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73.ミャンマー・タイ・ラオス国境を巡る旅(チェンライからPart2)

前回の続きです。Day3です。

本日の行先は、以下です。前日にお世話になったタクシー運転手のセタパットさんが神対応でしたので、本日も貸し切りでお世話になりました。

●Doi Tung Royal Villa, Mae Fah Luang
●タイ・ミャンマー国境のChang Moob Millitary Outpost
●Pha hi village view point
●Sky Walk Wat Phara That Doi Wao(タイの北部国境ポイント)
●Wat Rong Suea Ten

まずは、Doi Tung Royal Villaに到着する前の、Doi Tung Viewpoint km12という景色の良い場所です。

車が5、6台停まっていました。

どこからともなく猫が登場して、映え写真を撮らせてくれました( ´∀` )

Doi Tung Royal Villa, Mae Fah Luang

ここは、庭園ですが、前日に訪問したMae Fah Luang大学が、タイ王室によって創られたように、こちらの庭園もタイ王室によって創られたようです。

もともと、麻薬の生産が盛んだったようですが、国連薬物犯罪事務所(UNODC)の協力もあり、現在では、以下の写真のお土産屋で販売されている、オシャレなグッズの生産に切り替えたようです。

肝心の庭園の雰囲気は、こんな感じでした。
非常に面白い形の虫食いの興味を惹かれました。

何のキャラクターのイメージか不明ですが、もののけ姫を彷彿させます。

さて、庭園見学を終えて、しばらく走るとミャンマーとタイの国境を走ることになりました。国境の西側がミャンマーのシャン州です。

タイ・ミャンマー国境のChang Moob Millitary Outpost

タイとミャンマーの国境で、兵士が守っている場所が観光地スポットになっていました。カフェもありました。

さて、ミャンマー側の光景です。

ミャンマー側は、奥の方に集落が見えます。こんなミャンマーの奥地に住んでいる人がいるのが、驚きでした。

見学している間に、周りを分厚い雲が多い、雨が降り始めました。

カフェに寄ることもなく、急いで車に戻り、次のスポットに移動しました。

タイ・ミャンマー国境

Googleマップ上では、車道が所々ミャンマーにはみ出していました。

そのはみ出していたスポットのミャンマー側の景色は、以下の写真の通りです。実質的に、道路の柵が国境の役割を果たしていると思われます。

Pha hi village view point

いよいよ、本日のメインの目的地である、コーヒー生産で有名な村につきました。

どこにでもありそうな村が、コーヒーで有名になり、観光スポット化したようで、多くの車(以下の写真以外にも駐車場があり15台以上見えた)が停まっていました。

辺り一面が雲に囲まれているせいか、天空の城ラピュタのようでした♪

中国人も多いのか、中国語での表記もありました。

オシャレなカフェに入りました。

カフェからの様子は、こんな感じです。

こちらで採れたコーヒー豆を使用したカフェは、どれも50バーツ、60バーツ(250円程度)で、バンコクと比較してリーズナブルでした。

取り合えず、駆け付けでアイスコーヒーを1杯飲んだ後に、もう1杯カプチーノと、美味しい麺を頼みました。

道を歩いていると、鳥居の隣に突起物のようなものが見えました!!!

なんと、男女がリアルに再現されていました。

他にも、オシャレカフェが沢山ありました。

村の中に、給油所があるんですね。

村はそれなりに広く、コーヒー豆の栽培場所までは、村が所有しているトヨタのランドクルーザーで、移動しました。

そして、竹で編んだ橋の場所に到着しました。

これが、コーヒーの木と豆です。

またも、コーヒーハウス。雨が降ってきたので、雨宿りしました。

コーヒーハウスからの景色です。

本日、この村に到着してから3杯目のコーヒーです。美味しく優しい味のカプチーノでした。

店内には猫がいました。

晴れてきたので、ランドクルーザーの到着スポットに戻りました。

村を離れて、北部に向かうことにしました。
相変わらず、道路はミャンマーに入っています。

ミャンマー側の光景は、以下の写真の通り、広々とした山々です。

Sky Walk Wat Phara That Doi Wao(タイの北部国境ポイント)

このお寺(?!)は、ミャンマー側が見えるSkywalkがあるという所です。

コンセプトは、サソリと紫のようです。

この車で、山頂まで行きました。アトラクション感が凄い、、、( ;∀;)

謎の坊主キャラがいましたが、人気はありませんでした、、、

Skywalkには、前日を同じ要領で、靴の上から紫のソックスを履いて入りました。タイのおばちゃん軍団が、記念撮影していました。

Skywalkは、以下の航空写真の場所なので、北のミャンマー側は、タチレク(Tachileik)という都市になります。

Skywalkから見たミャンマー側タチレクの光景です。

国境は、手前に見える茶色く濁った細い川です。

ミャンマーとタイがすぐ近くだということがわかります。

このSkywalkには、多くのミャンマー人がいました。それだけ、タチレクの国境は、行き来しやすいことがわかります。

マフィアのようなおばさんが沢山いました 笑

Skywalkを下から見た様子です。

ミャンマーとタイの国境

折角なので、ミャンマーとタイの国境のゲートに歩いて行ってみました。

歩いて近づいていくと、車でも国境を越えられることがわかります。

ゲートの手前には、謎の少数民族のような顔が飾られていました。

ミャンマー人の一行が、タイに買い出しにきて、これからミャンマーに戻る様子でした。

車のゲートは以下の様子で、横に徒歩で越えられる歩道があります。

このように茶色い汚い川が国境の役割を果たしています。

奥には、ミャンマーの国旗も見えます。

ミャンマーとタイの行き来は、このゲートでは簡単なことがわかりました。

Wat Rong Suea Ten

最後に、普通の観光地にやってきました。時間は、19時を過ぎていました。
青色の映えるお寺として有名なようです。

皆さん、熱心にお祈りをしていました。

本日の夜ご飯は、欧米人に人気で非常に混んでいた”Pizzeria Italiana”というお店にしました。ピザとパスタを頼みましたが、美味しかったです。

翌日、Day4に、朝から空港に向かい、チェンライを後にしました。

チェンライでのまるまる2日間で、タイからラオスやミャンマーを覗くという貴重な経験ができました。

学生時代からバックパッカーで東南アジアを渡り歩いてきましたが、今回の経験は、初めてで刺激的でした。

やはり、人生とは、人×本×旅ですね。

【8月6日追記:Doi TungとMae Fah Luang】

ぼーっと、以下の書籍を読んでいたところ、Doi Tung(ドイトゥン)とMae Fah Luang(メー・ファー・ルアン)の記述があって、驚きました。

引用します。

3.タイの麻薬問題
「ドイトゥン」開発プロジェクト

 ゴールデン・トライアングルのタイ領部分での麻薬生産は、これまでのタイ王室を中心としたタイの人々の努力の結果、ほぼ根絶されたと言われている。そこで行われてきた麻薬対策の柱は、現地の住民に、麻薬の原料であるケシの栽培に代わる生活手段を与えることであった。こうした活動の中心となってきたのが、「メー・ファー・ルアン」財団である。この財団は、プーミポン国王陛下の母君である故シーナカリン王母殿下が創設されたもので、同財団がこの地域で実施している麻薬生産撲滅と地域住民の生活向上のための諸事業は、「ドイトゥン」開発プロジェクトを呼ばれている。因みに「ドイトゥン」は、この地域にある山の名前で、その山麓でこのプロジェクトが実施されている。なお、この事業には、日本のある大手商社(桐島注:三井物産が25%出資)がタイ側のプロジェクト推進会社へ出資と融資を行っており、同事業の大きな支えとなっている。

(中略)

 こうした多くのドイトゥン・プロジェクト関係者の努力もあって、このプロジェクトは、麻薬生産に代わる生活手段の提供(英語ではopium replacement)により麻薬生産を撲滅した稀有の成功例として世界的に知られるようになっている。

(中略)

「メー・ファー・ルアン」公園に着いた。山の斜面に造られた広々とした公園には、数々の美しい草花が植えられていた。熱帯のオーキッドなどもあったが、多くはルピナスなどの温帯の花だった。これは、シーナカリン王女殿下が長く住んでいたスイスの花園に似たものを作ろうとした結果だそうだ。私などから見ると、熱帯の花が美しいと思うが、熱帯にいる人は、温帯の花に憧れるようだ。

アヘン博物館

今回は、時間がなく、Google Map上は休館中だったゴールデン・トライアングルの近くにあるアヘン博物館の記述もあったため、引用します。

阿片博物館
 阿片博物館は、シーナカリン王母殿下の提唱により、できるだけ多くの人々に麻薬の恐ろしさを知ってもらうために造られた施設である。この施設には日本のODAの資金も使われた。この博物館は、小さな丘の中をくりぬいて造った施設で、一つの丘の一方に入り口が、そして反対側に出口ができている。博物館では、ケシの栽培や阿片の製造方法、麻薬の生産と貿易の歴史、麻薬患者の実情など、麻薬の様々な側面が最先端の展示技術も使いながら展示されている。見学者は、興味を持って見てゆくうちに、麻薬の恐ろしさを実感するように工夫されている。私の印象に強く残ったのは、麻薬を「楽しむ」ためのパイプなどの道具であった。これらは、バンコクに20世紀初頭まであった中国人租界(その頃、同市全体の人口の約半数は中国人だった)で使われていたものである。中国人租界の中では阿片の吸飲が合法的に行われていたのである。

最後に、タイの麻薬対策の記述もあったので、引用します。

タクシン氏と麻薬問題
 タクシン氏は、2001年の首相就任直後から麻薬問題に強い関心を持っていた。その頃には、ドイトゥン・プロジェクトの成功もあって、タイでの麻薬の生産は大幅に減少していたが、ミャンマーで生産されたメタンフェタミン(中枢神経系興奮剤、別名スピード)がタイに運び込まれ、タイの全土に広がって、大きな社会問題になっていた。例えば、1990年代後半には、タイにおける第一審の刑事事件の約30%が麻薬犯罪関連だった。また1999年の調査ではタイの労働者の6~10%がアルコール又は麻薬の中毒患者と認定されていたとのことである。またタイの農村における麻薬使用者の拡大は、農民の負債が増大したり、子供の教育ができなくなる等の経済社会問題を深刻化させていた。
 首相就任当初、タクシン氏は、麻薬対策としてミャンマーとの国境封鎖、反麻薬教育、スポーツ推奨等の施策をとっていたが、これらは目に見える成果を生まなかった。このためタクシン首相は、2003年1月に「3か月以内にタイから麻薬を完全に追放する」という「麻薬戦争宣言」を行った。具体的には麻薬常習者に対する処罰強化、麻薬犯罪容疑者のブラックリスト作成、検挙者数目標の設定、そして目標達成者の褒章および不達成者の処罰等の施策を次々に実施に移した。国際的人権団体である「ニューマン・ライト・ウォッチ」によれば、この宣言が行われてから3か月の間に2275人が殺されたとのことである。タイ政府は、このうち警察官によって殺された者は50人に過ぎないと説明したが、上記の人権団体は殆どのケースが「超法規的な殺害」であったと主張している。
 人権の見地から見て、この政策が批判を免れないことは事実としても、この麻薬戦争が大きな効果をあげたことは否定できないだろう。この結果、多くの麻薬マフィアグループが地下にもぐることになった。また農村や都市のスラムにおける麻薬問題も大幅に改善された。このことが農民や都市のスラム居住者のタクシン氏に対する根強い支持の源泉の1つとなっていると思われる。


お読みいただきありがとうございました。


次回は、以下です。


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