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教授か、ハイボリューム病院の部長か

医師としてある程度の年齢と経験を重ねると、ふと人生の分岐点が来る。

大学教授という肩書き。
地域の中核病院を動かす部長職。
どちらも簡単に得られるものではない。

ただ、現実的にはかなり違う。

名誉を取るのか。
実務と収入を取るのか。
人生の物語を取るのか。
生活の安定を取るのか。

これは、単なる転職相談ではない。
医師として何を大切にして生きるか、という話に近い。


教授という肩書きの強さ

教授という肩書きには、やはり特別な響きがある。

医局を率いる。
後進を育てる。
研究の方向性を決める。
学会で発言力を持つ。
大学の看板を背負う。

医師としてのキャリアの一つの頂点であることは間違いない。

一度きりの人生で、「教授をやってみたい」と思う気持ちは自然だと思う。

収入だけでは測れない経験がある。
自分の名前で教室を動かすという経験は、市中病院の部長とは違う。

教授は、医師人生における“物語性”が非常に強いポジションである。


ただし、教授は思ったほど自由ではない

一方で、教授になれば何でもできるわけではない。

大学には大学の論理がある。

人事。
予算。
研究費。
医局員の確保。
関連病院との調整。
病院経営への貢献。
学内政治。
他科教授との関係。

これらにかなりの時間を取られる。

しかも、今の大学は昔ほど余裕がない。
研究費は厳しい。
若手は集まりにくい。
医局員は減る。
病院からは臨床の売上も求められる。

つまり、教授になったからといって、優雅に研究と教育だけをしていられる時代ではない。

今の教授は、名誉職であると同時に、かなり重い管理職である。


年収1000万円の教授という現実

問題は収入である。

教授という肩書きに対して、年収1000万円という条件は、医師の市場価値から考えるとかなり低い。

もちろん、大学によって差はある。
講演料や外部収入、学会活動、研究費、退職後のポストなどを含めて考える人もいるだろう。

ただ、それらは診療科や専門領域、知名度によって大きく変わる。

循環器、糖尿病、腎臓、感染症、ワクチン、喘息、炎症性腸疾患など、講演需要が強い領域なら外部収入も期待できるかもしれない。

しかし、外科系やマイナー領域では、同じようにはいかない。

教授になれば講演料で取り返せる、という前提はかなり危うい。


ハイボリュームセンター部長の魅力

一方で、ハイボリュームセンターの部長は非常に現実的な選択肢である。

症例数がある。
臨床力を発揮できる。
収入も高い。
自分の専門性を直接活かせる。
チームを作れる。
病院経営への貢献も見えやすい。

特に、アカデミアと無縁に歩んできた医師なら、こちらのほうが自然に力を発揮できる可能性が高い。

年収1800万円という条件も、生活設計上かなり大きい。
1000万円との差は、単年で800万円。
10年なら単純計算で8000万円である。

さらに退職金や将来の資産形成まで考えると、差はもっと広がる可能性がある。

お金だけではないと言いつつ、お金の差は人生の自由度に直結する。


「お金で選ぶのは貧しい」のか

ここは慎重に考えたい。

「お金より名誉」
「一度きりの人生だから教授」
「金銭で判断するのは寂しい」

こういう考え方もわかる。

ただ、家族、住宅、子どもの教育、老後、親の介護、自分の健康を考えれば、収入は単なる欲ではない。

生活の基盤であり、選択肢の源泉である。

医師はどうしても、名誉や使命感で低待遇を受け入れがちである。
しかし、それで後から苦しくなるなら本末転倒だ。

お金で選ぶことは卑しくない。
自分と家族の人生を守るための合理的判断である。


教授選に出るリスク

教授選には、当選しないリスクもある。

立候補するだけなら経験になる。
話のネタにもなる。
自分の市場価値を知る機会にもなる。

ただし、落選した場合に「教授選に落ちた人」という印象が残ることもある。

もちろん、それが必ず不利になるわけではない。
複数回挑戦して教授になる人もいる。
落選後に別の大学や病院で評価される人もいる。

しかし、アカデミアで長く戦ってきた人ならともかく、これまで無縁だった人が急に教授選へ出る場合、勝ち筋は慎重に見たほうがいい。

誘われたから勝てる、とは限らない。
教授選には、見えない意図や学内政治がある。


教授になって何をしたいのか。

研究をしたいのか。
若手を育てたいのか。
医局を再建したいのか。
大学病院の臨床を変えたいのか。
学会で発信したいのか。
単に「教授」という肩書きが欲しいのか。

ここが明確なら、年収が下がっても挑戦する価値はある。

逆に、教授という響きに惹かれているだけなら、かなり危ない。

教授職は、名刺に書くと気持ちいい肩書きではある。
しかし実際には、予算不足、人手不足、医局運営、学内調整、若手離れと向き合う仕事である。

肩書きへの憧れだけで飛び込むには、教授という仕事は重すぎる。


臨床が好きなら、部長のほうが幸せかもしれない

アカデミアよりも臨床が好き。
患者を診ることが楽しい。
手技や治療で成果を出したい。
自分の専門領域でチームを作りたい。
収入もある程度確保したい。

こういうタイプなら、ハイボリュームセンター部長のほうが満足度は高い可能性がある。

大学教授になると、臨床以外の仕事が一気に増える。
自分で直接診療する時間より、人を動かす時間のほうが増える。

それを面白いと思えるか。
あるいは、面倒だと思うか。

ここは大きい。

臨床医としての充実感を求めるなら、教授より部長のほうが合う人は多い。


それでも教授に行くべき人

それでも教授を選ぶべき人はいる。

・研究や教育に強い関心がある
・医局運営に挑戦したい
・収入減を家計的に許容できる
・落選しても次の道がある
・大学という組織でやりたい明確なテーマがある
・名誉や影響力を人生の価値として重視している

こういう人なら、教授選は十分に意味がある。

人生は一度きりである。
収入だけで選ばない生き方も、もちろんある。

ただし、それは「収入を軽視する」という意味ではない。

収入減を理解したうえで、それ以上にやりたいことがあるか。

この一点に尽きる。


最後に

教授か、センター病院の部長か。

これは、名誉と収入の単純比較ではない。

自分がどんな医師人生を送りたいのか。
何を残したいのか。
どこで最も力を発揮できるのか。
家族や老後まで含めて、どの選択が納得できるのか。

そこを考える問いである。

教授は魅力的だ。
一度きりの人生で挑戦する価値もある。

しかし、教授という名前だけに惹かれるなら危うい。

教授になることが目的なのか。
教授になって何をするのか。

まっち

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