余白に甘味 その1
― 静かに続いていく味の記憶 ―
どら焼きを求めて、出かける午後の土曜日。買おうとした和菓子屋さんのどら焼きが売り切れとなり、目的変更した、偶然と行くことになった千成ものか本舗巣鴨店。
「甘い」「ふわふわ」
そういう言葉が先に浮かぶことが多い。
けれど、千成どら焼き小倉を前にすると、
私は少し違う感覚になる。
まず思うのは、
「落ち着いているな」という印象だ。
お店の名前に宿る時間
「千成」という言葉には、
“千の実が成る”という意味がある。
このどら焼きは、
一瞬のインパクトで人を惹きつけるというより、
時間をかけて、少しずつ馴染んでいく。
食べるたびに、
派手ではないけれど確かな満足が積み重なっていく。
皮が語ってくれる
千成どら焼きの皮は、
柔らかいが、頼りなさはない。
ふんわりしているのに、
噛むときちんと「存在」を感じる。たまごの味わいが口の中に広がる
主役になろうとしていない。
中にある小倉あんを、静かに引き立てるための皮だと感じる。
前に出ない、でも欠けたら成立しない。
そんな立ち位置。
小倉あんの距離感
小倉あんは、甘い。
けれど、その甘さは押しつけがましくない。
舌に残り続けるタイプではなく、
口の中で形をほどきながら、自然に消えていく。
粒はしっかり感じられるが、
「主張する粒」ではない。
噛むたびに、少しずつ輪郭が見えてくるあん。
一口目より、
二口目、三口目で
「これ、好き」と思わせる。
食べ終わったあとに残るもの
千成どら焼き小倉は、
皮と小豆がそれぞれ個性を持ちながらも、強く出張せず、お互い調和しあい、一つのどら焼きに仕上げるような
お腹に重さは残らないのに、記憶にはちゃんと座っている。
「もう一個食べたい」というより、
「また、いつか食べたい」。
この“距離感”が、とても心地いい。
コーヒーと一緒でもよいが、
緑茶のほうが、千成どらやきの広がる皮とあずきの高鳴る味わいを
落ち着かせてくれる。と私は思う。
何も考えずに食べてもいい。
どら焼きに
気分を持っていかれない、
でも、気分を少し整えてくれる。
日常で静かに横に置きたいどら焼き
派手な記憶ではない。
でも、消えない。
生活の速度に合っている、そんな和菓子だだと思う。
