朝食喫茶「押競満寿」
お世辞抜きで絶品でマジで美味です!!!
ジムという言葉がさらっと出ましたけど、そもそもトシさんと格闘技の関わりというのは?
(Mobstylesが)サポートをし出したのはブランド立ち上げの2000年から。だから25年間サポートは続けてるんだけど、格闘技とは元々、2000年以前から付き合いがあって。
修斗の佐藤ルミナと仲が良くて、そこから修斗っていう団体そのものと仲良くなって。ルミナのことをサポートしてるブランドはついてたし、当時、期待の星だったマモル(山口守)選手をサポートしたのが第1号。
今、Mobstylesでも格闘技用のギアとかウェアを作ったり、走ることに偏っていってスポーツブランドになってるけど(笑)元々はそういったものは作ってない、どストリートブランドで。
佐藤ルミナさんとの接点というのは?
俺、元々STORMYにいて、ミュージシャンだったり格闘家、洋服屋さんとかの交流の場だったから仲が良かったの。Mobstylesを最初に立ち上げた時の仲間も皆、元・STORMYで、STORMYから卒業して立ち上げたっていう感じ。
元々、ブランドを立ち上げる夢があったのですか?
(小声になって)これがね~、ないのよ(笑)。アパレルをやろうという気持ちはなかった。雑誌の編集だったり周りの友達から“トシちゃんもそろそろ、自分でやった方が良いんじゃないの?”って言われて。STORMYにはいたけど何かを勉強してるわけでもないし、独立してセレクトショップをやるんだったらまだ分かるけど、俺がアパレルをやるなんて本当に考えてなかった、完全に人のアイディア。
“自分でやった方が良いんじゃないの”って言われてから俺も考えるようになって、STORMYの仲間に“こういうアパレルをやろうと思うんだけど”って言ったら“面白いね!”って。それで仲間が俺より先にSTORMYを卒業して、勉強を始めたの。それこそブラウン管のデカいMacを買ってみたりとか(笑)、卸先はどうすれば良いんだろうとか。メシを食うために皆、違うバイトをしながら。それが1998年のことで、俺もSTORMYを円満に辞めて、2000年にMobstylesのお店を出して。
そうすると、こんなのを作りたいなとかこんな人に着て欲しいなとか、夢がワッと膨らむの。こんなこともあんなこともやりたい、ってどんどん大きくなって。やり始めて、そこから夢を見る。夢だったことをやったんじゃなくて、始めてから夢を見始める、みたいな。
俳優になりたくて上京
名言いただきました。そもそもトシさんの社会人経験って、STORMYが最初ですか?
そう。そもそも俺が東京に出てきたのは、バンドと俳優をやりたくてなのよ。日本映画学校(現・日本映画大学)俳優科の1期生だからね(笑)。まぁ当然の如く俳優でブレイクするわけもなく、1回目のライブで“俺には無理だな”って思って、バンドはあっさりやめたのよ。ライブハウスでライブをやってみて、続けていくっていう自信がなくて。
それで俳優になる方を頑張ろう、って。ただ頑張って出来るものでもないけど、まだバブル期からバブルの名残もちょっとあった時代で。低予算で新人を使う深夜ドラマがテレビ各局でいっぱいあったの。それでチョイ役で出たり、ラジオのコマーシャルがものすごくいっぱいあった時代でいっぱい使ってもらえてて。それでラジオコマーシャルで使ってもらってる時に小林克也さんに出会って、克也さんの番組(FM大阪)に出させてもらってたの。
すごすぎです!!!
(1回の出演としては)そんなに長い時間ではないしそれでメシが食えるぜってことでは全然ないけど、俺にとってもやっぱりすごいことで。そのうちラジオコマーシャルがどんどんなくなって、深夜ドラマもなくなっていって、夢を追っかけるための材料がなくなっていくわけ。だけど俺は、克也さんとラジオをやれている。普段はパチンコ・パチスロをやったりしてたけど(笑)、そういう時代もあるのよ。
そのラジオの番組がね、最終回になっちゃったの。ヤバい、このままじゃ俺はダメになってしまう…バイトしなきゃ、って。人生で初めてちゃんとバイトをしようと思った時に、雑誌で見てて欲しいサングラスがSTORMYにあったから行ったの。そしたらSTORMYのサングラスが並んでるところに“アルバイト募集”って貼ってあって。すぐ“まだ募集してますか?”って聞いて、それで履歴書を持って行ってSTORMYに入ったの。

弾き語りアーティストでもあります🎶
(騎馬武者ロックフェス/2024年)
Photo by Tomoyo
それは何歳頃でしょう?
26歳だね。STORMYの社長に“オマエ、26でバイトなんておかしなヤツだな”って。今は普通でも、当時は確かにおかしい時代だったからね。
ラジオでやってた仕事とかを社長にちょっと話したら“じゃあ、スノーボードのMCをやれ”って言われて。そんな話ってあるの?って俺も思う、まず「スノーボードのMC」っていうのが何なのかよく分かんないし(一同笑)。
(バイトを始めて)1~2ヶ月後には山に連れて行かれて、シリーズで何ヵ所か転戦するんだけどスノーボードは数回しかやったことがない。選手の名前を渡されて、アメリカの選手は読めてもヨーロッパ勢の選手が多いし、名前の最後が「Z」だったりするともう読めない。協会の人に聞いても“知るわけないじゃん!”って言われたりして、え…って(笑)。だからもうね、名前の読み方はカン(一同笑)。しかもランプ(=楕円を半分に切ったような形をしているスノーボードで滑る場所)を跳ぶじゃない、技もスリーシックスティとか当時だとファイブフォーティーぐらいまでかなぁ、もう何回まわってるかなんて、慣れてないから分かんないのよ(笑)。だから“スリー…シックスティ?”って語尾が上がる(一同笑)。“今の技は何ですかね?”って聞いて教えてもらいながら、次に同じ技を見たらそれを言う、みたいにやっていって。
「カリスマ店員」の時代に
すごい…しびれる話です…!
プレッシャーもあったし、そもそもスノーボード業界にいたわけでもないから最初は全然、楽しくはなかったけど本を読んで有名なライダーとか、日本人だと当時「Fine」っていう雑誌でモデルをやったりしてるライダーは分かるから、“おぉ!あの人だ!”って思うミーハーな気持ちはあったのよ(笑)。それで山に連れて行かれるうちに皆とも仲良くなっていってスノーボード業界にも入っていくんだけど、雑誌とかテレビが「カリスマ店員」って言い始めた頃で。おそらくTBS(テレビ)の深夜番組が言い始めたと思うんだけど、それでカリスマ店員の1人として毎週、取材が来るようになって。
トシさんが雑誌やテレビなどに出ていたんですか!?
出てた出てた、店のスタッフをモデルに使う感じに雑誌も変わっていって。STORMYにいる時にたまたまそういうことが重なった感じで、“MCやってるから、プレス(=広報・PR)もやれ”みたいな流れで何となく、プレスになっていって。
ということはトシさんに憧れた若者もいたということですね…!
俺に憧れると言うよりも、“STORMYに入ったら俺みたいにテレビとか雑誌に出られる”って思った人が当時はいっぱい入ってきた。そこがフィーチャーされるけど、仕事内容は1日に1000本の板を運ぶとかだからね。スノーボードもブームだったからコンテナで届くビンディング(=ボードとブーツを固定する器具)を全部下ろして倉庫で検品するとか、そういうことを毎日やってるわけで。それで“思ってた仕事と違います”って皆、数日でやめていくわけよ。そこで残った人たちっていうのは今、独立して原宿とかあの辺で、割と残って仕事している人たちは多いよね。

広島県出身
アパレルブランド「MOBSTYLES.」主宰
ランニングステーション&トレーニングスタジオ「&MOSH」や
台湾屋台朝食喫茶「押競満寿」も手がける
京都大作戦、AIR JAMやFUJI ROCK FESTIVALなど
大型フェスでのステージMCも担当する
好きな食べ物:ハンバーグ
趣味:弾き語り
【「②トシさんのそばにある1曲」に続く/2月第2週公開予定】
