再放送ヒーロー(ヒロイン)の再利用あるいは回帰について
「ファイト」という死語
ひとは誰しも精神の奥底に忘れがたい光景というものを秘めているものだが、1947年生まれの沢木耕太郎にとっては、「私のどこかにスイッチが入ったのは、新安保条約が自然承認された一九六〇年六月十九日という」特定の日付においてであった。
その年の六月を境にして変化したのは私だけではなかった。日本の社会全体が大きく変わっていったという印象がある。潮が引くように何かが去っていったという感じを受けていたのだ。
しかし、反安保闘争によって昂揚した「反体制」、少なくとも「反政府」のエネルギーは、池田内閣のさまざまな施策の前に、なしくずし的に拡散していってしまう。反安保の闘争がもっとも激しかった六月から、まだ半年ほどしか経っていないその年の十二月、体制に批判的な市民主義の、その理論的支柱のひとりと目されていた法政大学助教授の松下圭一は、「朝日ジャーナル」に発表した「安保直後の政治状況」という論文において、ある種の無念さを込めて次のように書かざるをえなかった。池田内閣は《安保から経済成長へと完全に政治気流のチェンジ・オブ・ペースをやってのけた観》がある、と。
文字通り、「潮が引くように何かが去っていった」のである。「六〇年安保」後にも日本の戦後史にはいろいろと紆余曲折があったとはいえ、基本的なトーンとしては少年の沢木耕太郎が感受していた空気感が社会を覆っていたのである。私が大学に入学した80年代初頭には安保の昂揚などあろうはずもなかった。「闘争」という言葉に代わって、「ニュートラル」という言葉が先端カルチャーの必須タームとして時代を席巻していた。この言葉は権力の側から押し付けられたわけではなく、大衆の側から、というよりは正確には業界の側から発信されていた。ソ連的体制を批判するポーズをとってイケてる感を演出するという新左翼のええかっこしいが背景にあったのだが、旧左翼的な反逆も闘争もことごとく潰されていた(当時は「仮想敵」という言葉が切り札のように使われていた。やるんだったら「真の敵」を撃てよ。左翼の「やってる感」は悪癖というしかない。突っ込みが入ると「これは遊びだ」とか言い訳をするし。結局は中身がなかったのだ。「対案を出せ」と言われて反論できないのと同様である)。だから1983年に発表された中島みゆきの「ファイト!」は超がつくほどマイナーだったし、実を言うと私はこの曲をリアルタイムでは聞き逃していた。私がこの曲の存在を知ったのは90年代に入ってからであった。1983年にこれを聞いていたら相当な衝撃を受けていただろう。ちなみにごく最近この曲をテレビの音楽番組で竹原ピストルがカヴァーしていて、そのパフォーマンスがあまりに素晴らしくて、その刺激の余波でこの原稿は書かれている(※註 この原稿は2020年2月に書かれた。奇しくも60年安保60周年であった)。
1983年の日本の音楽シーンは、私の印象ではYMOの「君に胸キュン」のような曲がスタンダードであった。この曲のことを私はけっして嫌いではないのだが、「お洒落に変化球投げてるでしょ」みたいな、ええかっこしいぶりがどうにも鼻につく。
サウンド的には同じであるが(編曲は坂本龍一)、主要なメンバーが松任谷由実、小田和正、財津和夫という70年代組であり、作曲担当が小田和正ということもあって、1985年に発表された「今だから」は直球抒情ソングというものであり、この曲は気に入った。まるで70年代の音楽ラジオ番組の再放送を聞いているかのようであった。80年代中盤から後半にかけて私の心を揺さぶったのは再放送的なものであった。本稿では再放送の擁護を試みたい。
再放送コンテンツあれこれ
1983年私はうかつにも中島みゆきの「ファイト!」を聞き逃してしまったけれども、U2のサードアルバム「WAR」には衝撃を受けた。いかにも象徴的なタイトルを持つこのレコードを私は擦り切れるほど聴き、アルバムの帯に書かれていた「音が寒い」というフレーズは今でも鮮やかに記憶している。北方系ハイテンションは当時はまったく流行らなかった。
渡辺美里の「My Revolution」も再放送がやって来ましたという感じだった。渡辺は私の中では、庄司陽子の代表作『生徒諸君』の主人公北城尚子と重なるところがある。いかにも70年代のキャラクターで、じっさい渡辺はコンサートで吉田拓郎のような70年代フォークをカヴァーしていたという。能天気なお姫様といったところだが、80年代的なニューロティックな文化系とは爽快にすれ違っていた。
季節はずれの70年代ロックとしか言いようがないPEARLの登場には度肝を抜かれた。ヴォーカルの田村直美のベタベタなロッケンローラーぶりはほとんど時代劇だが、女版アラジンになることを免れているのは田村が70年代ロックを一片のシニシズムなしに信じ切っているからであろう。最強の再放送コンテンツである。
この系譜の集大成とも言えるのがNakamuraEmiの「YAMABIKO」である。こんな傑作を作ってしまったらその後が大変だろうな、と大きなお世話だが思ってしまう。洋楽では女の自立を歌ったルルの「Independence」がある。
男性ミュージシャンのほうでは、1983年はやはり尾崎豊だろう。埼玉育ちで青山学院において違和感に苛まれていたことが尾崎のスタンスを決めていると思われるが、この問題についてはあとで触れる。
ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』にインスパイアされた氷室京介の「Dear Algernon」も当時としては画期的な作品。今聴いても古びていない。「傷だらけの魂」を持て余している「ただのくず」は現在のほうがゴマンといるだろうから、潜在的な聴き手に求められている曲だと思う。
洋楽ではシンプリー・レッドの「Money’s too tight ( to mention )」がレーガノミックス(サッチャリズム)に噛みついて硬派なところを見せる。
また、この系譜にはマニック・ストリート・プリ―チャーズがいて、オーウェルの『カタロニア讃歌』にインスパイアされた「If you tolerate this your children will be next」(これを受け入れたら、次は子供たちの番だ)が印象的。エンターテインメント志向のアメリカに対して、イギリスにはアート志向のメンタリティがまだ残っている。
「アート」という言葉が出たが、「再放送」とは「アート」の同義語である。日本では1960年代に、アメリカでは1950年代に起ったことは「アート」の消滅という現象である。
内部指向型から他人指向型へ
前節で取り上げたミュージシャンたちは、言ってみれば、アーティストである。彼らが80年代において異彩を放ったのは80年代がアイドルの時代であったからである。ここでリースマンの分類を導入するなら、アーティストは内部指向型、アイドルは他人指向型ということになる(『孤独な群衆』)。この背景には社会のありようを規定する産業構造の変化がある。アメリカも日本も第1、2次産業から第3次産業へと移行したのである。製造業から広告産業へと社会の基軸産業が移行するにつれ、自律的な自己を持ち、容易に伝統や他人に動かされない独立自営職人のようなタイプは、他人の承認を血眼になって求め、絶えず周囲にレーダーを張り巡らして、浮遊する大衆から外れないように気を配る広告業界人のようなタイプにとってかわられた。「空気を読め」という時代の命法は、中国やロシアのような国の命法に匹敵する。「かつてアメリカではソ連のように国家的強制はないが、別の強いコンフォーミズムがあるといわれたのは、そのためです。だから、アメリカでは、大衆社会、消費社会が最も早く、抵抗もなく実現されたといってよいと思います」(「近代文学の終り」)と柄谷行人が指摘するように。
このようなアメリカ社会の状況をリースマンは、フランスの社会学者デュルケームに倣って「アノミー」という言葉で指摘したが、文学者のトニー・タナ―はそれを「エントロピー」という概念を用いて説明しようとした。
作中人物が「平衡」(社会の普遍的気風に対する完全な適応)の状態になると、そうでなければ持ち得たかもしれぬ明確な内的実在性を喪失することになる、と多くの作家は示している。そのような人物はそれほどまでエントロピー的勢力に屈服してしまうのである。自己が周囲の環境と社会の大勢に抵抗することは、それゆえに生命の行為、反エントロピー的身振りにとなるかもしれない。この身振りに付随する危険は、社会の強圧と浸透力を持った説得に抗して自己を守るためには、その個人は気づかぬうちにみずからを「孤立系」としてしまうかもしれず、そうなると彼の内部でエントロピーが増大することになる、という危険である。
大衆社会的エントロピーに抗う孤高のアーティストのイメージといったところか。70年代のアメリカンニューシネマにはそのようなキャラクターが登場していたように思う。けれども現在のハリウッド映画では、そのような人物は、たいていテロリストとして表象されてしまう。まれに『ジョーカー』のような作品も登場することがあるが、それでもエスタブリッシュメントの側からは批判にさらされる。
日本においても1960年代にエントロピー的状況に抗おうとする姿勢を見せた人間は何人かいた。例えば、大江健三郎は、まさに60年安保の敗北感から回復するために、時計を100年巻き戻して、万延元年に起った一揆を「再放送」として反復する『万延元年のフットボール』を書いた(1966年)。そしてまた、これは新安保条約承認の直前に書かれた原稿であるが、江戸時代に(家産)官僚化され、エントロピーの加担者と成り下がった武士とは異なる、戦国武士のエートスに見られる「シヴィック・ヴァーチャー」としての内部指向型の典型を指し示そうとする『忠誠と反逆』が丸山真男によって書かれた。
主体としての武士
今年(2020年)のNHK大河ドラマは明智光秀を主人公としている(『麒麟はくる』)。それに呼応して雑誌『現代思想』が明智光秀を特集している。その中の小泉義之による原稿が丸山真男の「忠誠と反逆」を参照している。小泉原稿は、導入はなんと出口王仁三郎が言及され、末尾は次のような言葉が読まれる。
「牛の糞」にせよ「労働者群」にせよ、おそらく忠誠のあまりに反逆する「志士仁人」の軍団なくしては、歴史に参入することはない。また、「「志士仁人」にしても、「牛の糞」や「労働者群」の終末観的世直しと爆発的反抗への結びつきなくしては、謀叛と歴史に参画することはない。
なにやら熱量高くて、安保闘争のアジテーションが再放送されているようである。出だしの「出口王仁三郎」の名前も、戦時中に反体制的として国家による弾圧を受けた大本教の教祖であり、なおかつ大本教をモデルした高橋和巳の『邪宗門』(1965~1966年)のことを思い出させ、さらに『邪宗門』と同様全共闘に人気があった白土三平の『カムイ伝』(1964~1971年)のことへと、私の連想は飛びまくった。
ところで1973年の大河ドラマ『国盗り物語』の原作者である司馬遼太郎によると、明智光秀像は次のように描かれた。
ただ道三とは野望の方向がちがっている。道三は古びてどうにもならなかった足利的秩序をこわそうとし、事実美濃で実力によるあたらしい国家を築きあげたが、光秀はこれとは逆に衰弱して見るかげもない足利幕府をこの乱世のなかで再興しようというのである。
道三はいわば「新自由主義者」としてふるまっている。それに対して一方の光秀は、中世の最後の光芒である足利幕府を再放送を懐かしむように愛でている。室町的なものへの忠誠が光秀を戦国武士としては異色の教養人として立たせている(高度に洗練された文化空間としての室町時代については山崎正和の『室町紀』が詳しい)。
忠誠心が主体を成立させることに注目したのは柄谷行人である。柄谷は「主体」を意味する英語のSubjectが「従属する」という意味を持つことに注目し、なにものかに従属することによって人は主体となり、それへの忠誠は反逆する強固な個人をつくるのだとする。藩への忠誠が近代国家への反逆となるように。大本教が宗教への忠誠から国家に反逆したように。
こうしたメンタリティは武士ばかりではなく、西洋にも見られる現象で、たとえば、精神分析家のラカンは、ギリシア悲劇のアンティゴネーにその範型を見いだしている。家族への忠誠によって国家に背いた彼女のふるまいを、ラカンはイエス・キリストの先駆者だと見做している。
さらにまた青木純一は、「欲望」という精神分析学的なタームを用いて、森鴎外の歴史小説(『大塩平八郎』など)の無意識を暴こうとしている。そこでキーワードとして登場するのが「献身」という言葉である。
献身とはけっして服従ではない。献身はむしろ、いかなる対象化にも服従しない生の絶対的な非服従の態度である。そして、反抗はけっして欲望の目的ではない。反抗はむしろ、欲望の本来の現在の根底なのである。
青木の言葉には、ラカンがアンティゴネーを論じた際に書きつけた「汝の欲望をけっして諦めるな」という言葉が響いている。そしてラカンの欲望論の根底にはシニフィアンの一撃という享楽の体験がある。
この新たな症状論は、「S1→S2」という簡潔な式で書き表すことができる。S1とは、症状の根(核)にある享楽のことであり、この享楽はそれを生み出した身体の出来事の衝撃ゆえに、たえず反復されつづけることになる。そして、S1に対して付け加えられるのが、S2である。このS2は、シニフィアンを連鎖させ、隠喩的な意味を生み出すものである。つまり、私たちがこれまで慣れ親しんできた「何かを言わんとしている」隠喩的な症状とはS2のことであり、その根底にあるS1は、症状のもうひとつの側面である反復的な享楽が刻まれた「ひとつきりの<一者>」のシニフィアンのことなのである。
ここで言われているS1とは、かつて吉本隆明が『言語にとって美とは何か』で考案した「自己表出」に対応しており、S2は「指示表出」に対応している。「自己表出」は文学(アート)の言葉であり、「指示表出」はコミュニケーション(商売)の言葉である。この二つを垂直と水平の二つに振り分けることも可能だ。ひとが忠誠を誓うのは、あるいは無意識の激しい力で引き寄せられるのは、「反復的な享楽が刻まれた「ひとつきりの<一者>」のシニフィアン」に対してである。そのシニフィアンに従属する(させられる)ことで、ひとは主体になるのだと言える。
だから武士は水平的な商売の空間には馴染まない。司馬遼太郎描くところの宮本武蔵が堺のような商業都市に近づかず、奈良や京都のような宗教や美術の空間に執着したように。あるいは奥州生まれの千葉周作が駆け出しのころは千葉の松戸、やがて群馬を活動の場にしたように。新選組の連中が西東京という当時のド田舎を出自としたように。そして大阪の侍が肩身の狭い思いをして生きなければならなかったように。先に触れておいた埼玉県人の尾崎豊と青山学院の相性の悪さは、そのような文脈において理解されよう。良くも悪くも尾崎は水平的な資質というものを欠いていた。
おそらく、現在、垂直というやつは時代劇か再放送(私は故意に「再放送」というスーパーフラットな言葉を使用しているが、そうすることでS2=指示表出との通路を開き、「孤立系」というもうひとつのエントロピーに巻き込まれることを避けるためである)のなかでしか生息できない。高校の国語で文学作品が排除されるなど、そこまでエントロピーは増大してしまっている。そもそも時代劇はもはやNHKぐらいしか放送していない。小泉義之のアジテーションに乗っかるかたちで、今年の大河ドラマには、隠れテーマとして密かに「六〇年安保」を仕込むことを期待したい。
結局はそうはならなかったようで。コロナ禍もあってこの年の文化産業はアンラッキーであった。「不要不急」という言葉に振り回されていたようだが、それは「経済」の側からの発想であって、「魂」の側から見ればそれは全くの間違いである。「文化」の側も宗教的な次元を忘れて久しい。記憶を回復するためにも、やはり、「再放送」の導入が必要なようである。
