映画「羊たちの沈黙」の感想 ※ネタバレ
最近僕はよく映画を観ている。気になった作品を一本ネット上で借りようと思ったらそれだけで300円ほどかかる。それだったらいっその事一ヶ月コースを購入したらいいだろうと思ったので、ついでに色々なものに目を通しているのだ。
「羊たちの沈黙」は昔から好きな作品だった。もう何回も観ている。月額見放題に契約したからこそ、これを機にまたかいつまんで視聴してみた。自分の好きな映画パターンに言及すると実は案外はっきりしていて、ロマンチックで理想主義的なものが多い。僕が度々日記で引用しているニーチェやトーマスマン、あの難解なドストエフスキーですら以上の志向がまずは根底にあって作品を仕上げてきている向きがかなり強い。ロマンチックと書くと恋愛的な事を思い浮かべるかもしれないが、現在の恋愛に理想主義はほとんど存在しない(と僕は思っている)。自分はフロイトではないつもりだが、恋愛は性欲が発展し、形を変えたものだろうとの考えを持っているので、そもそも追求する事自体が野暮だろうと思っている。恋愛にもロマンチックや理想的要素は当然あるのだが、それを描いたところで人間の思想的発展に寄与するかどうかは甚だ怪しいとも言えるし、
「人は他者を愛することが出来るか?」をテーマにしようと思って、対象に女性を選んでしまったらフロイト信者から馬鹿かと疑われてしまって面白くないという側面もある。恋愛作品は巷にありふれ過ぎていて、ロマンチックかつ理想主義を表現するにはパンチが足りないという言い方も可能だ。
僕がこの様に、冷静に時には打算的にすら感じるほど辛辣にロマン主義を論じるには訳があって、こうでもしないと普通の人には馬鹿げたものとしてその目に映るだろうと思っているからである。
子供の時子羊を助ける事が出来なかったというトラウマがあって、もう二度と同じ様な子羊(犯人に囚われた被害者)を増やさないよう固く誓って事件解決に情熱を燃やす女新米捜査官を描いたところで一体どれほどの共感が得られるだろうか。何回も観ていると頭が冷めてきて気になった次第である。でも、そこをレクター博士演じるアンソニー・ホプキンスが、その名演技によってサポートしてくれていると思う。彼女の情熱に博士の知性が加わって、お花畑に傾いていきそうなところを上手くバランスしていると言えよう。
レクター博士の発言にはどんなものでも考えさせられるものがあるなとこの度思った。まずはクラリス(女捜査官)に対するセクハラ発言だ。
監房奥にたたずむレクターに会おうと歩いてくる間に、クラリスは他の囚人から卑猥な言葉を浴びせられる。それを聴いていたレクターは開口一番
「さっきあいつに何を言われた?教えてくれ」
と問う。正直に教えると、少しだけ心を開いて話をしてくれるようになるのだ。これだけだと只のエロ親父とも思えるのだが、帰り際同じ囚人によって繰り返された粗相に対するクラリスへのお詫びと、囚人を自殺へと追い込むほどの報復が描かれており、女性への非礼は絶対に許さない旨を作中表現しているのだ。
しかし次会った際は
「クロフォード(女の上司)は君の昇進を手助けしているようだ。彼の狙い通りに君は(彼と)セックスするのかな?」
と言い、
「あの囚人とやってる事は同じよ」
とクラリスからたしなめられて一瞬黙るのである。これは、やり込められて黙ってしまった訳でも勿論健忘症を指摘されて図星を突かれたと思った訳でもない。クラリスを試験しているのだ。連続殺人事件の捜査官に選ばれた理由を考えてみた形跡はあるか、エロを受け入れるほどの思想的幅を備えているか確かめたのである。映画後半、格子越しにクラリスの指を指で撫でて、別れの名残り惜しさと愛情を表現する様なイケオジな点から言ってもエロ描写には何らかの意味が隠されていると言えよう。
犯人の手がかりを得ようとレクターにすがりつく被害者の母親に、
「子供は母乳で育てたか?その時は乳首が固くなったろう。しかし今、子供が殺されるとなっては身体のどこが痛む(反応する)かな?」
と問いかける場面もあった。普通に考えてどこも痛まないし、一見なんの脈絡も無さそうな意味不明な発言だが、要は子供に真に寄り添えるかを問うているのである。お前は今一人ぼっちじゃないかと。母親は、子供と気持ちを共に出来ないどころか犯人の心理を読む事すら叶わない。それは無理もないのだが、レクターはそれをなんとか可能にする。そして映画終盤、遺体の発見場所をもとにクラリスへ助言を残す。
「遺体は不自然なほど散らばっている。まるで作られた嘘のようだ」
僕は先日ヒッチコックに対する批判的記事を書いた。案の定イイねは付かなかった訳だが、読者はヒッチコックにおける詐欺師としての側面を見落としている。歴史的名作に対する個人的僻みや無知を晒したに過ぎないといった程度の評価を僕に対して下しているのかもしれない。プロパガンダ作品とは言わないまでも、観たら多少気分を害してしまったとなるくらいが本来望ましいと僕は感じるのだが…。エロ要素を負の側面としてしか受け付けなかったクラリス的態度が原因と言えよう。また、向かいのアパートの窓が全部覗き放題という状況も現実と比べると嘘臭いのだ。レクターの様に根本を見通せないまでもヒントは転がっているものである。何かを装おうとしている詐欺師なら必ずどこかにほころびがある。どうせ分からないだろうとの上から目線でわざとドアを開けっ放しにしたのがヒッチコックの憎いところなのだ。小林秀雄も指摘しており以前日記で取り上げたが、およそ受動的に作品と関わろうとするから相手の気持ちが読めないのだ。主体性の欠如。ある種の現代病と言っても構わないかもしれない。乳首が反応したのは遠い過去とは言い得て妙な発言である。
