わかっている夜ほど、深く沈む
それでも、パートナーが話しかけてきた夜、返事が出る前に喉が先に閉まった。声の温度はわかった。怒っているわけじゃない、ただ今日あったことを話したいだけだ、それもわかった。
それでも喉が閉まった。
「うん」とだけ言った。思ったより平らな声だった。
パートナーは少し間を置いて、「疲れてる?」と聞いた。
「......少し」
それだけ言って、画面に目を戻した。
あとで、胃の底がズーンと重くなった。「またか」という感覚が来た。
「また」というのは、ひどい言葉だ。崩れたことへの痛みじゃない。「知っていたのに崩れた」という痛みだ。
二層になっている。一枚目が剥がれると、二枚目が待っている。
知識というのは、ある夜から重荷になる。
名前がついた日は、少し楽になった気がした。「そういう構造があるんだ」「自分だけじゃなかった」と思えた日があった。本を読んで腑に落ちた夜があった。
でも、知識は身体の前では何もしなかった。
喉が閉まるとき、知識は来なかった。胃が落ちるとき、言葉は遅かった。 「またか」と思うとき、理由は既に全部わかっていた。だから余計にきつかった。
わかっているのにできない。その「のに」が、一番重い部分だ。
「のに」は責める言葉だ。気づいていない人間は責めない。わかっている人間だけが、「のに」で自分を殴る。
知識は、崩れた瞬間を鮮明にする。
崩れていることに気づかなかった頃は、翌日になってから「あぁ、あれはそういうことだったか」と思っていた。今は、閉まっていく喉を、リアルタイムで見ている。止められないまま、見ている。
それが「わかっている」の正体だった。
夜中、換気扇の音だけがしていた。
パートナーはもう寝ていた。
胃の奥に冷たい石があった。責める声が来た。
「......また同じことしたな」
声に出した。誰も聞いていない方向に。
何も変わらなかった。石も溶けなかった。ただ部屋の暗さが、少しだけ広くなった気がした。
知識が届かないのには、たぶん、理由がある。
その先は、まだ書けない。
