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理解した日の次の朝に、また同じことをした

腑に落ちた日があった。

胸の奥で何かが緩んだ気がした。初めて「そういうことだったのか」と思った。これでやっと変われると思った。

翌朝、妻に同じ声を使った。

昨日と同じ角度で、同じ温度で。言いながら気づいていた。止まれなかった。

あの夜の「わかった」は、本物だった。

嘘じゃなかった。逃げでもなかった。頭の中で何かが繋がった感覚は確かにあった。

でも翌朝の身体は、何も知らなかった。

昨日の夕方に何があったか、身体は覚えていなかった。いつも通りに起きて、いつも通りに台所に立って、いつも通りの声が出た。

理解は、そこまで届いていなかった。

その後も同じことが続いた。

本を読んで腑に落ちる。翌朝、また同じことをする。セミナーで何かを掴む。翌週、また同じ場所で止まる。言葉を覚える。身体は忘れない。

「またか」が積み重なるたびに、自分への不信が一段ずつ深くなっていった。

61歳にもなって、まだこれや。

何度目かの「またか」の朝、鏡を見ながらそう思った。洗面台の白い灯り。蛇口から水が出ている。自分の顔を見ていられなくて、目線を落とした。

理解した日の翌朝も、身体はいつも通りだった。
それだけのことだった。
ただ、それだけのことが、あの頃の私にはまだわからなかった。

水を止めた。

タオルで手を拭いた。

台所からは、妻が皿を動かす音がした。