【人生は、何度でもやり直せる。私は神社で、もう一度生きると決めた】
こんにちは。donchanです。
もし今、この文章を読んでいるあなたが、
「もう疲れた。」
「何のために生きているのか分からない。」

そう思っているのなら、ほんの少しだけ私の話を聞いてください。
私は六十代になった今、毎日のように文章を書いています。
人生や哲学、仏教、そして生き方について、自分の経験を交えながら発信しています。
でも、最初から前向きだったわけではありません。
むしろ、その反対でした。
人生には、自分の力だけではどうにもならない出来事があります。
努力しても報われないこと。
信じていた人に裏切られること。
心が壊れそうになること。
何度立ち上がっても、また倒れてしまうこと。
私もそんな経験を数え切れないほどしてきました。
だからこそ、ある時から思うようになったのです。
「人は、どうすれば苦しみを乗り越えられるのだろう。」
その答えを探す中で出会ったのが、哲学でした。
哲学というと、難しい学問のように感じるかもしれません。
けれど私にとって哲学とは、知識ではありません。
「人生をどう生きるか」を考え続けることでした。
私は本を開き、多くの哲学者たちの言葉に触れました。
時代も国も違う人たちが、何百年も前に、人間の苦しみや喜びについて考え続けていたことを知ったのです。
そのとき、私は不思議な安心感を覚えました。
「苦しんでいるのは、自分だけじゃない。」
人は昔から悩み、迷い、傷つきながら生きてきた。
だからこそ、その中から生まれた言葉には、人を支える力があるのだと思いました。
私は、その言葉を胸に抱きながら、ある日、神社へ向かいました。
特別な願い事があったわけではありません。
ただ、静かな場所で、自分自身と向き合いたかったのです。
鳥居をくぐると、街の喧騒が少しずつ遠ざかっていきました。
木々の間を吹き抜ける風。
鳥のさえずり。
足元で揺れる木漏れ日。
そのすべてが、疲れ切った私の心を、静かに包み込んでくれました。
境内をゆっくり歩きながら、私はこれまでの人生を思い返していました。
若い頃は、成功することばかり考えていました。
人より上に立ちたい。
認められたい。
期待に応えたい。
そんな思いだけで走り続けていました。
でも、その先に待っていたのは、心の疲れでした。
頑張ることは大切です。
しかし、自分を犠牲にしてまで頑張り続けることは違います。
人は、心が壊れてしまえば、前へ進む力さえ失ってしまいます。
私は、そのことを身をもって知りました。
哲学は、そんな私に問いかけました。
「あなたは、誰のために生きていますか。」
その問いに、私はすぐ答えることができませんでした。
家族のため。
仕事のため。
周りの期待に応えるため。
そう思って生きてきました。
でも、本当は違いました。
自分自身を大切にできなければ、誰かを本当に幸せにすることはできないのです。
その日、私は神社の大きな御神木の前で立ち止まりました。
何十年、何百年という時間を生き抜いてきた木は、何も語りません。
それでも、その姿だけで教えてくれるものがありました。
強さとは、倒れないことではない。
何度風に揺られても、根を張り続けることなのだと。
私は、自分の人生も同じだと思いました。
失敗してもいい。
遠回りしてもいい。
涙を流してもいい。
大切なのは、歩みを止めないこと。
人は、昨日までの自分を変えることができます。
年齢も関係ありません。
私は六十代になってから、新しい挑戦を始めました。
文章を書き始め、多くの方と出会い、自分の経験を伝えるようになりました。
昔の私は、「もう遅い」と思っていました。
でも違いました。
人生は、今日が一番若い日なのです。
だから、新しい一歩を踏み出すのに遅すぎることはありません。
哲学者たちは、こんなことも教えてくれました。
「環境を変えられないなら、自分の心の向きを変えなさい。」
最初は簡単にはできませんでした。
それでも少しずつ、自分の見方を変える努力を続けました。
すると、不思議なことに、何も変わっていないはずの景色が、少しずつ違って見えるようになったのです。
朝日が美しいと思えるようになりました。
風が気持ちいいと思えるようになりました。
誰かの「ありがとう」が、胸に響くようになりました。
幸せとは、大きな成功ではありません。
日常の中にある、小さな喜びに気づける心なのだと思います。
神社を歩き終えた私は、最後に空を見上げました。
青い空に、白い雲がゆっくり流れていました。
雲は止まりません。
人生も同じです。
今どれほど苦しくても、その時間はいつか流れていきます。
夜が明けない日はありません。
冬のあとには春が来ます。
だから、どうか希望だけは捨てないでください。
希望とは、大きな夢ではありません。
「もう一日だけ生きてみよう。」
そう思える小さな光で十分なのです。
私は今でも、迷うことがあります。
落ち込む日もあります。
それでも前を向けるのは、哲学が教えてくれたからです。
人生は、勝つためにあるのではない。
昨日の自分より、少しだけ優しい人になるためにあるのだと。
もし今、この文章を読んでいるあなたが、自分には価値がないと思っているのなら、その考えだけは手放してください。
あなたが生きてきた時間には、誰にも真似のできない意味があります。
苦しんだ経験も、流した涙も、すべてが未来の誰かを支える力になります。
だから、生きてください。
焦らなくていい。
立ち止まってもいい。
泣いてもいい。
人生は競争ではありません。
あなたは、あなたの歩幅で歩けばいいのです。
私は、これからも文章を書き続けます。
華やかな言葉を書くためではありません。
誰か一人が、
「もう少しだけ生きてみよう。」
そう思えるきっかけになることを信じているからです。
哲学は、私に知識を与えてくれたのではありません。
絶望の中でも、人は希望を失わずに生きられることを教えてくれました。
だから私は、今日も前を向いて歩きます。
転んでもいい。
遠回りしてもいい。
人生は、何度でもやり直せるのです。
もし今、あなたが人生の底にいるのなら、どうか覚えていてください。
夜が長い人ほど、朝日の美しさを知っています。
涙を流した人ほど、人に優しくなれます。
苦しみを生き抜いた人ほど、希望を語る資格があります。

あなたが今日まで生きてきたことには、必ず意味があります。
その意味は、今は分からなくてもいい。
いつか誰かを救う日に、きっと分かります。
だから、生きてください。
あなたの人生を、諦めないでください。
あの日、神社で見上げた空は、今日もどこかで、誰かの上に広がっています。
空は、どんな人にも平等です。
希望も、きっと同じです。
あの日、神社で私は、「もう一度生きよう」と決めました。
今日が、あなたにとっても、人生をもう一度信じられる一日になりますように。
私は、あなたを信じています。
Photo & philosophy donchan
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