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【第5章】「仕事は人だ」──10年イベント業界で生き残った私が辿り着いた答え


10年間、この業界でやってきて
どんな仕事にも共通する、絶対に大切にしなければならないもの。
それがやっとわかりました。
そして、それは何度も何度も私のことを助けてくれていたのです。

【第5章】目次
1. イベント業界に入ったきっかけ
2. どうしても馴染めなかった最初の環境
3. 財布を落とした日の残念な出来事
4. 転機になった長期現場との出会い
5. 「師匠」との出会いと月一の答え合わせ
6. 現場での失敗と支えられた言葉
7. 【第5章】まとめ

1. イベント業界に入ったきっかけ

私が最初にイベント業界に入ったのは、大学時代に人材派遣会社に登録して、イベントのバイトを始めたのがきっかけでした。
とある地方の花火大会で区画を分けるために、真夏の炎天下でほとんど休憩もなく、長いスケールとビニールテープを持って走り回ったのが最初です。
4時間も5時間も立ちっぱなしで走って、「この後残業できる人!」と言われたとき、
「もう絶対残ってやるか!」と思いながらも、お金を稼ぎに来たはずなのに帰る。
それくらいの温度感で最初はイベントをやっていました。



2. どうしても馴染めなかった最初の環境

その後、いろんなバイトを紹介してもらって現場を転々とする中で、ある現場でクライアントさんに声をかけられました。
「お前、なかなか動き悪くないなぁ。お前、うちでやってみたらもう少し給料上げられるけど、どうだ?」
正直、その時はイベントで食っていこうなんて全く考えてなかったし、どうやったら楽してお金が稼げるかばかりを考えていました。
だから、その誘いにすぐに乗りその人からお仕事を受けるようになりました。
その頃から派遣会社からのお仕事は、ほとんど受けなくなっていきました。

因みに今も在籍はしているので今でもお仕事ご紹介メールだけは来続けていますが、世間のニーズを調べる為のお知らせメールになってます笑

話を戻します。
その紹介してくれた人が持ってくる現場には、正直あまりいい思い出はありませんでした。
現場で会う人たちはスーツの襟にフケが落ちている人や歯がない人、体臭がきつい人…。
朝から遅刻してくるのが当たり前で、現場では「誰々さんとこの子ね」と会えば
「なんであんなところで働いてるんだろうね」とかわいそうな目で見られることが多かった。
最初は理由がわかりませんでしたが、だんだん分かってきました。

正直、心の中では「早く辞めたい」とばかり思っていました。



3. 財布を落とした日の残念な出来事

ある時、財布を落として帰りの電車賃すらなくなったことがありました。
現場の顔見知りの人に借りてどうにかしていたとき紹介してくれたその人に
「お前、飯でも行くか?焼肉どうだ?」
と言われて、
「え、あのケチで有名な人が奢ってくれるんだ!」と期待したら、
「お前、金持ってんの?」と言われて
「すいません、財布落として電車賃借りてます」と正直に話すと、
「貸すよ」って言われて。
正しいのは分かるけど、財布を落とした奴を飯に誘って「金出せ」って…。
その瞬間に「ああ、この人の噂は本当だったんだな」と残念な気持ちになったのを覚えています。



4. 転機になった長期現場との出会い

そんな環境でも、何となく惰性で働き続けていましたがあるとき紹介された長期現場で転機がありました。
そこで初めて「この人みたいになりたい」と思える人に出会ったんです。
その人は業界歴も長くて、すごく謙虚で穏やかで、準責任者の立場で私と一緒に組んでくれました。

その現場は管理者が2人いて意見がぶつかり合い、現場が崩壊しかけていました。
誰もが「もう来たくない」と思い始めていた頃、私は準管理者ではありましたが若造の私には何もできず…。
でもその人はすぐに調整して管理者同士に話をつけ、わずか5分で

「はい、もう大丈夫だから。これ以上スタッフさんを困らせるなよ」

と場を収めてしまったんです。
その姿を見て
「この人についていけば、この業界で飯を食えるかもしれない」と思いました。



5. 「師匠」との出会いと月一の答え合わせ

だからこそ、「俺もこの人みたいに現場で信頼される人になりたい」と強く思いました。
そこで私は意を決してその人に、
「どうしたらイベント業界で飯を食っていけるか教えていただけませんか」とお願いしました。
そしたら「まず一回飲みに行こう」と誘ってくれて、そこから月に一度、飲みに行って話をするのが恒例になりました。

師匠と出会った時は仕事の話が殆どだったのが、
今ではお互いの家族の話などプライベートの話が
殆どになりました。

師匠はとにかく寡黙で、必要以上に多くを語らないけれど俺の話はちゃんと最後まで聞いてくれる人でした。
現場で一緒になることは多くはなかったけど師匠からもらった現場で
「お前、これやってみろ」と任せてもらうことも増えました。
最初は一緒に入ってもらい動きを見てもらって修正をしてもらう。月に一度の飲みでは、それを“答え合わせ”として
「こういう場面ではどうしたらいいか」「こんな時はどう考えるべきか」
と毎回話をしてもらいました。



6. 現場での失敗と支えられた言葉

そうして少しずつ、自分の名前で呼ばれる現場が増えていきました。
「あいつ、今スケジュールどうなの?」と声がかかる。
認められていると感じることで、もっとやってやろうと思えるようになりました。

もちろん、現場ではまだまだ失敗ばかりで、
「もうあなたには入っていただきたくないです」とNGをくらった現場も片手では数え切れないほどあります。
でもその度に師匠は言ってくれました。
「失敗したなら俺がケツを拭いてやる。でも、同じ失敗はすんなよ」
何度も失敗して、何度も怒られて、それでも腐らずにやってこられたのは、
高校でも失敗して、大学生活でも逃げて、職人の世界でも結果的に裏切る形になった自分が、
「もうここで逃げたら俺は終わりだ」と思っていたからです。

師匠は最後まで口酸っぱく「仕事は人だぞ」と言い続けてくれました。
今でもその言葉は、私の仕事の中の大切な軸になっています。



【第5章】まとめ


結局どんな仕事をしていても、最後は
どんなに面倒くさくても理不尽でも、それでも「人の中でちゃんと生きる」って決めたからこそ、
今もこうしてイベント業界に残っているんだと思います。

もちろん、今こうして年間300件以上(正確には360件以上、400件未満)の案件を任されるようになったのは、自分の仕事にプライドを持って、どんな案件も丁寧に、自分なりのスタンスを貫いてやってきたっていう自負はあります。

でも、やっぱり振り返ればいつも、

私は人に助けられてきました。

高校で捕まったときは両親と兄貴と弁護士さんかいて、大学受験のときは親戚の塾の先生やおばあちゃんや予備校の先生たちがいて、その頃は支えてくれた彼女もいました。

大学生活は正直クズみたいなもので、くだらないプライドだけで生きてたせいで今は当時の友達とはほとんど縁がありません。
でも、それも自分の姿勢が招いたことだなって思います。

職人時代の仲間や親方とは今も普通に笑って話せるし、WEBライターの時のご縁は会社がなくなってしまって連絡は取ってないけど、今一番頑張ってるイベントの業界には
「何かあったらきっとこの人は助けてくれるだろうな」
っていう人が本当にたくさん周りにいてくれるようになりました。

これも全部、結局「仕事は人」。「最後は人」。
この言葉に尽きるなって、今でもしみじみ思っています。

最後に私から問いを出します。
自分の胸に問いかけてみて、一度考えてみて下さい。

皆さんは、お仕事をする時に
その人のどんな言葉を信じますか?
どんな行動を信じますか?
どんな小さな変化に気づいていますか?
そして、逆に自分はどこで信頼されていると思いますか?

如何ですか?
この問いに答えはありません。全て正解です。


すごく長くなってしまいましたが、ここまでが僕がイベント業界に関わるまでのお話です。


次の章では、改めて「現在の僕」がどんな人間で、
どんなことを考えて、どうして新しく事業を始めようとしているのか。
noteにも少しずつ書いている、今の僕の戦いについてもちゃんとお話できたらと思っています。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます!
🐟やめなきゃ負けない🐟


この話は、一番初めのお話は私が高校時代に逮捕され、鑑別所に入り、ギリギリ少年院入りを免れた頃から始まります。
少し重めのテイストも散見されますが、普段皆さんが体験したり出来ない様な、まるで漫画の中の出来事の様な事も書いてありますので宜しければ見てくださると泣いて喜びます😭

👇は業界の裏話です。此方も是非見て頂けますと嬉しいです。

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