医師の妻の話
(夫婦の形は色々です。相手に求めるものも夫婦によって異なります。私の価値観や私たちの夫婦関係は昭和的かもしれません。もちろん、正解なんてありません。その前提で読んでいただければ幸いです)
たくさんの文章を書いてきました。
仕事のこと、お金のこと、人生のこと。
でも、一番身近な人のことを、まだ本格的に書いていませんでした。
妻の話です。
少し照れくさいのですが、今日は、正直に書きます。
たぶん、本人も読むと思うので、なおさら照れるのですが。
白状します。私は、決められない人間です
これまでの記事で、私はいろいろな決断を語ってきました。
脳外科を辞めた。開業した。不動産を始めた。仕事を手放した。
まるで、自分の意志で、堂々と決めてきたように書いてきました。
でも、白状します。
私は、大事なことほど決められない人間です。
最後の最後まで、ぐちぐちと悩みます。
やめようかな、やめないでおこうかな。 やろうかな、やめておこうかな。
大きな決断ほど、答えが出せずに、うろうろしています。
以前、「医局を辞めるかは、考えて考えて決めろ」という記事を書きました。
偉そうに書いておきながら、 自分自身は、考え抜いても、最後まで答えが出せていなかった。
正直、恥ずかしい話です。
でも、そんな私を、いつも最後に前へ進めてくれたのが、妻でした。
「いいんじゃないの」の一言
人生の岐路のたびに、私は妻に相談してきました。
脳外科を辞めるとき。 開業するとき。 不動産を始めるとき。 不動産を拡大するとき。 そして、仕事を手放すとき。
全部、正直に相談しました。
そして、決めきれずにいる私に、妻はよく、こう言ってくれました。
「いいんじゃないの。やったら」
たったそれだけの言葉です。
でも、この一言が、最後の一押しになりました。
いや、最後の一歩であり、最初の一歩でした。
決められない私にとって、 背中を押してくれる誰かがいることが、どれだけ大きかったか。
今の私があるのは、あの何気ない「いいんじゃないの」の積み重ねだと思います。
止めてくれるときの、直感が正しい
ただ、妻は、何でもかんでも背中を押すわけではありません。
ときどき、こう言います。
「それは、ダメなんじゃないの」 「それは、なんか違うと思う」
そして、面白いことに。
妻がそう言ったとき、私が彼女を説得できないなら、 たいてい、やめておいた方がいい話なのです。
理由を言うこともありますが、 本当に鋭いのは、理由よりも、結論に対する直感の方です。
なんとなく「違う」と感じる、その感覚が、驚くほど当たる。
思い返すと、私が失敗したことは、 だいたい、妻が良い顔をしなかったことでした。
数年前にYouTubeをやろうとしたときも。 昔、投資でうまくいかなかったときも。
きっと、良い返事をもらえていなかったのに、 私が突き進んでしまったのだと思います。
彼女の「やめておいたら」は、 今では、人生の危険信号として、信頼しています。
別の人と結婚していたら
正直に思うことがあります。
もし別の人と結婚していたら、今の私はなかった。
これは、謙遜ではなく、事実だと思っています。
一つは、あの判断の的確さです。
進むべきときに押してくれて、 危ないときに止めてくれる。
その積み重ねが、今の結果につながっています。
もう一つ、これは少し怒られそうな話ですが。
妻には、豪快にお金を使うところがあります。
桃鉄でいう、キングボンビーのような振る舞いです。
こつこつ貯めたお金を、 大量のサイコロを振って、一気に吹き飛ばしてくれる。
わかる人にだけ、わかる話かもしれません。
でも、それが実は、私が稼ぐモチベーションになっていました。
使われるから、また稼ごうと思う。
もし彼女がいなかったら、 私はきっと、小さくまとまっていたと思います。
彼女の存在が、私を大きな挑戦へと向かわせてくれたのです。
今、二人で過ごす時間
仕事を手放して、1年半ほどが経ちました。
正直に言うと、妻との関係は、あまり変わっていません。
もともと、休日は一緒にランチに行くような夫婦でした。
だから、劇的な変化はないのです。
今は、旅行にも一緒に行きますし、 拠点を移るときも、一緒のことが多いです。
お互い、一人の時間が、あまりない。
それくらい、一緒にいます。
一番幸せを感じるのは、特別な瞬間ではありません。
同じものを食べて、「おいしいね」と言い合うとき。 旅先で、同じ景色に、二人で感動するとき。
そういう、何でもない瞬間が、一番幸せです。
医師の妻という存在について
ここで、少し視野を広げて書きたいと思います。
自分の妻に限らず、「医師の妻」という存在についてです。
医師は、診療でストレスを抱え、 大きなプレッシャーを感じながら働いています。
でも、その妻もまた、 同じくらい多くのものを、背負っていると思います。
夫が持ち帰るプレッシャーを、受け止め、癒してくれる存在ではないでしょうか。
誤解を恐れずに言うと、子どもの教育を、夫と同じ水準で維持しようとする重圧。 医師の家系であれば、「子どもも医師に」という無言の期待。
開業となれば、40歳前後という時期に、 生活そのものが大きく変わる不安と、経営リスクの共有。
転勤や当直で、家庭を一人で回す日々。
医師の大変さは、よく語られます。
でも、その隣で、同じだけの重さを引き受けてきた妻のことは、 あまり語られません。
夫が背負う荷物を、見えないところで一緒に持っている。
それが、多くの医師の妻の姿だと思います。
現役の頃、いたわれなかったこと
最後に、一番伝えたいことを書きます。
現役の頃、私は妻を、十分にいたわれませんでした。
自分の仕事のプレッシャーで、精一杯だったのです。
でも、彼女もまた、多くのプレッシャーと辛さを抱えて、 私の隣で生きてくれていました。
そのことに、当時の私は、あまり気づけていませんでした。
だから、これからは。
彼女を、いたわれる自分でありたいと思っています。
押してくれてありがとう。 止めてくれてありがとう。 隣にいてくれて、ありがとう。
普段は、照れくさくて言えません。
だから、この文章が、その代わりです。
いつも、本当にありがとう。
この記事を読んでくださっている方へ。
あなたの隣にも、あなたを支えてくれている人がいませんか。
その人に、感謝を、伝えていますか。
普段は言えなくても、たまには、言葉にしてみてください。
言葉にしないと、伝わらないことが、たくさんあります。
私も、これから、少しずつ伝えていこうと思います。
