堤聖也の強さは、遅れて見えてくる
堤聖也が勝った試合を見ていて、強いと思えなかった。それが、ずっと引っかかっていた。
私が堤聖也を知ったのは、穴口一輝戦だった。
その試合を見ていて、最初に強く残ったのは堤選手ではなかった。
穴口選手のほうだった。
前に出ていた。手数も多かった。試合を作っているのは穴口選手に見えた。
途中で、堤選手のパンチが入った。穴口選手が倒れた。
穴口選手は立ち上がった。
また動き出した。前に出て、自分の試合に戻していくように見えた。
倒れたことが、なかったことのようにも見えた。
けれど、また倒れた。
立ち上がる。また動く。また試合を取り戻しているように見える。けれど、また倒れる。
私はそれを見ていて、うまく整理できなかった。
どちらが強いのか、途中から分からなくなっていた。
試合は堤選手が勝った。
勝ったのは分かった。でも「強い」とは、うまく受け取れなかった。
倒していたのは堤選手のほうだ。それなのに、強いと思えなかった。
穴口選手が立ち上がるたびに、試合がそちらのものに見えていたからだと思う。
その後、穴口選手が亡くなった。
あの試合を、簡単な言葉で置けなくなった。
「いい試合だった」とも言いにくい。「壮絶だった」とも言いたくない。
何と言っていいのか、今もよく分からない。
しばらくして、堤選手の戦績を見た。
中嶋一輝。比嘉大吾。増田陸。穴口一輝。井上拓真。ノニト・ドネア。
名前が並んでいた。
それでも、負けがなかった。
一度も負けていない選手を、私は強いと思えなかった。
そのことが、引っかかった。
戦績を見たあとで、もう一度あの試合を思い出した。
堤選手は、分かりやすい倒し屋には見えなかった。
豪快に振り回すわけでもない。前に出て圧をかけ続けるわけでもない。
でも、当たると試合の景色が変わる。
穴口戦で見ていたあのパンチは、ただ強いパンチではなかったのかもしれない。
穴口選手が作っていた流れ。前に出て、手数を重ねて、試合を進めていた時間。
それが、一発で別のものに変わっていた。
倒したというより、流れごと変わっていた。
そう思うと、立ち上がってまた動き出していた穴口選手の姿も、少し違って見えてくる。
取り戻しているように見えた。見ているこちらにはそう見えた。
けれど、堤選手のパンチが当たったあと、試合はもう同じ場所には戻っていなかったのかもしれない。
だから私は、見ていたのに、強いと受け取れなかったのかもしれない。
ただ、これも今だから言えることだ。
あのとき、リングの中で何が起きていたのかは、私には分からない。
倒れて、立ち上がって、また倒れた選手が、そのとき何を見ていたのかも分からない。
私が見ていたものと、リングの中で起きていたことは、違っていたのだと思う。
穴口選手が亡くなったあとで、こう書くことの重さも、分かっている。
分かったうえで、それでもあの試合のことを、まだ言い切れずにいる。
あのとき、穴口選手がまた立ち上がった。
また前に出て、試合を取り戻しているように見えた。
そのあとで、堤選手のパンチが当たった。
私はあの場面で、何を見落としていたのか。
今も、少し考えている。
