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【不安がなくなる】はじめての仕事【第1回】

まいど!曇戸晴維です!
「春の連続投稿チャレンジ」企画に則って今回のテーマは「はじめての仕事」です!
はじめての仕事って不安ですよね…

私が今の私になれたのはこの経験あってこそ。
このエピソードは欠かせません。
この話を通して、あなたもあなたの周りにいたお世話になった人たちを思い返してみてください


あなたの心の凍てつきが癒えますように





父の会社


父は運送会社を営んでいました。
私の始めての仕事はそれの手伝いでした。
中学生ともなると、長期休暇のたびに手伝いに駆り出されました。

私にはそれが当たり前でした。

父は長距離ドライバーも兼任していたのでほとんど家にいません。
週に2~3日帰ってきては母に「腹減った」「風呂入る」の二言。
それとテレビを見ながらいつの間にか寝てしまっていて、もそもそと起き出してはお菓子を食べて、布団に潜っていく人でした。
父は酒が飲めない体質だったので酒は一切飲みませんがヘビースモーカーでした。
常に煙草とコーヒー手放せない人でした。
長期休暇はそんな父と過ごす貴重な時間です。
私が手伝うときは中距離程度の仕事ばかりだったのは私に配慮したのでしょう。



仕事はきつかった


なんせ手積み手降ろしが基本でしたし、畜産を取り扱うこともあったので匂いや汚れもひどいものでした。
荷物は一袋20kg。重いものだと30kgに及びました。
それを大型トラックだと400袋も積むのです。
社員も父も、それを平気な顔で一人で積んで、運転して帰ってきてはパレットに降ろしていきます。
負けじとやっても「無理するな」と笑われるだけでした。
畜産を運ぶことにいたっては、危険すぎて手も出せない。
自分の十倍以上の体重がある家畜を誘導するわけですから、よりかかられたり、足を踏まれただけで大怪我です。
まして生き物。性格や体つきに個体差があります。
なので畜産を運ぶというのは職人仕事なのです。
父は畜産を扱うときは決まって「見てろ」と言いました。

自己否定と焦り


自分は運転もできない。
助手席にいれば寝てしまうこともある。
運転に飽きさせないようなおもしろい話もできない。
それどころか、父も社員も私に合わせて話をしてくれる。
体力もない。力もない。仕事量の四分の一も手伝えない。
ミスも多い。何袋、無駄にしたかわかりません。
焦れば焦るだけ、失敗をする。
畜産を扱うときは見ているだけ。
運送会社の社長の息子が、お客さんの前で、ただ見ているだけ。
恥ずかしくて、ついていきたくなくなるときもありました。



当然の結果


今思えば、そんなことは当たり前だとわかります。
なんせ父も社員もそういう業界でそういう仕事を何十年もしているわけです。
運転も、業務も、畜産の扱いもプロ中のプロ。
お客さんだって、そういう人ばかり。
そんな中についてきた中学生なんて、誰の息子だろうと使い物にならないのは当たり前です。
それでも私が当時感じたのは、燻る向上心と焦り、そして羞恥心でした。
職人仕事は仕事の中でしか練習できない。
焦りは仕事をおろそかにする。
誰しもはじめは素人なのだから恥ずべきことは何もない。
そんな当たり前のことを認められなかった。

それこそが当然でした。
中学生の子供なので、期待に答えられない自分は見捨てられるんじゃないかと思っていたのですから。


彼らは大人だった


そんな私に社員が取った行動は単純でした。
出来たら褒める。
それとは別に評価をする。
改善点を指摘する。
ミスは過度に咎めず、注意点を教える。
考え方を、自分のノウハウを教える。
おもしろいのは皆、共通してこういった行動を取るのにそれぞれのノウハウが違うのです。
それも「誰に教えられた?」と聞かれ「◯◯さん」と答えれば「まあそういうやり方もあるか」で終わるのです。
大人になってよく聞く話のひとつとして、上司や先輩がやり方を教えてくれるものの教えてくれる人によってやり方が違うため、怒られるのでどうしたらいいかわからないという話があります。
ところが父も社員も、統一性はないのにそれぞれのやり方を否定しないのです。
危険があったり大事なことはもちろん厳しく注意されますが、そういったところは共通なのです。
ただ、そのリスクマネジメントの仕方が違うだけ。


同時に彼らは少年だった



そして、そういったことがあった後は、決まって彼らは彼らでノウハウのすり合わせをしていました。
ああしたほうがいい、こうしたほうがいいと休憩室で酒を飲みながらやるのです。
かと思えば、トラック専門の情報誌を持ってきてはデコレーションパーツを見て語り明かし、いつの間にやら麻雀をし始めるというのが定番でした。
彼らは、仕事が好きでした。
トラックが好きでした。 どれだけきつくとも、関わることが好きだった。 それしかできなかったのかもしれません。
トラックの運転手はいまだ地位が低いです。
昔は、もっと低かった。
学もなく、孤独で、やさぐれていた青年時代を過ごした人も多かった。
だけれど、だからこそなのでしょう。
彼らは私に優しくできた。
自分がやられて嫌だったことはしない。
自分がためになったことはする。
そのノウハウを惜しむことはない。
わからないことはわからない。
できないことはできない。
できるため、わかるためには時間がかかる。
学がないからこそ、単純にそれを信じ実行できる。


経営と会計



父もおそらく同じだったのでしょう。
違ったのは父は人一倍、人情味が強かった。
元は個人でやっていてバラバラだったドライバーたち。
法改正や規制緩和、不況の波を受け、困るドライバーたちをまとめ会社を始めるほどに。
父が私に施したのは社員たちと同じ行動でした。
それに加え、経営や会計のノウハウがありました。
父も学歴はありません。
よく「中学校すらまともに行ってないから小卒だ」なんて言っていました。 独学だけで経営をするのにどれだけの苦労があったかわかりません。
それを論理的に教えてくれました。
そして同時に人間関係の情も教えてくれました。

父や社員の行動はもちろん、経営や会計は私にとって救いでした。
なんせ考えるだけでいいのですから。
どこまでも考える。ただひたすらに。
顧客や社員、父はもちろん、周りのどんな人も本もテレビもラジオも情報の塊です。
あらゆる想定と可能性を考え、導き出す。
それが正しいかどうかは数字に現れる。
そして大事だったのは、父が情を大事にしていたことです。


「金」と「人情」



ただ自分たちだけの数字が出るようにするのは簡単です。
でもこれが関わる全ての人間の数字がいいものにするには、難しい。
人間には感情という不確定要素があるからです。
私は、情も勘定に入れること、そしてそれが心からでなければいけないことは父の背中を見て理解しました。
社員たちは給料について愚痴を吐きます。
昔はもっと稼げた、仕事がきつい。
でも、決まって言うのです。

「まあ、融通きかせてもらってるしな」

取引先でも文句は出ます。
社員の生活を守るため、料金を少しでも上げれば嵐のごとく。
それでも、決まって言うのです。

「もう少し払うから、これからも頼む」

父は信頼されていました。
思い出してみても、きちんと給料が出ていましたし、法も遵守していた。
それどころか社員の体調や都合、取引先の急な方向転換でも身を削って働いていました。
その信頼は、取引先から料金の上乗せを申出されるほどに。
ホワイト企業の中で、ブラックな働き方をしていたのは父だけでした。
そして我が家は裕福ではありませんでした。
ほとんどが社員と会社のために使われていました。
母も、「結婚する前からそういう人だって知っているから」と納得していました。
それを不満に思ったこともあります。
ですが、今ならわかります。
ガソリン代の値上げ、家畜の疫病、震災、法律の変更。
数多くの苦難が押し寄せ、同業他社が縮小消滅合併を繰り返す中で父の会社は堅固でした。

父は、きっと周りの人間もろとも幸福にしていました。


生きるということ



生活のためにはお金が必要。
お金を稼ぐには仕事が必要。
さりとて、金と仕事があっても生活は成り立たないのです。
それは情を勘定に入れていないから。
だから、最低限でいい。
金と仕事は足りていればいい。
人らしく、人として生きるのならば情がなければならない。

自分は自分ひとりで成り立っているわけではない。
そういう本質的なことを教えてくれたのは、私のはじめての仕事に関わった人たち。
父や社員、取引先の人や同業他社の人、ひいてはそれに関わる人達、日本、世界のすべての人、歴史、あらゆるものが私に繋がっている。
そしてこれからも繋がり続けることが、生きることこそが幸福だというのを教えてくれました。

こんなに早く教えてくれたというのに気付くのは三十も過ぎてから。

自分がやられて嫌だったことはしない。
自分がためになったことはする。
そのノウハウを惜しむことはない。
わからないことはわからない。
できないことはできない。
できるため、わかるためには時間がかかる。

これらができるようになるにはまだまだ時間がかかりそうです。

あとがき


というわけで「はじめての仕事」でした。
いや、いい話風にまとめていますけど、まあぶっちゃけ、親父にもおふくろにも文句はめっちゃあります!笑

そりゃあ、運動会に見に来て寝ないで欲しかったし、どこにも連れてってくれないし、なまじリアリスト寄りなおふくろには否定されてばっかりだったし……
社員も馬鹿なことばっかりしてましたし!笑
ていうか、そもそも見た目がね…怖いのよ…脳筋ゴリラしかいねえ


それでも尊敬できる人たちでしたし、私は好きです
家族とは物理的距離もあって疎遠になっていますし、社員だった人たちとも連絡手段はありませんからもう取っていません。
でも、いまだにこうやって思い出すほどには私の中で生きています。
何度も、何度も反芻して、心の凍りを溶かしています。

理不尽だと思っていたのも怖いと思っていたのも、辛かったことも悲しかったことも事実です。
でも、それはそれ
彼らは私を愛してくれていた
今はそう素直に思えますし、それがとても嬉しい
それでじゅうぶんだと思っています。

では、今回はこの辺で。

曇戸晴維でした。


#はじめての仕事

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