#93 『法の精神』――なぜ「善い人」に政治を任せるだけではダメなのか。
① 作品について――「三権分立」の一言では、あまりにも足りない
『法の精神』
モンテスキュー
モンテスキュー。
世界史や政治経済を勉強した人なら、
一度は聞いたことがあると思う。
そして、
彼の名前を聞けば、
ほぼセットで出てくる言葉がある。
「三権分立」
立法。
行政。
司法。
権力を三つに分ける。
学校では、
そう習った。
だから僕も、
『法の精神』とは、
三権分立について説明した本なのだと思っていた。
でも。
実際には、
もっと巨大なテーマを扱っている。
そもそも、
なぜ国によって、
法律は違うのか。
政治制度。
気候。
宗教。
経済。
歴史。
文化。
国土。
人々の生活。
そうしたさまざまな条件と、
法律には、
どんな関係があるのか。
モンテスキューは、
それを考えようとした。
つまり、
単純に、
「こういう法律が正しい」
と書いた本ではない。
「なぜ、その社会には、その法律が存在するのか」
を考えた本なのだ。
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② 内容――法律は、社会から切り離して考えられない
法律と聞くと、
僕たちは、
条文を思い浮かべる。
やっていいこと。
やってはいけないこと。
違反した場合の罰。
でも。
モンテスキューが考える「法」は、
もっと広い。
ある社会には、
その社会なりの条件がある。
気候。
土地。
人口。
経済活動。
宗教。
慣習。
歴史。
政治体制。
だから、
ある国で機能している制度を、
別の国へ、
そのまま持っていけばいいとは限らない。
ここが、
すごく面白い。
「正しい制度」は、社会と無関係には存在しない。
法律だけを見ても、
その国は分からない。
その法律が、
なぜ生まれたのか。
どんな社会で、
どう機能しているのか。
そこまで見なければならない。
約300年前に、
すでにこんなことを考えていた。
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③ 感想――モンテスキューは、人間をあまり信用していない
僕が『法の精神』を読んで、
一番面白いと思ったのは、
ここだった。
モンテスキューは、
権力を持つ人間に対して、
かなり冷静だ。
偉い人だから。
人格者だから。
国民のためを思っているから。
だから、
権力を任せても大丈夫。
とは考えない。
なぜなら。
人間は、権力を持てば、それを濫用する可能性があるから。
これは、
政治家だけの話ではないと思う。
会社でもそう。
組織でもそう。
小さなコミュニティでもそう。
人間は、
自分を止めるものがなくなると、
少しずつ、
判断が自分に都合よくなることがある。
だから。
「良い人を権力者にしよう」
だけでは足りない。
必要なのは、
悪い人が権力を持っても、好き勝手できない仕組み。
ここから、
権力分立という発想につながっていく。
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④ 「権力は権力によって抑えなければならない」
『法の精神』を象徴する考え方の一つが、
これだと思う。
権力を抑えるためには、別の権力が必要になる。
一人の人間が、
法律を作る。
その法律を実行する。
さらに、
その法律に違反したかどうかまで判断する。
もし、
全部同じ人間が握っていたら?
自分に都合のいい法律を作る。
自分の好きなように運用する。
気に入らない人間を、
その法律で裁く。
そんなことが可能になる。
だから、
権力を分ける。
互いに、
監視させる。
互いに、
止められるようにする。
つまり、
三権分立の本質は、
単なる役割分担ではない。
「誰か一人を信用しすぎないための仕組み」
なんだと思う。
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⑤ 「良いリーダーがいれば大丈夫」が、なぜ危険なのか
僕たちは、
組織がうまくいかないと、
こう考えがちだ。
「もっと優秀な人がトップなら」
「人格者がリーダーなら」
「ちゃんとした政治家なら」
もちろん、
リーダーの資質は重要だ。
でも。
モンテスキュー的に考えるなら、
それだけでは危険だ。
なぜなら。
今のリーダーが、
人格者だったとしても。
次のリーダーまで人格者とは限らない。
さらに。
どれだけ人格者でも、
間違えることはある。
だから、
重要なのは、
「誰がトップか」
だけではない。
「トップが間違えたとき、誰が止められるのか。」
ここまで考えて、
初めて、
強い組織になる。
これ、
政治だけじゃなく、
会社にもそのまま当てはまると思う。
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⑥ 権力とは、「政治家だけ」が持っているものではない
権力という言葉を聞くと、
大統領。
首相。
国王。
政治家。
そんな人を想像する。
でも。
もっと身近にも、
権力はある。
上司と部下。
教師と生徒。
親と子ども。
企業と消費者。
プラットフォームと利用者。
情報を持っている人と、
持っていない人。
つまり。
「相手に影響を与えられる力」がある場所には、権力がある。
だから、
『法の精神』の考え方は、
国家だけの話ではない。
自分が、
誰かより強い立場にいるとき。
自分の判断を、
止める仕組みがあるか。
反対意見を、
言える人がいるか。
間違えたとき、
修正できるか。
これは、
リーダーになるほど、
重要になる。
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⑦ 「自由」とは、好きなことをできることではない
そして、
『法の精神』で、
かなり面白いのが、
自由についての考え方。
自由というと、
何をしてもいい。
誰にも邪魔されない。
そんな状態を想像する。
でも。
もし、
全員が好き勝手に行動したら?
強い人間が、
弱い人間を支配する。
すると、
弱い側には、
自由がなくなる。
だから。
自由を守るためには、
法律が必要になる。
一見すると、
矛盾している。
法律は、
人間の行動を制限する。
でも。
適切な制限があるからこそ、全員の自由を守れる。
例えば、
交通ルール。
赤信号では、
止まらなければならない。
これは、
自由の制限だ。
でも。
誰も信号を守らなかったら、
安心して道路を渡る自由さえなくなる。
自由とルールは、
敵ではない。
むしろ。
自由を成立させるために、ルールが必要になる。
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⑧ 「正しい法律」を作れば終わり、ではない
ここも、
かなり重要だと思う。
法律を作った。
制度を作った。
ルールを決めた。
だから、
問題解決。
ではない。
制度は、
人間が運用する。
そして、
社会も変わる。
昔は機能していた制度が、
今は機能しないこともある。
別の国で成功した制度が、
自分の国では、
うまくいかないこともある。
だから、
モンテスキューは、
法と社会の関係を見る。
制度だけをコピーしても、その背景まで同じにはならない。
これ、
仕事でもよくある。
「他社では、
この制度で成功しています」
だから、
自社にも導入する。
でも、
会社の文化も、
人材も、
業務も、
違う。
すると、
同じ結果にはならない。
約300年前の政治思想が、
組織論としても読めるのが面白い。
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⑨ 民主主義は「人間を信じる制度」なのか
民主主義というと、
人間を信頼する思想に見える。
国民が、
政治家を選ぶ。
みんなで、
社会を作る。
でも。
権力分立という仕組みを見ると、
少し違う側面が見える。
民主主義は、
人間を無条件に信じているわけではない。
政治家も間違える。
国民も間違える。
裁判官も間違える。
多数派だって、
間違える。
だから。
誰か一人の「正しさ」に、すべてを預けない。
複数の権力を置く。
互いに監視する。
議論する。
時間をかける。
非効率に見える。
でも。
その面倒くささ自体が、
暴走を防ぐ。
民主主義って、
もしかすると。
「人間は間違える」という前提から作られた制度
でもあるのかもしれない。
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⑩ まとめ――「良い人」に期待するより、「悪くなれない仕組み」を作る
『法の精神』。
読む前の僕にとって、
モンテスキューは、
「三権分立を唱えた人」
だった。
でも。
実際に触れてみると、
その言葉の裏側にある、
人間観の方が面白かった。
人間は、
間違える。
権力を持てば、
濫用するかもしれない。
だから。
「立派な人に任せよう」
では終わらせない。
人間が間違えることを前提に、仕組みを作る。
これは、
かなり現実的な思想だと思う。
僕たちは、
問題が起きると、
人を責める。
「あの人が悪かった」
「あの上司が無能だった」
「あの政治家が間違えた」
もちろん、
本人の責任はある。
でも。
もう一歩進めるなら、
こう考える。
「なぜ、その人が間違えたときに、止められなかったのか。」
人を変える。
教育する。
注意する。
それも必要だ。
でも、
人間は、
また間違える。
だったら。
間違えても、
致命傷にならない仕組みを作る。
『法の精神』から、
僕が一番持ち帰りたいのは、
そこだった。
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『法の精神』
モンテスキュー
世界史では、
「三権分立」。
一言で覚えた。
でも。
その思想の根底には、
もっと普遍的な問いがあった。
人間に力を与えたとき、どうすればその力の暴走を防げるのか。
300年近く経った今も、
僕たちは、
同じ問題と向き合っている。
政治でも。
会社でも。
家庭でも。
組織でも。
だから最後に、
こんな問いを残したい。
あなたのいる組織で、
一番偉い人が間違えたとき――
誰が「それは違う」と言えますか?
もし、
誰も言えないのなら。
問題なのは、
その人だけではない。
その仕組みなのかもしれない。
