見出し画像

『ピンポン』:ヒーローへの凶悪な一球について

名作『ピンポン』の主題は何かと問われれば、多くの人が「才能」と答えるだろう。自分もそのテーマで記事を書いたことがある。だがもちろん、ピンポンは「才能の話だけしてハイ終わり」というほど浅い物語ではない。もう一つ、そのうち語りたいと思っていたことがあった。

それは、ペコvsスマイルにおける、たったの1ポイントをめぐる複雑なドラマについてだ。

本作のクライマックスはやはりペコvsドラゴンだろう。そのためか、ペコvsスマイルはその試合の実現自体が一つの達成とみなされ、攻防の内容に触れられることは少ないように思う。

だがこの試合、スマイルは初手からとんでもないことをやっている。説明的には描かれていないため、この一球に込められたドラマを隅々まで受け止められている人は、意外と少ないのではないだろうか。


先行はスマイルだ。まずはサーブをフォアに深く入れる。

サーブは深く、フォアへ(5巻154ページ)

そしてペコの返球を、次はバックに切り返す。

ペコの返球をバックに切り返す月本(5巻、156ページ)

こうなるとペコは守備位置の端から端へ、ボールを追わなくてはならない。急激な方向転換と急加速が必要だ。だが思い出してほしい。ペコは右膝を痛めており、スマイル戦どころかドラゴン戦ですら「棄権だろうな」と言われていたのだ。

そんな親友ペコに、スマイルは初っ端から「右膝を壊せ」と言わんばかりの配球をカマしたのだ。

なぜ、こんなエグい配球で臨んだのか。ここに至った背景は、大きく三つに分けられる。語っていこう。


バタフライジョーの悲劇

スマイルの才能を見いだし、熱血指導を続けた顧問の小泉。彼は世界選手権の最終選考までいった過去を持ち、バタフライジョーと呼ばれた名選手だった。

そんな小泉の前に立ちはだかったのは、右膝を痛めた幼馴染だった。周囲の制止も聞かずに試合に臨んだ幼馴染を相手に、小泉は厳しい配球をできずに自滅。そのまま引退をしてしまった。

これがバタフライジョーの悲劇だ。この話を聴きながら、スマイルは言う。

フォアに深く打ってバックに切り返せば簡単に沈む相手です。」

2巻13ページ

小泉は返す

「旧友の傷に釘を突き立てるような球をね…… 選手生命を奪う危険なコースにさ。君なら打てたか?Mr.月本。」

2巻14ページ

そう、ペコとスマイルの決勝は、「バタフライジョーの悲劇」のシチュエーションをなぞったものなのだ。今一度、スマイルがバックに切り返した時のページを見返してほしい。小泉が目を見開いているのがわかる。あの時の自分が選ばなかった道を、愛弟子が選んだのだ。


ペコとの対戦時、スマイルはバタフライジョーのエピソードを否応なく思い出しただろう。恩師である小泉は、同じシチュエーションで手加減をして、一生ものの後悔をしている。それが頭の片隅にあったのだ。

これがスマイルのエグい配球に関する第一の背景である。

スマイルのルート選択

スマイルは不思議な青年だ。「卓球は暇つぶし」といいつつ、でもそれ以上の想いを持っていそうでもある。彼は何を考えていたのか。そして、どう変わっていったのか?なるべく端的に振り返ってみよう。

表に出ている月本の姿勢は、例えば以下のようなものだ。

違うんだペコ。そうゆう事じゃない。強くなるとか、優勝するとか……。そうゆう卓球をやりたくないんだ、僕は。楽しければいい。面白ければそれで十分。プレーすることで何かを犠牲にしたり、勝つために誰かを引きずりおろしたり、したくないんだ

1巻129ページ

だからこそスマイルは、ペコというヒーローの陰で重荷を背負わずに済む「エンジョイルート」を歩もうとしていた。才能に恵まれてしまった彼が、唯一心穏やかに卓球を楽しむための道だった。

一方で、チャイナに実力を見出された日の帰り道、スマイルは鼻歌を歌っていた。そして翌日の練習には高いモチベーションで取り組んでいた。

エンジョイルートを選んでいたスマイルだったが、実際のところ、卓球への素朴な向上心はあったのだと思う。

停滞しているペコに忖度しながらエンジョイルートに留まるか、思い切って全力で取り組む競技者ルートに踏み込むか。スマイルは岐路に立っていた。

そんなスマイルを小泉が口説き、熱量と実力を示した。スマイルは競技者ルートに進むことを決意し、ペコに告げる。

「僕、先に行くよ、ペコ。」

1巻209ページ

これは十分に納得のいく背景があっての決意だった。しかし、競技者ルートに進んだことで、スマイルが当初から忌避していた「誰かを打ち負かし、引きずりおろすこと」が宿命づけられてしまった。

インハイ予選、スマイルはドラゴンにグサリと言われる。

「だが、相手選手の心情を考慮して打つ君の球は、実に醜い。驕りが過ぎる。」

2巻47ページ

ムッとしたスマイルは対戦相手をボッコボコにしながら勝ち上がっていく。
「僕は甘くなんてない。」
そう言わんばかりに。

だが、第三戦のチャイナは背負っているものが重すぎた。月本の打球は急に甘くなり、敗れる。競技者ルートを選んだスマイルだったが、メンタリティとしてはやはり向いていなかったことが露呈する。

小泉は言う

「あのテの試合は、関わる人間、皆 苦しむ事になるんだよ!二度するな!」

2巻150ページ

これは「バタフライジョーの悲劇」も踏まえた教訓だ。どうやら卓球選手として上を目指すには甘さは捨てなくてはいけないらしい…

スマイルはさらに変貌する。

道場破りにきたアクマを圧倒するにとどまらず、アクマの「どうして!」という嘆きにこう返す。

「それはアクマに卓球の才能がないからだよ。単純にそれだけの話だよ。大声で騒ぐほどの事じゃない。」

3巻72ページ

体育館は凍り付く。複数のきっかけと小泉の指導を受け、スマイルは甘さを捨てて卓球マシンとなったのだ。

卓球マシンと化したスマイルは部内でも孤立していく。当初から恐れていた通りの状況だ。スマイルは八方ふさがりになってしまった。

競技者ルートは性格に合っていなかったし、エンジョイルートにもどうやって戻っていいのかわからない。それに不器用なスマイルは、競技者ルートとエンジョイルートの真ん中をうまく歩くこともできないのだ。

でも、救われる道が一つだけあった。それは、しっかりと負ける事だ。自分の全力を尽くして戦い、そして埋められない差を感じながら敗れる。これが競技者ルートの終了条件なのだ。

ここで、本題に立ち返ろう。スマイルがなぜ、ペコの選手生命を脅かしかねない最悪の配球を選んだのか。

ここで怪我に配慮して手加減したら、競技者ルートを終えることができないからだ。ペコに自分の全力をぶつけ、そのうえで思いっきり叩きつぶしてもらう。これこそが不器用なスマイルが見つけた唯一の脱出経路だったのだから。

ペコがヒーローだから

ここまでの背景は、スマイルがエグい球を打たなくてはいけなかった必然性を説明するものだった。でも、まだパズルのピースがそろわない。ここまでの情報だけだと「なぜ、ペコの膝を壊しかねない球を躊躇なく打てたのか」というスマイルの感情面が、まだ未解決のままなのだ。

でも、この謎解きは簡単だ。理由はたった一つ。ペコがスマイルのヒーローだからだ。

ペコの才能や仕上がりをみて、これなら大丈夫と計算して打ったわけではないはずだ。むしろ状況を総合的に判断したら、あんな球は打てない。

そうではなくて、子どものころから抱いていた、ペコへの信仰にも似た感情があの一球を可能にしたのだ。

ピンチの時には必ず現れる。どれだけ深くに閉じ込められても、助け出してくれる。スマイルにとって、ペコはそんな無敵のヒーローなのである。

「膝を痛めていようが、関係ない。ペコはヒーローだから、こちらの全力を受け止めたうえで圧倒してくれる。僕を助けてくれる。」

あの聡明なスマイルが、ここではこんな暴論ともいえるロジックに身をゆだねていたのである。

さて、スマイルはこのロジックに”祈るような想い”で、無理にすがりついていたのだろうか?

自分はそうは思わない。それはきっと、子どもがウルトラマンや仮面ライダーの勝利を信じて疑わないような、無邪気な信頼だったのではないか。


一球の行方は

バタフライジョーのような後悔を残さないように
競技者ルートを悔いなく降りれるように

スマイルはベストを尽くしたうえで敗れ、納得する必要があった。
ここで膝のケガに配慮して半端な卓球をすれば、自分は救われない。

でも、打っていいのか?ペコの膝が壊れてしまったら?

大丈夫だ。だって相手はヒーローなんだから。


幾重もの想いをのせて、スマイルは極悪な一球を放つ。

フォアに深く打ち、バックに切り返す。

刮目する小泉。

そして―

ペコは当然のように追いついて見せる。

ほら、やっぱりペコはヒーローだ。もう大丈夫なんだ。

ラリーの末、ペコが豪快なスマッシュでファーストポイントをもぎ取る。

子どものように笑うペコ。

小泉も笑って頷いている。

ペコは自らがヒーローであることを再び証明し、スマイルは救出された。

そして気づけば―
このラリーはスマイルだけでなく、バタフライジョーまで救っていたのだ。

この記事が参加している募集