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透明になる私たち

ロボット ライク ア ガール

「ママ、ごめん、分からない」
「ママ、ごめん、分からない」
「ママ、ごめん、分からない」

7年くらい前の記憶なので、何を質問したかは忘れた。私にとっては些細な質問だったと思う。小学校低学年の娘は、複数の質問に対してずっと同じセリフを繰り返し続けていた。「自分の意見はないのか」とか「考えるのが面倒なんじゃないの」とか、どんどんイライラしていったことを覚えている。

「ママ、ごめん、分からない」
何度目か、十何度目か、それとも累計では何百回目か、同じセリフを聞いた時にブチンと切れた。
「何それ?そんなの、何も答えてないのと同じでしょうが!自分の意見はないわけ?」
怒鳴ったと思う。そうなっても変わらず娘は、泣きながら同じセリフを言い続けた。私が質問をやめなければ、何時間でも。

娘は、昔からそうだった。どうしてもやりたくないこと(やれないことかもしれない)を言われると、何時間でも硬直していられた。例えば、お風呂に入ってとか、ハミガキしなさいとか、謝ろうとか、片付けしようかとか、そういうことで。

反抗的とかいう感じではない。文字通り一向に固まって動かなくなる。まるでPCが命令を処理できず、固まっているみたいに。怒っても、優しく促しても同じ。もう一度動かすには、再起動が必要だった。時間を置いてから全く別のことを話しかけるしかなかった。

硬直し、何も映ってないみたいな目に涙を溜めながら、「ママ、ごめん、分からない」と、まだ同じセリフを繰り返す彼女を「ロボットみたいだな」と思った。「ごめんなさい、分かりません」と繰り返すSiriとか、同じことしか言わないRPGの村人とか、プログラムされた中でしか動けないそんな類のもの。

彼女は小学3年生の頃から不登校になり、ほとんど家から出なくなった。
現在は中学2年生、155センチ、31キロ。

もともと体質的に細くはあったが、小学校6年生の頃から体重は増えていない。中学1年生の冬から、食べることにあまり興味を示さなくなった。

幼い頃から彼女を苦しめているアトピー性皮膚炎は成長するにつれて酷くなり、今では細長い手足は傷だらけ。ひどい時は朝起きると、床に掻きむしった皮膚が雪のように積もっている。また、日常生活のあらゆること、お風呂や、はみがきや、食事や時には排泄も、実行するのが困難な場合が多い。

ゆるやかに、娘は生きることに興味を失っているようで、怖くなる日がある。私の気を引きたいのかもしれないし、抗議なのかもしれないとも思う。「分からない」と繰り返す彼女の真意は、いつまでたっても私にも分からない。彼女の生きづらさや寂しさを満足に理解できないという負い目がいつもつきまとう。

私はシングルマザーで、娘と彼女の妹と3人暮らしだ。朝4時に起きて、夜は12時に寝る。別に、悲惨な生活ではないと思う。やりがいがあり、リモートで処理できる仕事に恵まれていて、お金に極端に困ってはいない。理解ある仕事上のパートナーや友達が何人かいる。
激務で、シングルマザーで、圧倒的に時間は足りないけど、シッターさんや自分の母に子どもを任せて、飲みに行くこともあれば、趣味に出かけることもある。

でも、毎日毎日、終わらない仕事と、家事と、子どもと十分なコミュニケーションがとれない負い目と、何も理解できない焦燥感と、罪悪感と、見てもいない学校のプリントに埋もれて寝ている。

娘は、時々、アトピーにしろ、離婚にしろ、その他のトラブルにしろ、自分の責任じゃない事情で「普通じゃない」状況になっている理不尽を抱えきれず、細すぎる体からは信じられないほど暴れ、暴言をはく。自傷という形で出ることもある。

家族は、その度に正解のない対応を迫られ、彼女にとっての最良は何かと模索しながら、一向に成果は出ない状況に、振り回されて疲弊している。

怒りがおさまらない娘と一緒に、夜中寝られないこともある。号泣し、世の中のあらゆることを責め続ける娘に対して、「いい加減にしてくれ!」と怒鳴って余計にひどい状態にしたこともあった。

何か助けは得られないかと、学校に相談し、いくつかの病院に行き、児童相談所や臨床心理士とも何人も話した。

学校は、「来ない」限りはほとんど何もできないらしく、それは基本、病院も、福祉も、どこでも一緒だった。

外出することができない娘からしたら、それは「何もできない」のと等しい。

心理士や児童相談所は、いつも私からではなく、娘の話を聞きたいようだった。でもそれが叶うことはほとんどなく、永遠と同じ話を繰り返しているような気分になった。

通院が続けられず、病院からは何の診断もおりていない。

今の福祉や社会のシステムに、暗に「何もできない」と言われているようで、どんどん透明になっていくみたいだった。

透明になる私たち

自分が透明みたいだなと感じた最初は、社会に出て何年かたった日だった。ある現場で、ある偉い人が、「女のスタッフは男のモチベーションを上げるために入れてるから」と言っているのを聞いた時だ。自分は、何も期待されていない存在だったのかとショックを受けた。

それから年月がたち、私は、「女」である以上のマイノリティを手に入れている。シングルマザーであり、娘は不登校かつ引きこもりで、診断はおりていないものの、その他もいろいろな困難を抱えている。透明である感覚は、この数年間でどんどん育っている。

娘が学校へ行かなくなった当初は、離婚して少したった後だった。私の仕事が増え、妹と私が保育園から一緒に帰ってくるまで、彼女が一人で過ごすことが多くなった頃だ。今まで送り迎えしていた習い事に一人で通うようになり、色々な変化があった。

私と話したい娘に対して、疲れて話を十分に聞かないこともあった。どうしても話が頭に入ってこず、「今度でもいい?」と言っては寝落ちした。
食卓には惣菜やデリバリーが並ぶことが増え、部屋は散らかっていた。

それでも娘は、変わらず放課後や週末は友達と公園に行き、学校も普通に通っていた。

明確なきっかけは覚えていない。でもある朝急に、玄関で娘はフリーズした。小さい頃から何度も何度も見てきた症状だ。ロボットの主電源がバチンと落ちた、みたいな感じで、体全身を硬直させて動かなくなった。

その日は学校を休ませた。特に、その後は普通だったように思う。お気に入りのアニメを見て、好物を食べて、笑って過ごしていた。

そこから5年、学校に行かないどころか、今では外出もほとんどしなくなっている。

超えるべき壁

不登校が始まった当初、1、2ヶ月たっても登校しない娘を無理矢理学校にひっぱっていったこともあった。しかしそれは全く効果がなく、気が済むまで休ませようと割り切った。

当時、まだリモートワークは一般的ではなかったが、関係各所に配慮してもらい、仕事はできる限り在宅にして家にいる時間を増やした。

家にいる限り、娘は楽しそうに生活していた。アプリでイラストを描いたり、アニメを見たり。時々、友達とも外出した。スプラトゥーンの腕前はいつの間にかXになり、私が敵うことはなくなった。

その後、フリースクールを見学したり、オンラインでできる習い事をはじめてみたりもしたが、そのどれも、彼女を外に連れていく引力はないみたいだった。

学校や、スクールカウンセラーにも相談した。自分が心身ともに削られていく中で、少しでも娘とコミュニケーションをとってもらえないか、そういう気持ちだった。

特にスクールカウンセラーには、私に話せない彼女の心のうちや特性について、何かヒントがもらえるんじゃないかと期待していた。「まずは娘の話を聞く」とのことだったが、娘はなかなか家から出られず実現しなかった。

結局、2年間、私一人で通い彼女の様子を伝えたが、期待した成果は得られなかった。自治体でやっている支援の内容や、googleで調べたら5行目以内に出てくるようなことしか言われなかったと思う。

今までの経験から、もう少し具体的な話はないか?と聞いた時は、個人情報なので答えられないと回答された。カウンセラーは、「娘さんの話を聞きたい」と2年間、何度も繰り返していた。

家から出ず、嫌だと硬直してしまう娘を、ここまでどうやって運ぶんだろうか。もし運べたところで、この人に本音を話すのだろうか。
小さい頃から娘は人見知りが激しい。保育園でも卒園する間際まで、朝の送り時間に泣いていたのは娘だけだった。新しい場所に行く時、新しいことをする時、しつこいほど怯えて、10分に一度、「怖くないか」と繰り返し聞く、そういう子だ。

カウンセラーとの面談の最後には決まって、区でやっている物資の支給だとか、助成金や補助金のプリントをもらった。所得制限で申請できないと伝えても、何度ももらった。

ある日、「WISQ検査を受けようかと思ってる」とカウンセラーに伝えた。WISQ検査は「言語理解」「知覚推理」などを数値化し、得意不得意を明らかにする検査だ。

カウンセラーから「何か気になることがあるのか」と聞かれたので、「今まで自治体の検査でも言われたことはないし考えなかったが、考え方や行動に特徴がある気がする。発達障害か何か、そういった可能性も考えている」と答えた。

カウンセラーは驚いたような顔をして「お母さんが、それを受け止められるとは思わなかった」と言った。「だから、その話はしなかった」とも。

その時、今までうっすらと感じていた不信感が輪郭を持った。
「なんだよ、2年間、本音も本質も、この人は話す気はなかった。当たり障りのないことを言っていると感じたのは勘違いじゃなかった」
もう来年は卒業だ。時間の無駄だった。来なければよかった。あんなに何かヒントはないかと訴えていたのに、彼女は何も言わなかった。しかもそれを、私の器のせいにした。障害に偏見があるのは、私ではなくて、そっちじゃないのか。

支援に繋がりたい、そう願っても超えるべき壁はいくつもある。
それは時には、差別的な価値観や思い込み、保身、慣習、枠やルールだったりする。それを超えるのは簡単ではない。超えられない場合、忘れられ、透明になっていく。

その出来事を最後に、学校やスクールカウンセラーに話すのは辞めてしまった。

つながれない支援

医療でも、思ったような支援にはなかなか繋がれなかった。WISQ検査を受けることはできたが、結局、通院が続けられず、診断や治療は受けられなかった。日本を代表するような都会に暮らしていても、児童精神科は少ない。予約をとるのも一苦労で、来られない場合は高額なキャンセル料がかかる。

娘はなぜか、初めての病院はすんなり行くことが多かった。ただ継続するとなると、硬直したり暴言を吐きながら暴れたり、連れていくのは難しかった。何個か、病院を変えた。でもここでも「継続的に通う」ことが必要だったし「まずは娘さんの話を聞く必要がある」そうだった。

児童相談所にも行った。娘が来ることは難しいことを伝えて、私から彼女の様子を伝えながらどんな支援ができそうか考えてくれるとのことだった。

自分の生育歴や結婚生活、子どもとの暮らしのこと、私の親のこと、娘たちに思うこと、聞かれるままに何度も同じ話をした。でも結局、まずは娘の望んでいることを理解する、という結論で、娘に会うためにはどうすればいいかという議論に終始した。

何度か家にも来てくれた。「会いたくないと言ってますがどうすべきでしょうか」と聞くと、「無理強いはできない」と帰っていった。

児童相談所にいくと、移動を含めて、1日のうち2時間かかる。睡眠はいつも4-5時間の生活で、その時間を捻出するのは負担だった。メールかオンラインでやりとりさせてくれと聞いてみたが、個人情報保護の観点から難しいとのことだった。

学校も、スクールカウンセラーも、医療も、児童相談所などの福祉も、きっと枠組みの中でできることをしてくれたんだと思う。でも、そのどれも私にとっては砂漠に水を垂らすようで、自分を楽にしてくれるものではなかった。

みんな娘に会って話を聞かなければと言っていた。5年間、ずっと同じだ。

日本のどこかの密室

ある人にネグレクトだと指摘されたことがある。娘の引きこもり生活が長引いて5年目、アトピーが悪化し、どんどん食べることを拒否するようになっていた。こんな状態にするのは、無責任なネグレクトだと。

娘はある時からアトピーの薬を嫌がるようになった。肌に触られるのがいやで、触ろうとすると暴れた。私自身が疲弊し、薬を塗れない日が多くなっていった。そうするとアトピーは悪化し、まさに悪循環だった。痒みが治らず、なんで私ばっかり!と怒っていた。

その頃の娘は、私や妹に対して「死ね!」と言っては、過去の辛かったこと、「彼女が風邪をひいた時、私が心配しなかった」とか、「妹がテーマパークでわがままだった」とかについて、永遠と夜中責め続けていた。一転して「私に価値なんてない、負担をかけてる、みんな私なんていない方がいいと思ってる」と泣く日もあった。

長女が荒れた場合、妹は別の部屋に避難させた。長女も自分の部屋に無理やり入れて、落ち着くのを待った。ある程度落ち着いたタイミングで一言二言話してから寝た。

薬を塗ったり、ひどいところを冷やしたりしても痒みが止まらずシクシクと泣く時は、かゆみに集中させないよう疲れて眠くなるまでゲームを一緒にした。

それでもダメな時は、「ママの手は魔法の手だから」と言って手を繋いだ。幼い頃、自分自身が母に言われた言葉だ。不思議と、本当にお腹の痛みがなくなる言葉だった。
どうか効いてくれと祈るような気持ちだった。

ご飯を食べるのを拒否するようになってからは、はじめて「死んでしまうかもしれない」という恐怖を感じた。元々細い体質だ。普通に食べていても身長が伸びて体重が増えない。小学校卒業時には3食普通に食べて、153センチ、33キロだった。

そんな体質の子が食べられないのは一大事だと思った。その頃には、彼女に対して、家にいると幸せそうだなとも感じなくなっていた。

食べなくても毎食用意し、どうしても拒否する時は、小さい子にするように食べさせた。夜中食べられそうなミニお弁当を作ったり、カロリーメイトなどを用意しておいた。急に、カレーパンなら食べられるというのでホットケーキミックスを使って、夜中に揚げてみたこともあった。

それでもどんどん食べる量が減り、ある時測ってみると、体重は31キロまで減っていた。

ネグレクトだと、「あなたがきちんとしていれば」と言われた時、初めて人前で号泣した。私の生活は、世間からはこういう風に思われるのだと、孤独だった。とても。

世の中には、悲劇的な事件がいくつもある。
認知症の母親を献身的な介護の末、金銭的に困窮した息子が殺してしまった事件。精神病の息子を父親が「自分が悪者になる」と殺めてしまった事件。
そのどれも、孤立と経済的な困窮が、彼らを追い詰めていた。
決して人ごとと思えなかった。自分たちにいくつか伸びている未来の選択肢のうちのひとつだと感じていた。

だからこそ、世間と繋がり続けること、仕事を制限せず続けることは、テーマでもあった。

特に、仕事はできる限りこなした。支援になかなか繋がれないなか、これ以上透明になるわけにいかないという意地もあった。

ひとり親家庭の相対的貧困率は50.8%。私は貧困になりやすい環境にいる。一つ、マイノリティのタグがつくたびに、世の中からどんどん見えなくなり透明になっていく。深淵がこちらを覗いている。「落ちてしまったら、もっと身動きがとれなくなっていく」と恐ろしかった。

カウンセラーとの出会い

私自身も、いくつか診療内科に行き、カウンセリングを受けた。追い詰められても、私は逃げられない。自分が壊れるわけにはいかなかったし、長女の不安定さに引っ張られずに、妹や自分のためにも平常心や楽しさを失わないようにいたかった。

その中で疲弊することもあれば良い出会いもあった。

とある有名なクリニックに行った時のこと。ろくに話しをしないまま薬の処方をされたので、「これはどういう薬なんですか?」と聞いたら「今ここで薬学の授業をするわけにいかないからね」と返した医者がいた。「いつも説明しないんですか」と聞き返すと「イライラしてます?」と質問を返された。

臨床心理士のNさんとの出会いは、私の転機になった。彼女は話の聞き方がうまく、受け止め方もうまかった。初めて話した時、「そろそろ時間です」と言われるまで、時間の経過に気付かなかった。彼女は、一度も時計を見た素振りがなかった。

帰り際、どうして時間が分かったんだ?と不思議に思い、あたりを見渡すと、私からは見えない位置に隠してある時計を発見した。その時、信頼できる気がした。

結局彼女には、そこからずっとお世話になっている。娘との向き合い方や、特性の可能性、いつも考える指針となるような言葉をくれたのは彼女だった。話していると、怒りに満ちた気持ちがいつも楽になった。なかなか医療にも繋がれないと相談した時、皮膚科と精神科が両方ある総合病院を調べてくれて、繋がるための方法も考えてくれた。はじめて、私を責めることなく色々と相談にのってくれる人だと感じた。

週一のオンラインカウンセリングで、彼女はいつもじっくりと話を聞いてくれる。

孤独と忍耐の箱の中

娘の体重が31キロを切った頃、もう悠長なことを言っている場合じゃないと思った。無理やりにでも医療に介入してもらうタイミングだと。

娘が唯一、通院を続けられている皮膚科医が、Nさんが紹介してくれた総合病院の皮膚科と精神科へ、紹介状を書いてくれた。

ようやく辿り着いたと思った。今度こそ何か変わるかもと。
暑い夏の日だった。「家に帰りたい」と泣く彼女を無理やりタクシーに乗せ、総合病院に連れていった。半袖半ズボンから出る手足は、骨っぽく傷だらけだ。お湯がしみて、肌がかゆくなるという理由で、彼女は数ヶ月満足にお風呂に入れておらず、髪はボサボサで脂っぽい。

結論から言うと、皮膚科では診てもらえたが、精神科では診てもらえなかった。精神科から「うちでは診られない」と告げられた。娘は何の診察も受けていない。ようやく繋がったのに。診もせず追い返される。

「診てもないのに、摂食障害か何かと判断しましたか?それで診られないと言ってますか?彼女が細いのは昔からです。まず診てください!」と引き下がってもダメだった。

結局、その場で皮膚科医が調べてくれて、地域で唯一診られるという大きな病院へ紹介状を書いてくれた。それほどやってくれる医者は少ない。ありがたいと思った。

でも、片道1時間半かかる病院だ。ここにだってやっとの思いで来たのに。
その病院は、紹介状があっても、申込状や紹介状の送付を、郵送で2-3往復しなければならないらしかった。「RPGかよ」と優しい医者に悪態をついた。

その日は「入院させられる」とシクシクとなく娘を、「大丈夫だよ」と抱えて帰った。入院はしたくてもできない。

鍵垢インスタグラム

生活がいよいよ回らなくなった頃、一度介護休業もとった。介護休業は、介護すべき1人あたりに対して最大93日受給できる制度だ。介護が93日で終わるわけはなく、これは、必要な支援に繋がり、生活の基盤を整える前提の制度なのだ。

私の場合は、結局思うように支援にはつながれなかった。結局、93日の休業をしたのち、また、ギリギリの生活に戻っていくしかなかった。

総合病院の受診を終え、また精神科につながれなかった時、日中空いた電車に乗っていた。

もう逃げたいなと思った。

自分の中に、誰かが知らず知らずに溜めていってくれた愛や、優しさや、思いやりがなくなっていくのを感じて、他の誰かに、例え娘であっても渡すものはもうないという心境だった。
親は無条件に子どもに対する愛情が湧いてくるんだろうか。だとしたら、私は欠陥品だ。

スマホをいじっていると、なぜかインスタグラムがログアウトしていた。前回ログインしたのはいつだったか。IDとパスワードがすぐに思い出せない。自分の中でいくつか持っている組み合わせの一つを適当に入れた。

ログインできた。でも、出てきたのは今使っているアカウントではなかった。

そのアカウントには、幼かった頃の長女と次女の写真が300枚程投稿されていた。フォロワーもフォローも0の非公開アカウント。日記がわりにつけていたものだ。その存在を、今のいままで忘れていた。

初めて歩いた妹がニヤニヤ近づいてくるのを笑いながら眺めている様子や、海を怖がって泣いている写真。ハムスターを抱っこしているものや、保育園の運動会の写真。一緒に作ったパンケーキや、変なおどりをしている姉妹。ピアノの発表会のドレス姿。危ないことをする妹に、手を繋ぐ姉。

写真を見ていると、日常生活のあらゆることが浮かぶ。

私や妹が病気になると、娘は昔から目に涙を溜めて怖がる子だった。
えんぴつを握る力が強くて、「文字書くの疲れるでしょ」と何度も私に言われた。
芝生が嫌いで、シートをひいても座るのが不快らしい。
「だるまさん」シリーズの絵本が好きでアンコールがすごかった。

長女は、首も手足も長くてかっこいいなあ、なんてこっそり思ったりもした。

イラストはすごく上手い。プロが描いた作品を見ながら色の変化で陰影をつけていた。彼女の描く女の子は性格を反映するようなカラーリングや表情で、とてもいい画だと思った。それを「コミュニケーションが苦手かもなんて信じられない。彼女のイラストにはすごく温度感がある」とNさんに話すと、「彼女は意図してないけど、お母さんが勝手に感じてるだけかも」と言ったことに、なるほどねと思ったりもした。

スプラトゥーンで苦手武器を使用していたので、「それ使いづらくない」と聞くと「いや、でも苦手なものもやらないと」と言っていて、心の中で「学校行け!」と突っ込んだ。

川に泳ぎにいった時、ガンガン飛び込む妹に対して、長女は飛び込めなかった。じゃあ帰ろうと促しても、飛び込みたくてずっとそこを動かなかった。1時間も2時間も、泣きながらじっとしていて、結局最後は私に車に詰め込まれた。

なんでこんなタイミングで過去のインスタグラムが出てくるんだろうか。

まだ頑張れと言われているようで、苦しくなった。
でもやっぱり長女は、こんな暗闇みたいな場所で、暮らすべきじゃない。

未成熟な世界の中で、透明になる私たち

それから半年後の現在、RPGのようなやりとりを経て、ようやく娘は紹介された精神科を受診している。移動には片道9万の民間救急を利用中だ。中学2年生の長女がもし暴れた場合、もはや一人で連れて行くのは難しい。もう正念場だと思い、利用することにした。

児童相談所にも、一緒に無理にでも連れていってくれと頼んでみたが、「嫌がる場合無理強いはできない、今後のことも考えて、いい関係を保っておきたい」と難しかった。

民間救急の女性看護師と男性スタッフは、うまく娘を誘導してくれる。時折体が固まったり暴れることもあるが、対処してくれている。

受診した結果、どうなっていくかは、まだ誰にも分からない。

最近、娘には少し変化があった。かつてのように暴言や暴力が出ることは少なくなった。少しだけ外出もしている。私と一緒にスーパーに行ったり、コンビニのアイスクリームを買いにいったり。お菓子を作りたいと、一人で材料を買いにいったりもした。

それでも、なかなか食べ物は受け付けない。1日1.5食食べるのが良い方で、体重は増えていない。

お医者さんにある時、「大変だと思うけど、繋がることをあきらめないで」と言われた。

分かっている。私は、手を伸ばし続けてきた。その度に手を離してきたのは、世の中の方じゃないのか。

医療や、支援に対峙する時、私はいつも居心地が悪かった。こうなった原因を私の中に探されていると感じることはしょっちゅうだし、頭ごなしに決めつけられたりもした。因果が、家庭内や個人にあった方が安心するんだなと何度も思った。

障害は、社会にある。ルールや、枠や、慣習や、特に人の心が、時々誰かを透明にしてしまう。責任や因果を、個人や家庭の中に求めすぎると、孤独と忍耐の箱の中に、当事者を閉じ込めてしまう。でも、責めるべき人がいるわけじゃない。社会のシステムの中で、個人の力でできることは限られている。

私たちは、ただただ、未成熟な社会の中に生きているだけだ。

「今日の晩ご飯、肉か魚かどっちがいいかね?」と娘に聞いてみた。
彼女は、「分からない」と答えた。

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